鋭枝の籠
水の国の中央市街の一角にある宿屋。明るい陽の射すその一室に、みんながいる。
カスター、リディア、ディル。
アロン、エルヴィン、ラトニア。
それから、私。
次の依頼はどうしようか、みんなで輪になって話し合っているのだ。私は口を出さずに、それを一歩離れたところから見ていた。
どんな依頼でも構わない。こうしていられるのが、なぜか……なぜだろう。とても貴重な瞬間のような気がして。
だけど、ふと気づくとリディアとディルがいなくなっていた。
どこに行ったの?
部屋を見回していると、ラトニアが赤橙色の猫耳を揺らして私の方を向いた。まるで私が奇行に走ってでもいるような、訝しげな顔で彼女は言う。
「リディア様とディルは、ナミが殺したのですよ?」
「順番からいくと、次はエルヴィンかい?」
アロンが柔らかい笑顔で付け加えた。
エルヴィンは目元を緩めて、優しく私に手を差し伸べる。
「……もう、誰も殺さなくていい。俺が守るから」
私は、誰も殺さなくていい。エルヴィンの言葉で私の心に安堵が広がり、暖かいものに包まれたような心地よさを感じる。
だが、唐突に。
エルヴィンの口から血が流れ、胸から黒い刃が突き出した。
エルヴィン! 名前を呼びたいのに、声がでない。体が自由に動かない。
エルヴィンの体が崩れ、その陰から短剣を持った女が現れて。黒い髪、黒い目、白いローブのその女は。
『私』は、嗤った。
「どうしてなのだ、ナミ」
カスターの声が聞こえる。
違う。『私』じゃない。『私』はみんなを殺してない。
「……嘘つき」
もう一人の私は血の滴る短剣を振り上げて、誰かをまた刺そうとする。私は手を伸ばして止めようとするけれど、私の体は消え去ってしまっていて。
届かない。
やめてと叫ぶ喉も、私にはない。
真っ赤な色が、視界を染めた。
ベッドの上で目を覚ました私が瞼を開いて最初に見たのは、石造りの天井に伸ばされた自分の手だった。
ゆっくりと瞬きし、手を下ろす。ぼんやりと霞がかかったような頭はどういうわけか、なかなかはっきりしてくれない。
さっきのは……夢か。
ひりつく痛みを感じて手を見ると、短剣を掴んだ時の傷には丁寧に包帯を巻いてあった。微かに薬草のような臭いも感じる。エルヴィンが手当てしたのだろうか。
それに、ここはどこだろう。少なくとも牢屋や拷問室には見えないが。
私は寝かされているのは、見た限り普通の客室のようだ。ここは小さな寝室で、ベッド以外の家具はない。私は立ち上がって、ドアで繋がる隣室へと向かう。
そして扉の先の部屋を見て、私はこの部屋を用意した人物の意図を悟った。
エルヴィンの居室と同じで、壁に穴を開ける形で一つだけ設けられている窓。それを、鋭く尖った植物の枝葉が格子のように何本も縦断している。
石壁には出口らしきもう一つの扉があるが、そこにはあるはずの継ぎ目がない。周囲の石と完全に一体化している。
数回だけダンジョンで見たことがある、鍵となる専用の魔法でなければ開けられないタイプの仕掛け扉なのだろう。
よくよく見ればそれだけではない。部屋中の石壁に植物の蔓が這って、いくつもの魔法陣を描いている。読み取れるものだけでも、弱体化の論理魔法が複数。
中でも天井いっぱいに描かれている、内部と外部の魔法干渉を遮断する魔法陣は大掛かりだ。
私は意識して冷静に呟いた。
「……監禁部屋」
ここまで徹底した監禁体制はよほどの実力がなければ作れない。この部屋を準備したのはエルヴィンで間違いないだろう。
しかし、なぜ彼は私を監禁しようと思ったのだろうか。
エルヴィンの言っていた言葉を思い返す。
確か──『必ず守る』?
