森のざわめき
木の国編、スタートです。
「……無理だよ。入れない」
木の国の端に一つしかない冒険者ギルド。そこのギルドマスターに面会すると、そう言われた。
木の国は森に国土の大半を覆われた、エルフをはじめとする亜人が住む国だ。それゆえ排他的な性質で、ニンゲンが木の国の深部に入るのは難しい。だが、仲間の姿をしたモンスターがいるとしたら、特別な場所という縛りがある以上、それは確実に深い部分だろう。
そう考えて森に立ち入ったら、どこからともなく現れたエルフに止められ、人間は立ち入り禁止だと言われた。
仕方なくギルドを頼り、今に至る。
木の国ではまだモンスターの凶悪化も進んでいないので、人間を受け入れる必要性も実感できていないのだろうと、彼自身もエルフである木の国のギルドマスター、エリクは言う。
「エルフの知り合いとか、いない?」
「いたけど、今はいない」
「ああ、エルヴィンか」
エリクは納得というように頷いた。
エルヴィンは魔女に殺されてしまった。彼が生きていれば、【潜水者の街】というSランクギルドの力もあって入れただろうが。
…………。……生きてたら?
「……死霊としてなら喚べると思うけど」
「どれ」
私はエリクの鮮やかな青緑色の瞳に促され、ポーチから紙包みを取り出して詠唱する。
「……『来たれ』」
紙包みを淡い光が包み、私の前にエルヴィンが姿を現した。切れていたはずの左腕も、きちんとついている。魔力で肉体を構築していると、こういうところは融通がきくのだ。
エリクはじろじろとエルヴィンを見上げると、ぽつりと呟いた。
「ほんとに死んでたんだ」
「水の国のギルドマスターから話がきてないの?」
光の国のギルドマスターは、水の国のギルドマスターが各地のギルドに警告をしていたようなことを言っていたが。
エリクは十代後半に見える若々しい顔を、難しそうに歪める。
「来てる。けど、対応は難しい。この国は分裂してる」
「どういうこと?」
私はあまりこの世界の国のことに詳しくない。もっとも、元の世界でも他国のことはよくわからなかったが。
「木の国は、亜人の中でもエルフしか受け入れてない深部と、だいたいの種族を受け入れる浅い部分にわかれてる。生まれたとき……85年以上前からそうだった」
随分若い85歳だと思うが、エルフの年齢は外見年齢かける5くらいだから、これで標準だ。
「こっちでは、モンスターが強くなってきてるのもわかってる。でも、深部はそうは考えていない。王も変わった。それが一番問題」
「……強硬派で、エルフ以外はヒトじゃないと思ってるとか?」
「違う。王は、エルヴィン」
「…………エルヴィンが?」
「そう」
疑わしげにエリクを見ると、顔色一つ変えずに彼は首肯する。
私は眉を顰めた。
エルヴィンは私の世界を見たいというギルド加入の動機に、自分と同じと言っていたのだ。
矛盾しているようで本人に関わりのある場所に出現するところから、やはりその王であるエルヴィンも偽物だろう。
「他に深部に入る方法は?」
「あるけど、おすすめしない」
「……教えて」
「暗殺者ギルドの裏道」
なるほど、それは確かに勧めるような方法ではないだろう。だが、まっとうな手段がないなら、まっとうではない手段に頼るしかない。
「どこを行けばいいの?」
「暗殺者を雇えばいい。エルヴィン暗殺依頼で。あそこはモンスター討伐からヒト殺しまで、手広くやってる」
「仲介は頼める?」
エリクは少し嫌そうに、鼻の頭に皺を寄せた。
「イヴァンが気にかけてる冒険者に暗殺者を斡旋したら、アイツに怒られる……」
水の国のギルドマスター。あのおせっかいめ。
私はポーチに手を入れると、今まで稼いできたお金の大半の金貨をざらざらとテーブルに空けた。その上に、光の国で討伐の証明として渡した白い魔晶石と引き換えに得た、報酬の聖金貨を乗せる。
「仲介料はこれで足りる?」
エリクは聖金貨に微かに目を見張り、手に取って眺めた。
「……本物。本気なんだ?」
「私は冗談は好きじゃない」
エリクは聖金貨を戻して、代わりに金貨を一枚だけを受け取ると、残りは私の方に押し返してきた。
「……今晩中にでも接触するように伝えておく」
「……ありがとう」
