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ナナツヨの泣かない死霊術師  作者: いちい
きちがい暗殺者と木の国
59/98

檻を抜けて

 



 枝葉で塞がれた窓からは、淡い月明かりが微かに差し込んでいる。

 時折気ままにエルヴィンが訪れる以外には、世話役の侍女が訪れるだけ。その侍女もどこか人形のように作り物じみた雰囲気で、ここでの生活はいたって静かで無機質だった。


 やることもないけれど、落ち着いて考えを整理するにはもってこいの状況だ。

 椅子に腰掛けて、唯一外界と接している、大部分を葉の緑に占領された窓に目を向けながら思考に沈む。

 死んだように静まり返った部屋と、複雑な思考を妨げる妨害魔法。浪費されるしかない時間は、私に益体もないことを考えさせた。


 だがそれも長くは続かず、私は静かに眠りへと沈んでいく。


 椅子に座った体勢で目を覚ます。寝室に行くこともなく寝てしまったからか、少し体が痛んだ。

 塞がれた窓の外に枝葉の隙間から目を凝らすと、暗い色の空の(すそ)に光が射し始めている。朝焼けの空の下、耳を澄ますと透明な歌声が聞こえてくる。


 どうやらこの声で起きたようだ。

 その旋律は確かな魔力を帯びているが、部屋の結界で効果は遮られている。


 起きていても眠っているような、ぼんやりとして現実味の薄い感覚。ただただ静謐に、エルヴィン暗殺へのタイムリミットだけが過ぎていく。


 それを崩す変化は、思ったよりも早く訪れた。

 その日の昼頃、侍女が食事を下げてしばらくして、唐突に魔法で封印された扉が開いた。

 エルヴィンが会いに来るのは大概日が落ちてからだ。珍しいこともあるものだと、椅子に座ったまま視線をやると、左右に割れた石壁の前には知らないエルフの男が立っていた。

 エルフの男は蔓の魔法陣が所狭しと壁や天井を這う監禁部屋の様相を見て、ぴくりと頬を動かした。そして瞬時に柔和な微笑を作り上げ、慎重に一歩部屋へと足を踏み入れる。


「貴女は…………?」


 ヒトを安心させるような微笑。エルフという種族としては緑の次にありがちな青の瞳にはしかし、警戒が隠しきれていない。


「あなたこそ、誰?」


 ヒトに名前を聞く前に自分から名乗れというわけではないが、ここは相手の情報がほしいところだ。身分によっては、彼は私の協力者になりうる。

 探りを入れる私に、エルフの男は穏やかな声色で答える。


「私はヴァイス。木の国の国王代理であられるエルヴィン様の補佐を務める者。客室の一室に異常があると報告を受け、確認にと」

「王の補佐自ら?」


 そういう雑務は、普通はもっと下の立場のニンゲンが来るものだ。

 協力者としては身分が高い方が理想的だが、こうまで好都合だとむしろ罠を疑ってしまう。


「……施された魔法が強力すぎ、侍女や侍従では歯が立たなかったのです」


 苦々しげにヴァイスは言った。

 そういう事情ならば納得ができる。私が戦ったディルの偽物も、リディアの偽物も、強かった。エルヴィンの偽物も同程度に厄介だと考えるのが自然だろう。


「そう」


 ヴァイスを観察する。

 まだ私への警戒は解かれていないようだ。

 これまでの反応から、協力者になりうるかという意味で私が彼に下した評価は、可。高度な魔法がかけられた客室があるからといって、自ら様子を見に来るくらいだ。受け答えからしても、真面目で慎重──少なくとも、慎重であろうと心がけている人物だという印象を受けた。感情を隠すのは苦手ではあるようだが、そのくらいの方が読みやすい。

 王の補佐という立場から、国への忠誠心と有能さは間違いない。


「私は【潜水者の街】のナミ」

「エルヴィン様のギルド……冒険者が、エルフの国に何用です。それにこの部屋の有様は……まさか、エルヴィン様?」


 ヴァイスは僅かに警戒を和らげた。


 この部屋には何種類もの魔法がかけられている。この偏執的なまでの監禁体制なら、その中に透視の魔法があってもおかしくない。というか、確実にあると考えた方が現実的。

 しかもここにいるエルヴィンが私の知っている通りの技能を持つなら、ヒトの唇の形を読めるはずだ。


 どうにかして、それに察知されずに彼からの助力を得なければならない。

 その上、ヴァイスが立つすぐ右脇の石壁で、何かの魔法陣が先ほどから起動している。侍女やエルヴィンの時にはなかった反応だ。警報か何かの役割を持っているのだと思われる。


