隻腕の森王
数日移動すると、暗くて見通しの悪い森の木々の向こうに石造りの大きな建物が見えてきた。規模からいって、あれが王城なのだろう。
金の国の城や光の国の大聖堂よりはずっと小さくて、せいぜい大きな屋敷くらいの規模ではあるが、森の真ん中という立地を考えればこんなものなのかもしれない。
ユーグと共に城に忍び込むのは簡単だった。
彼の得意な魔法の属性は、光。光の屈折や反射を狂わせることで、実際にはないはずのものを見せたり、あるはずのものを見えなくすることができる。
侵入は窓からだ。魔法で姿を消してヒトの気配を避けながら、物音を立てないように城の通路を進んでいく。城仕えのエルフの側を何度か通ったが、気付かれることはない。
やがて私たちは、王の私室へと辿り着いた。見張りのエルフ兵が2名いたが、どちらもユーグの存在に気づくこともできないうちに昏倒させられた。光魔法で偽装していたようだったから、通路を誰かが通ったとしてもそのことに気づくのはまだ先だろう。
姿の見えないユーグの手によって、無音でひとりでに寝室の扉が開く。私はそっと後を追った。
暗闇に沈んだ部屋。寄木細工で装飾されたベッドの上に、ヒトが横たわるふくらみがある。
なんの前触れもなく、ユーグがベッドの上に乗り上げ、ふくらみの喉元へ剣を突き出した形で姿を現した。だが、それより一瞬早く、人影がベッドから脱出する。
私の視界に、自分の黒い髪が映り込んだ。姿を隠し偽る光魔法も、必要がなくなった今では維持されていないのだろう。
私は追撃のため短剣を構え、論理魔法を紡いだ。
「……『火矢』」
詠唱に従い短剣の切っ先に、赤い魔方陣が浮かび上がる。そこから火の矢が三本、人影の胴体を横切るように連続して放たれるが、素早く振るわれた短剣に掻き消されてしまう。
「失敗だねえ。退くよ」
ユーグは未練もない口ぶりでそう言うと、大きくとられた窓から夜空へと身を躍らせた。癖のある金髪が月明かりを浴びながら窓の外へ落ちていき、すぐに闇に紛れて見えなくなる。
どうやらエルフの国では、光や水の国と違ってガラスを使うことがないらしい。窓といっても、壁に外に直に繋がる穴が空いているだけなのだ。
そう高くもない建物だ。飛び降りれば、下は深い森。
私には冒険者としての身体能力とエルヴィン仕込みの技術がある。このくらいの距離は、命を落とすほどの危険にはならない。
私も窓へと走ったが、縁に足と手をかけたところで身動きができなくなる。
あと少し前に倒れれば、逃げられるのに……!
背後から片腕を捻り上げて押さえられ、木の床へと短剣が落ちる。同時に首には冷たい感触。短剣が、当てられていた。
「……動くな」
動くな……? 言葉を話し、相手をすぐには殺さない程度の知能がある。やはり、このモンスターもリディアやディルのときのように自我を持っているのだろうか。……エルヴィンと同じ姿で。
私はこんなところで死ぬわけにはいかない。まだ、魔女と七体のモンスターを倒してみんなを生き返らせてもらっていないのだ。
……この世界には魔法がある。死にさえしなければ、大概の怪我は治せる。
逡巡というにも短すぎる思考の後、私は首に当てられた短剣を手で掴んで逸らし、魔法を発動させた。指が切れる痛みはあるが、今はゆっくりと痛がっていられる場合ではない。唇を噛んで耐える。
「『炸光』!」
夜闇を灼く、強烈な光が辺りを包む。その隙に拘束から逃れて窓の外へ身を躍らせようとするが、私の体は気付けば床の上に仰向けに倒れ、再び拘束されていた。
首に当てられた短剣の刃が食い込み、僅かに切れた肉が痒みにも似た痛みを訴える。動きを封じられる箇所に的確に体重をかけられ、抜け出すことはできそうにない。
同じ手は二度通用しない。……もう私に、逃げる術はない。
覚悟して見上げた顔は、やはり記憶と予想に違わない懐かしい顔だった。ありえないほど美しい、絶世の美貌。だが、そんなことはどうでもいい。
そこにいるのは、私の仲間だった一人。
それこそが、私にとっては何より重要な。
「……エルヴィン」
思わず呟き、泣きそうなほどの懐かしさに包まれる。この姿をした存在に殺される。そう思うと、悲しくて仕方ないような、安心するような、おかしな感覚に襲われる。
エルヴィンの姿をした何かは、暗闇の中でもわかるほど戸惑っていた。
「ナミ…………?」
それはエルヴィンと同じ声で私の名前を口にすると、短剣を引いた。
「生きて、いたのか……?」
呆然と呟く声には、喜びが混じっている。
やめてほしい。お願いだから、その姿でそんな言い方をしないで。そんな風に言われたら、わからなくなってしまう。
「エルヴィン、なの?」
……期待を持ってしまう。
とっくに捨てたはずなのに。
ディルとリディアの姿をしたモンスターを手にかけた私に、今更後戻りはできないのに。
エルヴィンはゆっくりと私の体の上から退くと、短剣を仕舞って魔法を発動させた。
「『光球』」
エルヴィンの手のひらの上に現れた魔方陣から浮かび上がる光球。威力の調整されたそれは目に優しい明るさで夜闇を照らし、部屋の天井の中央辺りに浮かんだ。
私は床に手をつき、倒れた体を起き上がらせた。急な眩しさに、少し目を細める。
エルヴィンは照らし出された私の顔を見て、顔を綻ばせた。
「また、会えた……」
見惚れるほど綺麗な、その笑み。
「必ず守る」
そこに見えたのは……狂気。
エルヴィンが私に手を伸ばす。あの日、失ったはずの左手を。その手はまるで、木でできた等身大の球体関節人形のようだった。
後ろに下がろうとするが、もう遅い。
何か、花に似た甘い匂い。それを感じた途端、私は意識を失った。