「……何から?」
彼は、私が生きていたことを喜んでいるように見えた。つまり、エルヴィンは私が死んだと思っていたということだ。
そう勘違いするようなタイミングといえば……あの、魔女が現れた時しかないだろう。
エルヴィンの反応には、リディアやディルの時のような敵意が感じられない。
けれど、私を守ろうとする理由も目的も……わからないことばかりだ。
魔力の気配を感じて継ぎ目のない扉を見ると、石壁が動いていた。扉にあたる部分が左右に割れて、外からエルヴィンが入ってくる。
気付かれないように服の袖から覗くエルヴィンの左腕を観察すると、そこには見間違えではなく、人形のような木製の義手がついている。
僅かな緊張が、私の肩を強張らせた。
「……気分は?」
「悪くはない。頭がぼんやりするけど」
私が素直に答えると、エルヴィンは少し笑った。
「それは、仕方ない。魔法を使って逃げられたら困る」
私には魔法陣の全ては読みきれなかったが、この頭に霞がかかったような感覚も、この部屋の妨害魔法の効果の一つなのだろう。
私はそもそもの疑問を、直接彼にぶつけてみることにした。
「……どうして監禁したの?」
「守りたいから」
返ってきた答えは、意識を失う直前の言葉と大差なかった。
「…………どういう意味?」
エルヴィンはすぐには答えず、私に椅子を勧めた。警戒を解かないまま私が座ると、彼はおもむろに口を開く。
「ナミは死んだと思っていた。だが、生きていた。誰も守れなかった世界など、滅びてもいいと思ったが」
随分な極論だ。いくらこの世界が憎くても、仲間の手で滅ぼされるのは気分が悪い。
反射的に口を挟む。
「お願いだから、滅ぼすのはやめて」
「……ナミが、そう言うなら」
エルヴィンの深緑色の眼差しが、微かに和らいだ。彼は執拗なまでに封鎖した部屋に目を走らせる。
「ここなら、誰も入れない。確実に守れる」
「私を何から守ろうっていうの? あの魔女から?」
エルヴィンは首を横に振った。
「……世界から。あらゆるものから」
エルヴィンはそう答えると、また来ると言い残して部屋を出て行った。
石造りの扉はまた塞がり、出口は消える。
得体の知れない緊張から解放され、私は椅子に座ったままぐったりと背もたれに背を預けた。
何が何なのかわからない。だが、エルヴィンの目的ははっきりした。私を守ること。それが彼の行動基準のようだ。
無意識に手を腰のあたりにやる。私の手に、あるはずのない感触が触れた。目線を落とすと、短剣がホルダーに納められたままになっている。わざわざこんな部屋に押し込んでおいて、武装解除し忘れたのだろうか。エルヴィンに限ってそれはないとは思うが……。
ヒトの気配が周囲にないのを確認し、私は短剣を抜いて窓の木の格子を切ってみた。だが魔法による封鎖は固く、枝の表面を傷つけるので精一杯。しかも、しばらくするとその浅い傷すら修復されてなくなってしまう。
魔法も発動させようと試みたが、頭がぼんやりしてうまくいかない。
打つ手のない現状に私が窓辺でため息をついていると、不意に風が頬を撫でた。
次いで、聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「無事みたいだねえ」
「……ユーグ?」
風に乗って、軽やかな笑い声が届く。
「その部屋すごいよねえ。魔法による干渉は一切排除。でも、精霊に対する守りはされてない」
エルフは生まれた時から風と木の精霊の声が聞けると教わった。暗殺者であろうとも、風の精霊に力を借りて声を届けるくらいは簡単なのだろう。
「あ、そうそう。俺、職務放棄してたわけじゃないからねー。ちゃあんと、木の陰から魔法で標的狙ってたから。何かまずいことになったら、すぐに撃てるようにね。それで依頼なんだけど」
私はユーグの言葉を最後まで聞かずに、言葉を割り込ませる。
「依頼を一時、凍結したい」
「そういうの、受け付けてないんだけど」
「…………」
いちいち依頼者が翻意しては仕事にならない。それは理解できるだけに、私は何も言えなかった。
だが、エルヴィンには他の二人と違い話が通じたし、敵意も向けられなかった。そのことがどうしても、私が決定的な一歩を踏み出すのを阻む。
「……とにかく、それはできないね。だって依頼人はあんただけじゃないんだから」
ユーグの場違いなまでに明るい声が伝わる。
「実はこの依頼、二重に受けてるんだよ。あんたともう一人、それぞれから金貨500枚。もう一人の依頼人からの報酬はもう貰ってる。だから尚更無理」
「もう一人……?」
「そう。名前は明かせないけどねぇ」
誰かは知らないが、こういう状況では大っぴらに動けない以上、その人物も暗殺者によって事態の収束を図ろうとしているのかもしれない。
私はなんとか交渉する。
「エルヴィンはどのみち、私のギフトがないと仕留められない。何も、依頼を撤回したいわけじゃないの。数日待ってほしい」
声がしなくなり、一分ほど経っただろうか。駄目かと思い始めたところで、声が響いた。
「2日だね。もう一人の依頼人の手前、それ以上は待てない」
「……それで十分。ごめん」
無理を通したということは理解している。
ユーグのわざとらしいため息が聞こえる。
「ま、俺はあんたにどんな事情があっても関係ないけど。だけど、あれはニンゲンじゃないよ。モンスターだ。もうずっとヒトを殺してきただけに、感覚でわかる」
本当にそうなのだろうか。エルヴィンは、もういないのだろうか。
私の迷いを汲み取ってか、念押しするように彼は言う。
「……あれはニンゲンじゃないよ。どんなにニンゲンらしくしててもね」
次話はあらすじを決めただけで、まだまったく仕上がっていません。当分また間隔が空くと思われます。
すみません。