私は金をポーチに戻し、エルヴィンを還すとギルドを出た。
道具を補充して宿屋へ戻り夕食をとっていると、エルフの軽そうな男が喜色満面に、勝手に相席してきた。
「やあお嬢さん。こんな可愛いお嬢さんを『紹介』してもらえるなんて、うれしいねえ」
「…………そう」
私は気のない返事をしてスプーンを置き、木のテーブルの向かいに座る男を窺った。なかなかの美貌だが、エルフとしてはまず平均的なレベルの男だ。金髪に深い緑色の目というのも、エルフの典型。だが、その脳みその容量を疑いたくなるくらい軽い発言からは遠すぎるほどに、その姿には隙がない。
男は右手を軽く上げて上半身を捻り、「あっ、麦酒一つね!」と注文すると、私に向き直る。
「あんたがナミちゃんでいいんだよね?」
「……そうだよ」
給仕の若い少女が麦酒を一杯持ってきて、男の前にそれを置いた。少女が別のテーブルで呼ばれるのを待って、男が話し始める。
「俺は『ギルド』から斡旋された、ユーグ。よろしく。依頼は『例の色男』にそっくりな、『超強力モンスター』の討伐って聞いてるけど」
ところどころ隠語が紛れているが、例の色男というのは、エルヴィンのことだろう。
私が頷くと、ユーグは少し考えるようなそぶりを見せてから、にっこり笑った。
「……うん。光の国の騒動を聞いた限りでは、楽しめそうではあるかな。報酬は成功報酬で金貨500枚。後払いでどうかな?」
「わかった。それでいい。条件として、私が同行する。討伐依頼というか、討伐のパーティーメンバー募集に近い」
「ん、了解。金払いのいい客は話が早くていいねぇ。出発はこの後でも?」
私は小さく頷いた。
ユーグは杯を掲げて、「依頼の成功を祈って!」なんて言って、麦酒を一気飲みした。
仕事前に酒なんて飲んで大丈夫なのかと思っていると、なんてことないように彼は言う。
「ああ、このくらいじゃ酔わないって。耐性があるから」
私は食事を終えると部屋を引き払い、ユーグと深部に向かうため、森へと足を向けた。どこか秘密の抜け道でも使うのかと思いきや、ユーグはいきなり耳栓を手渡してきて言い放つ。
「それつけて俺の背中におぶさって」
「……ふざけてるの?」
手の中に転がる小さなコルクのような塊は、やはり形状といい耳栓にしか見えない。どうして深部に侵入するのに、私が夜の森で耳栓して暗殺者に背負われないといけないんだ。
「この森の外郭は、感覚を狂わせる迷いの魔法があちこちに刻まれてる。エルフはどんなに魔法がかかってても木の精霊や風の精霊の声を本能的に聞けるからいいけど、あんたはそうはいかない。だから、普通はそれを無効化する道具を手形として渡してるんだよ、人間が深部に入るときは」
「そう。……これをしないとどうなるの?」
「大音量の耳鳴りと恨み声が聞こえて、視界はぐーるぐる。体が掻き混ぜられてるような不快感付き。目も閉じといた方がいいねぇ」
私は釈然としないながらも耳栓を詰めて、ユーグの背中に乗ると目を閉じた。振り落とされないよう掴まっているようにと言うので首に手を回す。
何か魔法が使われる気配の後、すぐに体が前に、すごい勢いで風を切って進んでいくのがわかる。言われたように不快感はあるが、物理的に異常があるわけでもないので耐えられる範囲だ。
ユーグはふざけた性格でも、腕は確からしい。時間が経つにつれて、目を閉じてブランコに乗っているような不快感が強くなっていくが、ユーグの速度は落ちていないように思える。
一時間か、二時間。そのくらいすると、急に楽になった。目を開くと、真っ暗な夜の森の景色がユーグの肩越しに見える。慎重に地面に下ろされ、私は耳栓を外して返却した。
「ここが深部?」
「そうそう。もう迷いの魔法はないよ、標的がいる城はもっと奥だけど。で……『光歪』」
夜の森の暗闇の中で、私の足元に白く光る魔方陣が一瞬だけ浮かんで消えた。
「これであんたの外見はエルフっぽくなってるから。金髪緑目、長耳ね。何かあった時の設定は、あんたは俺の妹ってことで。このまま野宿して森を突っ切って、王城に忍び込む。隙を見てグサリ。それでいい?」
「……問題ない」
「今晩はもうちょっと進むから」
私は気のいい暗殺者と、深い森の奥に進んでいく。




