迷いを照らせ
目が覚めると私は、あてがわれた客室のベッドで寝ていた。
朝日が窓から差し込み、白と淡い緑を基調とした落ち着いた室内を照らしている。体を起こそうとすると、右肩が疼く。ローブの肩口から手を入れると、包帯が巻いてあるのがわかった。
昨晩のことを思い出す。暗殺者の毒が塗られた投げナイフが刺さり、私は……。
失態に唇を噛みしめる。自分の無力、驕りを思い知り、惨めだった。
力が篭りすぎて唇を噛み切りそうになったところで、歯を離す。失敗に引き摺られるよりも、今は現状の把握をするべきだ。
ジークフェルはどうなったのだろう。術者の私が倒れると、魔力の供給がなくなるから死霊のリディアも消えてしまったはずだ。
ベッドから降りて、ジークフェルを訪ねようと使っている客室を出る。開いた部屋の扉のすぐ脇には、どういうわけか騎士が一人立っていた。
栗色の髪は緩く波打ち、銀色の全身鎧の肩口に落ちている。騎士が振り向き、その灰緑色の瞳が私に向けられた。
「……目覚めましたか」
「あなたは?」
見覚えのない人物への警戒を滲ませながら問うと、騎士は口元だけで苦笑してみせた。
「私はクロード。ジークフェル様の近衛騎士の一人だ。貴君は私を覚えておられないかもしれないが、昨晩は助かった。感謝する」
彼の顔をじっと見ていると、微かに見覚えがあるような気がしてきた。暗かったから断言はできないが、もしかすると。
「暗殺者のリーダーと戦ってたヒト?」
クロードは首肯した。
「ジークフェルは無事なの?」
「ああ。貴君の死霊は強いのだな。私が部屋に駆けつけた時には、私でも内部に入れないほどの結界が施されていた。夜明けまで、部屋を封鎖し続けていたよ」
部屋の外にいたのが騎士だった時点で大丈夫だとは予想がついていたが、ジークフェルは守りきれたようだ。大事な協力者の生存に、安堵の息が漏れる。彼が生きているなら、私の失態もまだ大失態というほどではない。
それで、とクロードは言いにくそうに、気遣わしげに眉尻を下げた。
「できれば今すぐにでもジークフェル様の護衛に戻って貰いたいのだが……可能か?」
「大丈夫。治療もしてもらったみたいだし」
右肩は動かすと多少疼痛がするものの、支障があるほどではない。この調子なら戦闘も充分に可能だ。
「頼もしいな。それではジークフェル様の元まで同行しよう」
クロードに先導され、ジークフェルの執務室へと移動する。
最初に通された趣味のいい部屋はジークフェルの私室だそうで、執務室はその隣に別に存在する。
私の使う客室は中でも彼の部屋に近いのだが、彼によればその方が護衛するのにもやりやすいだろうし、情報が漏れるのを防止するうえでも便利らしい。
クロードが執務室の扉を叩き、中へ声をかける。
「失礼します、近衛騎士クロードです。客人のナミを連れて参りました」
「入ってください」
ジークフェルが返し、クロードの手で扉が開かれる。彼に続いて部屋に入ると、ジークフェルは大きな木製の執務机で書類に目を通していた。
本人に訊いたところ、彼の年齢は13歳だそうだ。もっとも彼は小柄なため、いくら顰め面をしていても、せいぜい小学生が宿題をやっているようにしか見えない。
執務室は左右に聳えるように大きな本棚があり、蔵書でみっしり埋め尽くされている。光の国には王はおらず、教皇がそれと同じ役目を果たしている。今手に持っているのも、机に積み上げられている書類も、私にはさっぱりわからないが重要なものなのかもしれない。
やがてきりのいいところでジークフェルが顔を上げ、質問してくる。
「ナミさん、毒を受けたそうですね。体に問題はありませんか?」
「ない」
「そうですか。それならば大勢に影響はありませんね。ナミさんは今日はこのまま、昼まで僕の護衛をしてください。クロードは一度抜けて、昨晩の損害による護衛のローテーションの組み直しを」
「はっ、了解いたしました!」
クロードは右手を胸の中心やや左、心臓の上に軽く当てて敬礼し、退室した。
護衛のローテーションを組むということは、彼は近衛の中でも上層部のニンゲンなのだろうか。
