虚像に問う
自室に戻り、部屋の隅に座り込む。
地底湖のディルは、『努力しても報われないなら、何もしない方がいい』みたいなことを言っていた。
女将の話を聞く限り、そう考えるのも無理はないように思える。
だが、あれがディルだとしたら……。
「私はディルを」
討伐しないといけないの?
膝を抱えて、頭を押し付ける。
無闇にみんなを喚ぶのは控えていた。死霊術は、死者を使役する魔法。みんなを道具みたいに使うのは嫌だった。
けれど、私はポーチから紙包みの一つを選び出して、掌に乗せる。
「『来たれ』」
魔法の行使に必要な無駄に厳めしい言葉を放つと、黒い光が集まり、目の前にディルが現れた。
死霊術はまだ未解明な部分が多い。死人の魂を使うらしいということはわかっていても、それ以上は謎だ。
ここにいるのはディルだけど、違う。
無駄だと知っていても、私は問わずにはいられない。
「あなたは。いや、あなたが、ディルなんだよね……?」
答えはやはり、返ってこない。
ディルは無表情に、金色の目で私を見下ろす。
すがるものが欲しくて、腰に手をやった。だが、ホルダーは空だ。短剣は未だ、私の手を離れたまま。
形見になってしまった短剣もローブも、今はない。
私がすがれるのは、過去の記憶だけだった。
みんなと過ごした日々の、思い出。
酒場で出会った女性流に言えば──誰もが忘れたくなどない、記憶。
ディルが消え、紙包みが床に落ちる。私は暗い部屋の隅から、それをただ見つめていた。
小さな音がして、跳ねるように顔を上げる。扉が細く開いていた。
紙包みを拾ってドアへ向かうと、扉の影に隠れるようにして、二ジェが所在なさげに立っている。
「二ジェ……?」
「あのね、お兄ちゃんのところに行ってあげてほしいの」
二ジェは寂しそうに言うと、隣室に目をやった。
「お兄ちゃん、げんきがないの。二ジェがんばったけど、だめだったの。お兄ちゃんはわらってくれたけど、でもむりしてる」
容易に想像がついた。また甘いことを考えて、うじうじ悩んでいるんだろう。
私の胸に、苛立ちが募る。
二ジェの緑色をした大きな瞳には、幼いながら無力感が潜んでいた。
「二ジェがいると、お兄ちゃんはむりするの。お姉ちゃんは……お兄ちゃんのこと、二ジェよりもわかっているから」
ジュンヤの悩みは二ジェの言うとおり、私の方がわかるだろう。あれは、この世界の人間には縁のない悩みだ。
「他の二人は?」
私よりも、【フランベルジュ】のメンバーが行けばいい。そう意図した質問だったけれど、二ジェは首を横に振った。
「ピーネお姉ちゃんは、このまちのぼうけんしゃギルドにいったの。御遺体処理、をたのむんだって。リクシャお姉ちゃんは……」
二ジェは表情を曇らせる。
「……ギルドのちりょういんで、おとまりなの」
リクシャの手の怪我は重症だった。神聖魔法を使って本人が治したとはいっても、きちんと治療を受けることにしたのだろう。
リクシャの怪我は、自己責任だ。未熟さと考えの甘さが招いた、自業自得。……しかし、私なら防げたかもしれない。
リクシャのヒステリックな叫びが、耳の裏で再現される。
苦い想いが、胸をかすめた。
「わかった」
私は承諾して、隣室へ向かった。二ジェは、泣き出しそうな、少し悔しそうな顔をしていた。
私が扉を開くと、ジュンヤはベッドの上でびくりと背を震わせた。かなり精神にきているらしい。
「ナミ……? どうして」
「二ジェに頼まれた」
部屋に入り、ベッドの脇へと歩む。
ジュンヤはうわ言のように呟いた。
「おれ、おれは人を……」
情けない様子を見ていると、苛立ちが増してくる。
私が吐いたのは、励ましではなく弾劾の言葉だった。
「あれは人じゃなくてモンスター。あなたはモンスターを討伐するのもできないの?」
「そんなことは」
「……あなたの判断とくだらない悩みのせいで、仲間まで危険にさらしておいて?」
ジュンヤはシーツを握りしめた。
私の口は感情に任せて、無慈悲に言葉をついでいく。
「私のとき、敵がヒトっぽい見た目っていうだけで、動けなくなったよね。ピーネが盗賊に斬られそうになったこともあった」
ジュンヤの顔は歪み、悲痛と悔恨が皺を刻む。
「ねえ、気付いてる? 今のあなた、リクシャが手首から先をなくした時よりも取り乱してるよ。あなたにとって、仲間ってそんなものなの? それとも、この世界で、そんなことで生きていけると思ってる?」
「……おれ、は」
「いいかげん割り切れば? このクソッタレな世界で生きるには、そうするしかない。仲間を、自分を守るには、犠牲が必要なんだよ」
ジュンヤは顔を上げて、叫んだ。
「おれはどうすればいいんだよ!?」
ジュンヤはベッドから立ち上がり、私に詰め寄る。
「なあ、おれはどうすればいい!? ……誰も」
部屋に備え付けられた照明が照らすジュンヤの顔は、くしゃくしゃだった。
「誰も、傷ついてほしくないんだ」
──惨めで、みっともない。なんて、弱い顔。
ジュンヤの考えは、私が捨ててしまったもの。もう持ち得ないものだ。
だからこそ、それをまだ後生大事に抱え込んでいるジュンヤを見ていると、羨ましくて、妬ましくて。
感情を制御できない。
「そんなのは無理。倫理観なんか持ってたって、邪魔になるだけだよ。捨てた方が……楽だ」
「おれにはできない」
「なら死ぬだけ。あなたが死なずとも、仲間が死ぬ」
これ以上ジュンヤに語ることはない。私は彼に背を向けた。
……ジュンヤがこれからどうするのかは、わからない。酷いことを言った自覚はある。けれど、私のように割り切るのも、甘さを捨てられないままどこかで死ぬのも、どちらも嫌だと思った。私が捨てたものを持っているジュンヤには、そのままでいてほしい気もするのだ。
だから、ジュンヤの顔を。決断を見たくなかった。
「待ってくれ」
ジュンヤに呼び止められ、振り向く。差し出された手には、私の短剣があった。
「地底湖の洞窟で落としただろ」
もしかしたらもう戻ってこないかと思っていた。信じられない思いでそれを受け取り、胸に抱える。
慣れ親しんだ重みは、欠落を埋めてくれるようだった。
「ありがとう」
ジュンヤの目を見る。ジュンヤは驚いたように私の顔を凝視していた。
構わず続ける。
「……ありがとう。とても、大切なものなんだ」
「いや」
ジュンヤの視線が刺さる。
「おまえ……そんな顔もできるんだな」
「…………?」
「いや、そういうふうにしてると、普通の女の子に見える」
今の私は、魔術師や治癒士にありがちなローブを脱ぎ、普通の服を着ている。暗赤色のスカートと、白いブラウスのような服。一見、戦いや冒険と無縁な一般人にも見えるだろう。
だが……。
「それはないよ」
私は微笑み、短剣を腰のホルダーに収める。
「見た目はともかく、私の思考はもう一般人じゃない」
私は身を翻し、今度こそジュンヤたちの部屋を出た。
忙しい時期に入りつつあるので、しばらく更新は難しいかもです。
ひと月は空かないと思うんですけど。




