蝕まれた光たち
私の返答を聞くと、沈黙を保っていた白いローブの女性が口を開く。
「それでは、隣室へ。その装いでは不自然ですので、着替えを用意しております」
彼女に連れられ、近くの部屋に案内される。
内装は変わったところのない部屋だ。深緑色のソファに、白いクッションが二つ。壁には円環を模した幾何学模様のタペストリーが掛かっているが、装飾らしい装飾はそれだけ。
あとは、中央に置かれた質はよくてもごく普通の机や、室内灯があるだけだ。
机の上には畳まれた白いローブ。それと、小さな白い円環のトップがついたペンダントがその上に載せられている。
床の上には、故意にか少し履き古された感のある白い布靴もある。
「あれに着替えてくださいませ。秩序真教の司教の、一般的な服です。ペンダントは魔法の刻まれたマジックアイテムで、首にかければ髪と目の色が変わります」
マジックアイテムは、魔法を刻まれた道具だ。図形や文字を使い、魔法の効果を固定して刻み付けてある。
専門的な知識がなければ作ることができないため、下でも金貨10枚ほどからの値が付く。ましてや外見の変化なんて効果なら、いくらするのか考えたくないくらいだ。
ジークフェルは、どうやら私の正体を隠すのにかなり慎重に配慮してくれたらしい。
ローブの女性がいる前で着替えるのは多少気まずいが、言われた通りにしてペンダントを首から下げる。
すると、肩より少し長い私の髪の色が一瞬で変化する。
色は銀色。日本人顔の私にはどう考えても合わないが、印象が変わりさえすれば事足りる。とはいえ、あまり違和感があるようなら問題だ。
壁際で待つローブの女性に尋ねてみる。
「違和感はある?」
「そうですね……」
女性は頭の先から爪先まで丹念に視線を往復させると、何やら私をソファに座らせた。どこから取り出したのか、道具で後ろから髪を弄られる。
髪型を変えているのだろう。
少しすると解放されて、彼女は私をじろじろと見ると一つ頷いた。
それから執務室に戻り、ジークフェルと合流して会議の会場に向かう。
言い含められたことは一つ。
何か訊かれない限り無言で通すこと、だ。
長い回廊は天窓からの光が射し込んで明るいが、それだけに影の部分が際立つ。白い石床や壁に落ちる、黒い影。
高く反響する、足音。
ジークフェルが足を止めた会議室の扉は、両開きの焦茶色をした木扉だ。縁や取っ手の金の装飾が、光を受けてとろりとした輝きを放つ。
ジークフェルが小声で言った。
「ナミさん、扉を開けてください」
そうだ、部下がいるのに教皇本人が扉を開けるのは不自然かもしれない。
私は金のドアノブを回して開き、ジークフェルに続いて入室した。
席にはすでに5人の大司教たちがついており、2つ並ぶ空席のうち最も奥まった方にジークフェルが座る。
他の大司教たちの後ろには一人ずつ私と同じような白ローブが立っており、私もそれにならってジークフェルの後ろについておく。
白ローブや大司教たちの隠そうともしない視線が私にまとわりつく。ローブの下、太腿の内側にホルダーで固定した短剣に手が動きそうになるのを堪えながら、気を紛らわせるために大司教たちを観察する。
会場にあるのは大きな円卓で、ぐるりと囲むように七つの布張りの椅子が置かれている。
私の前に座るのが、ジークフェル。傀儡の少年教皇。
その一つ右が空席で、おそらくリーデティアが座るのだろう。
反時計回りに見ていくと、その次の椅子に座るのが金髪の女性。……女性だ。宗教では女性はあまり高位の聖職者になれないイメージがあるが、秩序真教は性差に寛容なのだろうか。
金髪の女性は白いローブを着崩し、胸元を大きく開けている。ローブの裾も腰までのスリットが入っていて、煽情的なロングスカートのような有様だ。
真っ直ぐの金髪は長く、前髪は中央から脇にかけて短くなるように切られている。赤い目は垂れていて、口元には薄い笑み。
なんとなく、私の苦手なタイプのような予感がする。事実、彼女の視線が一番察知しにくい。
扉を挟んで左右には、まったく同じ中性的な顔。黒に近い紫色の髪と瞳のまだ若い二人だが、右の人物の片目だけが青い。
なんだかぼんやりとしているような夢うつつな様子だ。
後ろにつくフードを被った二人の白ローブも、隠そうとはしているが不安そうに彼らの主人を見ている。
その次が、聖職者らしからぬいかつい顔の、壮年の男性。大口を開けて欠伸して、いかにもだるそうだ。