ジークフェルが、私の疑問を読み取ったようなタイミングで補足する。
「クロードは、僕の近衛騎士団で団長を務めています」
私は、近衛騎士団団長を部屋の前に立たせていたわけか……。
客人の護衛も彼らの役割ではあるのだろうが、私の場合は客人というのは名目。実質は教皇の護衛だ。昨日まで、部屋に騎士が護衛としてつくこともなかった。
情けないような、ありがたいような複雑な気分。
落ち込みつつ、しっかりしなくてはと思いながら部屋の入り口近くに控える。
騎士なら部屋の前に立ち取次ぎも兼ねて護衛をするのだろうが、私に求められているのは戦闘能力のみ。さらに客人という名目から、部屋の前に突っ立っていたら違和感あることこの上ない。
この部屋の前には今もしっかり、入室した時と同様に騎士が立っていてくれているはずなので、私の持ち場はここだ。
魔法やヒトの気配を探りながら、ただひたすら立っている。
昼間からおおっぴらに狙ってくる暗殺者は今のところせいぜい日に一人といったところなので、今日はこれだけで終わるだろう。
別に24時間ひっついていなくても、ジークフェルには【未来予知】がある。私は彼が予知した必要な時だけ彼の指示を受け、そうでない時は基本的には昼から夜にかけて眠る。後はほとんど、こうして控えることになっている。
紙の擦れる音に紛れて時折ペンの動く音が満ちる室内。
しばらくして、秩序の円環が胸元に刺繍されただけの白いローブを着た女性が部屋に入ってきた。栗色の髪は綺麗なシニョンに結い上げられ、後頭部で纏められている。
どこかで見た顔だと思ったところで、すぐに思い至った。女性の顔は、クロードによく似ていたのだ。もしかしたら血縁関係があるのかもしれない。
女性の入室と同時に、ジークフェルの手が止まった。顔を上げ、呟く。
「もう時間ですか」
「はい、そろそろ準備を……」
首肯した彼女は、横目で私を視界に収めた。
「ジークフェル様、ナミ様はいかがいたしましょう」
「同行してもらうのが望ましいですが……リスクもあります。やはり本人に確認するのが最良でしょう」
ジークフェルが私に向き直る。
「ナミさん、僕はこれから教皇として会議に出席します。出席者は、5人の大司教と聖女リーデティア。護衛として同行してくれた方が望ましいですが、あなたの正体がリーデティアに露見する恐れがあります」
リーデティアが私を暗殺しようとしていたとジークフェルは言っていた。もしそうなら、私がまだ生きていると知られると追加の暗殺者が派遣されるかもしれない。
いや、それ以前に。
「私を暗殺できなかったのを、リーデティアは知らないの?」
「そのはずです」
ジークフェルは席を立ち、書類を鍵付きの引き出しに仕舞いながら言う。身長が低いため、その体完全に艶やかな飴色をした机の後ろに隠れてしまっている。
「ナミさんを案内するのと同時進行で、重犯罪者の女をあの応接間に置いておきました。髪を染めて、目に色ガラスを嵌めさせて」
髪と目の色が同じ人物は珍しいですし、ナミさんは最近まで水の国から出たことがなかったので簡単に騙されてくれました、と。彼はそう続けた。
声は平坦だが、言っていることはなかなかにえげつない。外見年齢と中身がここまで不一致だと、もはや不気味だ。
「……子供が考えることじゃないね」
「そのくらいできなければ、僕はここにはいません。とうに死んでいます。それに、ナミさんが死んでいると思わせた方がやりやすいです」
確かに、自分も命を狙われているのに私への暗殺者まで押しかけてきたらたまらないだろう。
ジークフェルは書類を提出片付け終えたらしく、机の後ろから出てきた。
「それで、どうしますか?」
「私は行く」
ジークフェルの護衛は彼との取引きだ。それをやりきるためにも、リーデティアの様子を見るためにも、行かないという選択肢はありえなかった。
私はまだ、リーデティアが本当にモンスターなのかを確信していない。
私は、この目で見なくてはならない。
リーデティアを手にかける覚悟を、決めるために。
来るべき時に、迷わないように。




