水源
「若いねえ」
窓口の向こうで、ルアンナは肉食獣のように目を細めた。
「あなたに比べればそうだろうね」
「いや、あんたもさ」
私も……?
年齢はジュンヤと同じくらい若いけど。
ルアンナは振り返り、奥に声をかける。
「ネーフェ、仕事だよ! 昨日の水死体騒ぎの調査だ。体験者もつかまった」
「はい」
返事が聞こえ、窓口が並ぶカウンターの隅にある扉から、一人の女性が駆けてくる。
「ナミ、この子が調査に同行させるあたしの部下、ネーフェだよ」
ルアンナの部下として紹介されたのは、魚人族の女性だった。控え目そうで、どちらかというと地味な印象だ。
彼女は丁寧に一礼した。
「ネーフェと申します。宜しくお願いします」
「……【潜水者の街】の、ナミ。よろしく」
ネーフェはルアンナの方を一瞥すると、ゆったりと口を開く。
「それではまず、昨夜のモンスターの出現地点へ向かうということでよろしいですか?」
私は無言で頷いた。
宿屋【眠り魚亭】。そのすぐ近くの路上から、浅く水の流れる水路を見下ろす。
昨晩の名残か、薄くはない腐臭が鼻を刺激する。
「ここ、ですね?」
「そう」
私がそっけなく答えると、唐突にネーフェは水路へと飛び降りた。濃紺のゆるいサイドテールが、空中に軌跡を描く。靡く、ギルド職員に与えられる制服の裾。
「なっ!?」
私の驚きをよそに、彼女は危なげなく着地する。ブーツに包まれた足の脹脛までを水に浸して、そのまま水路の調査を開始した。屈んだり実際に壁面を触ってみたりしながら、目を凝らす。
「水路の壁面に、物理的な仕掛けはないようです。魔法の気配や魔法陣も見当たりません。どちらからモンスターが来たのか、わかりますか?」
こちらを見上げるネーフェ。
私は昨夜、女将の後を追っただけだから、モンスターの来た方角までは見ていない。
「知らない」
「そうですか。何らかのギフトの効果なのでしょうか……」
ネーフェは困ったように言うと、水路から大きく跳躍して路上に戻った。かなりの脚力だ。
冒険者は、便宜的に戦闘スタイルや技能で、職業と呼ばれる複数のタイプに分かれている。私なら、魔法の中でも死霊術を使うから、死霊術師。
ここまでの機動力を持つということは、彼女はレンジャー系か戦士系なのだろう。……おそらくはレンジャーか。背中に弓を背負っているから。
脳裏に、最早いなくなってしまった仲間の一人、綺麗な顔をしたエルフの男性の影がちらついた。
私は一度だけ目を閉じ、感傷を振り払う。目を開いた時には、なんとか気持ちの切り替えは済んでくれた。
これでもギルドからの依頼だから、文字通り"いるだけ"なのはまずい。
幸いにして、私の仕事はありそうだ。
……死霊の気配がする。それも、かなり濃密に。
私は短剣を抜き、魔法を紡いだ。
「……『来たれ』」
呪文と同時に辺りに魔力を撒き散らす。多分、一体くらいは実体化するだろう。
閉塞感のある息苦しい空気が、私を中心に満ちて行く。ネーフェは顔も顰めずに、成り行きを見守る。表情は落ち着いていても、彼女の肌は粟立っていた。
音もなく、眼下の水路中央に、半透明の男性が現れた。ガラスに映る像のように薄い体は、魔力を私が垂れ流す度に少しずつ濃くなっていく。
造作が見分けられるくらいまでになったところで、私は魔力を止めた。
「……凄い」
ネーフェの感嘆が聞こえる。賞賛というよりは畏怖の強い声。こんな声を聞くのも久しぶりだ。
死霊術師は不吉だから、この世界では疎まれている。ジュンヤはそんなことを知らなかったようだし、みんなといた時は気にすることもなかった。
かつて一人でランク上げをしていた時以来の反応に、ほんの少しだけ寂しさを感じる。
私は死霊へと、簡潔に問う。
「どこから来た?」
実体化した死霊の腕が、持ち上がる。棒のように真っ直ぐなそれは、水路の上流の方に向けられていた。
「あっちだね」
私が声を発すると、びくりとネーフェの背が跳ねた。思い出したように、少し遅れて返事がされる。
「……はい」
私たちは、ときどき死霊を呼び出し案内をさせながら、上流に誘導されていった。
水路を死霊の案内に従って辿っていくと、最後に行き着いたのは小さな教会の裏手だった。
そう高さのない崖の岩肌に、人が三人ほど並んで入れそうな洞窟が、歪な輪郭の口を開いている。
入り口には粗く格子がかけられ、中からは結構な勢いで水が流れ出す。
「ここは……町の水源です」
ネーフェが洞窟を見上げて言った。
「通りで」
「どうされたのですか?」
「……慣れたから、感じないんだね。ここ、臭う」
私は顔を顰めた。
意味がわからないといった顔のネーフェに、説明する。
「……腐臭。それも腐肉を溶かした水みたいな臭い。この町だけじゃなくて、外でも嗅いだ」
「腐臭、ですか。水死体がここから来たのは間違いないようですね。水源の管理は、そこの教会の司教の方が行っているはずなのですが」
「確認したら?」
ネーフェは思案顔をして、首を横に振る。
「その前に一度、報告を上げて指示を仰ぐべきかと」
「そうするまでもない。教会の中から、死霊の気配がする」
ネーフェは弾かれるように、小さな教会を見た。
私は詳しく気配を探る。
「……一人やそこらじゃないね。ここには誰が住んでたの?」
「ここは、孤児院も兼ねておりました」
信じたくない、けれど仕方ない。そんな葛藤と、幾ばくかの諦めを滲んだ声だった。
冒険者は常に危険と隣り合わせ。最悪の想定をしておくことができるニンゲンでなければ、務まらない。それはギルド職員の彼女にも言えることらしい。
「水源から来る死体に、死霊の気配。何もないとは思えないよ。ちゃんと調べるべきじゃないの?」
「ですが……」
まだ躊躇う彼女に、洞窟から流れ落ちる水を受けている水路の片隅を指し示す。そこにあるのは、教会の施設に付属するようになっている水車だ。
「あの水車、壊れてるし。管理人が生きてるなら、修理するはずでしょ」
ネーフェの迷うようだった目が伏せられ、諦念で色を深くした。
「……はい。孤児たちと司教は亡くなっていると考えた方がよさそうです。確認を、とるべきですね」
その時、微かな音が聞こえた。教会の扉の中からだ。
大量の死霊の気配がする建物に、生きたニンゲンがいるとは考え難い。
ネーフェは悲しげなサファイアブルーの瞳とは対照的に機敏な所作で、背中に背負った彼女の武器……長弓を取った。小さな青い魔法陣が宙に生じ、水の矢が生み落とされる。
彼女の左手はそれを指に挟むと、滑らかな一動作で射る。
教会の質素な木の扉に、透明な矢が突き立った。