あまりヒトの年齢を当てるのは得意ではないけれど、40から50くらいに見える。黒い髪を短く刈り込み、顎髭を生やしている。円卓の角度的に見えにくいが、腰に剣帯らしきものをつけているようだ。
聖職者は基本的に前に出て戦わないから、見間違えかもしれない。
秩序真教の聖職者は神聖魔法を使えないとなれないのだが、神聖魔法といえば治癒魔法。論理魔法は解毒などはできても治癒はできない。精霊魔法の一部と神聖魔法にだけ、治癒はできるのだ。
そのため神聖魔法の使い手は、前衛をせず聖職者としての能力を磨く場合がほとんどだとリディアは言っていた。
その隣、ジークフェルの左が温厚そうな老人。完全に白くなった髪を肩近くまで流していて、終始笑っているような表情だが、アイスブルーの目は冷たいを通り越して氷点下。
私への視線の当たりが、この老人はかなり強かった。敵意どころか殺意混じりだ。今も肌が粟立つようで、短剣を抜きたくなってしまう。
誰も彼も癖が強そうだが、この全員を抱き込んでいるというリーデティアは、どうなっているのだろう。慈愛の塊のようだったリーデティアからはまったく想像できない。
そもそもかつての彼女は、権力や謀略への関心はなさそうだった。
無音の時間が流れるなか、ドアが音を立ててリーデティアが入室してくる。
リーデティアは……何も、変わらない。桃色の波打つ長い髪。紫色の瞳は眩しいものでも見るかのように細められ、微笑が顔に浮かべられている。
声を出しそうになったが、ジークフェルが身じろぎして立てた音で我に返った。
でも……そこには、あの日と変わりないリディアの姿がある。涙を堪えるため、私は長めの瞬きをした。
リーデティアは部屋を見回して────私には反応もせずに、ジークフェルの隣に腰を下ろした。
「遅れて申し訳ありません。会議を始めましょう」
リーデティアのその一言で、会議が始まった。
内政的な話がほとんどで、いたってスムーズに話が進んでいく。
各地で増えたモンスターや、多数の新種モンスターによる相次ぐ被害。それに伴う対応や補償の話、冒険者ギルドとの連携。
食料の輸送や兵の派遣、活躍した者への褒賞など、次々と議題が捌かれていく。
煌都の賑わいを見る限り実感はないが、少し日の当たる場所を外れれば、モンスターの被害は確実に存在するのだろう。
最後の議題は、煌都で流行している原因不明の流行病についてだった。
冷たい目をした老人が、資料を片手に現在把握している情報を述べていく。
「煌都で、原因不明の病が流行っておることは知っておろうな。大聖堂の奉仕所も、その治療依頼で溢れておる。……アナスタシア」
白ローブを着崩した金髪の美女が魅惑的に微笑み、後をつぐ。
「奉仕所ではモチロン、教徒の治療を無償で行っているのだけど」
「何が無償だ、白々しい」
顎髭を生やした壮年の男が、いかつい顔を嫌悪感でゆがめて対面の女に吐き捨てた。
「……無償よ、ネイオス? ワタシたちは報酬を求めたことなどないわ」
「知っている。だから、お布施と称した賄賂で治療師の腕を変えてみたり、魔力切れだと言って治療をたまに断ったりしてるんだよな」
「何のことかしら。部下たちはそうしているのかもしれないわね……ワタシの不徳だわ。だけど、ワタシ自身は部下にそうした命は出していないの。……本当よ、信じて?」
アナスタシアは懇願するように、上目遣いで涙さえ浮かべてみせる。
つまり、部下にやらせておいて『それは部下が勝手にやったことだから自分は知らない』と言っているのだ。
おそらく部下にやめさせろと言ったら言ったで、『金を払ってでも腕のいい治療師に治してほしいと言われたから便宜を図ってやっているのではないか』、『何人も治療するのだから魔力切れにならないはずがない』とでも答えるのだろう。
そして何かあれば、『ワタシは知らなかったわ』か。
アナスタシアがどうして苦手かわかった。この女のやり口は、どことなくテンペランティアと似ているのだ。
ネイオスもアナスタシアの性質を理解しているのか、舌打ち一つで引き下がった。
アナスタシアは、悲しそうな表情で言う。
「総力を尽くして流行病の治療にはあたっているわ。けれど、ダメなのよ。症状は魔力と体力の欠乏だから、回復魔法をかけて安静にしていれば治るはずなのに、また数日もすると元通りよ」
「……そうか。こうなりよると、最早神のお声でも聞かんといけんのやもしれん」