 急がないと。

 私は気配を探って近くにヒトがいないのを確認してから、なるべく口を動かさないように、魔法陣にも捉えられないほど小さな声でエルヴィンの死霊を喚んだ。

 部屋の魔法の効果で相変わらず集中は掻き乱されるが、なんとか成功。石造りの廊下に、私の記憶の中と同様のエルヴィンが佇んでいる。


「後ろを見て」

「……は?」

「いいから今すぐ」


 少々強引に指示すると、ヴァイスは怪訝そうにしながらも廊下を振り返る。


「なっ……エルヴィン様!? いえ、何かおかしい」


 私は急いで席を立ち、まだ廊下に気を取られたままのヴァイスに近付いた。この位置なら、どこにどう監視の魔法があっても私の背中しか映らないはず。

 早口に、言いたいことを小声で一方的に連ねていく。


「エルヴィンは死んだ。それは死霊。……私は偽エルヴィンに監禁・監視されている。風の精霊魔法なら知覚されない。後で連絡を」


 ヴァイスは小さく頷いた。

 後は彼の演技力に期待する他ない。私にエルヴィンの気配は読めないが、もういつ現れてもおかしくない頃合いだ。

 私はホルダーから短剣を抜きながら続ける。


「軽く襲いかかるから、適当にいなして。監禁されて混乱した私が、あなたに襲いかかって拘束された。あなたは何も聞いていない」


 またもヴァイスは小さく頷く。そして私は、茶番を始めた。

 右手の短剣を軽く振り降ろす。黒い刃はしかし、何の前触れもなく出現した水の壁に弾かれた。魔法で撹乱したいが、この部屋の中では死霊を喚ぶくらいしかできないだろう。

 仕方なく距離を取ろうと床を蹴った瞬間、周囲の床から何かが聳え立つ。


「……っ!?」


 それは、氷の檻だった。範囲から抜け出すよりも早く四方を囲まれ、背中を氷の壁にぶつけた私はあっさりと退路を断たれた。

 透明な氷の向こうに、歪んだヴァイスの像が見える。

 詠唱もなく発動できる魔法は一種類だけ。しかもこの部屋では、神聖魔法はともかく論理魔法が使えない。エルフなのに水属性とは珍しいが、ヴァイスは精霊魔法の使い手なのだろう。


 ああ、本当に……くだらない。

 私の実力も、甘さも。


 わかっている。私がエルヴィン暗殺のために今すべきことは、ヴァイスを説得して味方につけることではない。ヴァイスを振り切って今すぐここを出て、ユーグと合流することだ。

 もちろん協力者はいるに越したことはない。しかし、必ずしも必要でもない。

 私はつまるところ、エルヴィンを殺すまでに少しでも猶予がほしいだけなのだ。


 しかも、魔法が封じられただけでこんなにあっさりと拘束されてしまっている。きっとカスターなら剣であのくらいは破っただろうし、他の皆にしても対処できたはずだ。

 私は、弱すぎる。


 唇を噛みながら縋るように短剣を握りしめていると、廊下から軽快な足音が聞こえてきた。徐々に強く叩きつけられる、強烈な殺気。

 打撲音が聞こえたかと思うと、氷の檻が解除される。目に映るのは床に叩きつけられたヴァイスと、彼を見下ろすエルヴィンの姿だった。

 理解できない。どうしてエルヴィンはヴァイスを攻撃しているのだろう。普通は部下にあたるヴァイスの話を聞いて、それから処分を決めんじゃないの?

 ……ああ、でもそうか。私の見通しは甘かったのか。

 だって、リディアもディルも狂ってた。なら……エルヴィンだって、正気に見えてもまっとうなニンゲンらしくても、狂っているに違いない。

 ……信じたかったのにな。エルヴィンは違うって。


「……なぜ」


 地の底から這うような、ありったけの憎悪を掻き集めたような低音が、石造りの部屋に響いた。濁った深緑の瞳で、エルヴィンはヴァイスを見据える。


「……なぜ、ここにいる。ヴァイス」

「報告が」

「なぜ、ナミに触れていた……! ナミを守るのは、私だ! 私だけが、守る……ッ!」


 左手の義手の一振り。たったそれだけで、風切り音と共にヴァイスの体が吹っ飛び、蔓の這う石壁に激突して落ちる。


「その目に映るのも、声を聞くのも、触れるのも……私だけが…………」


 その様子を見て、急速に思考が冷めていく。夢から醒めるように、胸から希望が消えた。


「エルヴィン」


 ゆらりとこちらを向くエルヴィン。悲しいような乾いたような心境で、私はそのどろどろとした感情の渦巻く緑の目を見た。

 この世界は残酷だ。幾度奇跡を期待しても、その度に必ず裏切られる。


「あなたは私を守るって言ったけど。……あなたは私を守りたいんじゃなくて、『私を守る自分』を守りたいんだね」


 私を守ることがあなたの最優先事項なら、どうしてヴァイスを攻撃したの?

 檻に囚われていた私を庇うこともせずに。


 直後、閃光が視界を埋める。

 もちろん私ではない。この部屋の中で論理魔法は使えない。おそらくユーグが部屋から風の精霊魔法で様子を窺っていたのだろう。もしくは予定より早いが、これがユーグの言ったタイムリミットなのか。

 いずれにせよ、絶妙なタイミングでの援護だ。

 一瞬遅れて響く轟音、舞い上がる炎と埃。部屋の壁の一部は呆気なく崩れ、爆散した。





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