手を取る者
沈みかけた意識の中、誰かが走ってくる気配を感じた。
直後に、詠唱が聞こえる。
「『秩序の円環を廻すモノよ、彼の者に癒しの奇跡を与え、あまねく苦痛から救済し給え』」
途端に呼吸が自由になり、肺が空気をいっぱいに吸い込んだ。急激な酸素の供給に、むせる。
「……かはっ! っは、はぁ、はぁ」
視界がゆっくりと戻り、床に倒れていた私は上半身を抱え起こされた。
回復しつつある視界が像を結び、初めに見たのは銀色に光る鎧の胸部。顔を上げると、そこには私を心配そうに見下ろす灰緑色の瞳が。
「クロー、ド?」
「意識はあるようですね」
クロードは険しい表情で呟いた。
「コーネリア、何が起きたのですか?」
クロードの背後にはコーネリアがいた。コーネリアは後ろ手に扉を閉めると、顔を青ざめさせながらも毅然と答える。
うなじに引っかかるはほつれた後れ毛が、彼女の焦りを感じさせた。
「俺が運んで来た食事を食ったら、ナミ様が倒れた。解毒魔法かけても効果なくて……で、姉貴を呼んだ」
記憶よりやや低い声は、少年の声みたいだった。
……コーネリアは、裏切ったんじゃなかったの?
え? それに姉貴って言っても、クロードって男だよね?
疑問を差し挟む余地もなく、姉?と呼ばれたクロードが顔を険しくする。
「解毒魔法が効かない毒か。暗殺者でも一部の腕利きが用いるものだな。薬師が調合した特殊なものだろう。賢明な判断だ、私なら最上位の回復魔法が使える」
「くそがっ、いつの間に毒なんか」
毒づいたコーネリアが、はっとした顔で私を見た。
「…………あ?」
しばし、見つめ合う。
コーネリアは口を開いたまま閉じない。
「あ」
「どうしたコーネリア」
「いや、どうしたっつうか。……おい。今の、聞いてたよな?」
これはもしかして、私に尋ねられたのだろうか。激しく答えたくない。厄介ごとの臭いがする。
だが、コーネリアは逃す気がないようだ。私が視線を外すと、回り込んでくる。座り込んだ体勢から、肩を掴まれた。
「聞いてたよな」
真摯な顔で、確認される。私は諦めて頷いた。
解毒された直後なのに私の扱いが酷いのはなぜだとちらりと思ったが、口に出せる空気ではない。
クロードはよくわかっていない様子で首を傾げている。
「どうしたコーネリア」
「いや姉貴、もうその呼び方意味ねえし」
クロードは、しばらく沈黙してから「……あ」と声を漏らした。そして大真面目に、コーネリアに訊いてくる。
「どうしよう」
「あ〜、ジーク様の客人を口封じするわけにいかねえし。ジーク様の協力者なんだから、もう全部話して巻き込んだ方がよくないか?」
「そうか」
話し合いを終えて、しゃがんだままのコーネリアが私に向き直った。
「聞いての通りだ、それで」
「やめて聞きたくない面倒ごとの予感がする」
間髪入れずに抗議するが、コーネリアは上品な造作の顔を歪めて「黙って聞け」と凄むと、一方的に爆弾発言をした。
「俺たち姉弟は、入れ替わってんだ」
話の流れから想像はできたけど……ああ、やっぱり。
こうなったら、もう聞くしかない。
「俺たちの家は昔から大聖堂関係者を輩出してきた名家ってやつ。俺と姉貴は同じ年に生まれたんだが、その時から俺は騎士、姉貴は司教になることが決まってた。だけどな、問題があったんだ」
コーネリアは私の恨みがましい目を無視し、聞きたくもない話を続けていく。
「姉貴は礼儀作法とかしきたりとか全然駄目だったし、俺は俺で騎士らしい戦いってのが致命的に向いてなかった」
「向いてなかった?」
私みたいに適性が偏っていたんだろうか。
少し気になったものの、クロードはあっさり流してしまう。
「ああ。で、大聖堂に所属する時、入れ替わった。俺クロードはコーネリア、姉貴はクロードとして身分詐称した。これはジーク様も知ってることだ。わかってると思うが、誰にも言うなよ」
「……わかってる。でも、どうして最初からクロードが司教でコーネリアが騎士にならなかったの?」
「あ? 何言ってんだよ、女が騎士になれるわけねえだろうが」
光の国では、女性騎士はいないのか。わずかな時間ではあったけれど金の国でも見た覚えがないから、これは世界全体で言えるのかもしれない。
……ここにきて今度は男女差別か。この世界ではギフトや魔法があるから、性差は日本と比べてほとんどでないだろうに。
本当に、この世界の最悪さは一貫している。
「それよりわかっているのか、クロード。毒が入っていたならば、疑われるのはおまえだ」
姉の方のコーネリアが、どこまでもマイペースに弟に言った。職務に忠実ともとれる唐突な話題転換だが、なんとなくコーネリアの性格が読めてきたような気がする。おそらく、天然なだけだろう。
「わかってる。けど、運ぶ直前に毒味もさせたんだ、どうやって」
「移動中は?」
私が問うと、クロードはむっとしたように答える。
「誰ともすれ違わなかったし、気配もなかった」
「なら最初から毒が入ってたんじゃないの?」
「それはありえねえ。大聖堂舐めてんのか?」
苛立つクロードに意図が伝わらなかったのに気づき、私は補足する。
「違う。仕入れから調理までの間に毒を入れて、毒味役にだけ解毒薬でも食べさせたんじゃない?」
ミステリーで読んだことのあるトリックだ。
クロードは考えるような仕草を見せた。
「毒味役は下働きの仕事だから、なくはねえけど……知らない奴から貰った薬を飲むとは思えねえ」
「でも、例えば直前に司祭服を来たヒトに珍しいお菓子の差し入れとかされたら、食べるかもしれない」
クロードは目を見開き、猛然と立ち上がるとヒトを轢き飛ばしそうな勢いで扉から走って出て行った。調理場に確認に行っているのだろう。
しばらくして戻ってくると、苛立ちまじりの声で吐き捨てるように報告する。
「当たりだ。毒味役の下働きに、司教服を着た女が差し入れを持ってきたらしい。土の国の珍しいお菓子だと」
司教服の女と聞いて、アナスタシアの姿が思い浮かぶ。
「同様のことがあってはまずいな。最早存在を隠す必要もないのだから、ナミ様は食堂を私と利用した方がよいのでは? 例の日まで、あと一日半だろう?」
「ん、そうだな。それでいいか?」
コーネリアの意見を受け、クロードが私に目を向けて尋ねた。
私としては、どこで食べようが食べられるものが出るなら構わない。
「いいよ」
短く答える。
クロードはそのまま私の部屋に残って部屋の片付けや毒物の処理をすると言うので、私はコーネリアに食堂まで案内されることになった。
食堂は広く、昼食の時間帯だからか司祭服や騎士の鎧姿が多い。私は注目を集めながら注文カウンターに並んだ。居心地はよくないが、視線から敵意は感じられない。近衛騎士団長と一緒に行動する見覚えのない私の姿に、興味でも持たれたのかもしれない。
わざわざ話し掛けてこようとするニンゲンはいなく、いたってスムーズに私はサラダとパンとスープのセットの載ったお盆を持って、空席に着いた。
コーネリアは多弁な性格ではないようで、昼食は無言のままに終わった。




