交差する水路
パティエンティアの首都は、中央市街と呼ばれている。太いいくつもの水路に大小様々な橋が並び、白い石畳の敷かれた街。家にも白い石材が使われることが多いから、上から見たら白地に水色の水路の蜘蛛の巣みたいに見えるだろう。
街の全体を深い水路が囲み、堀のような役割を果たしている。東西南北4箇所の出入り口にはそれぞれ頑丈で幅広の橋がかかっていて、有事の際にはそれを落とすことによって敵の侵攻を防ぐらしい。
道道ジュンヤたちは私に置いていかれそうになりながらも、消耗品などの買い足しをしてついてきていた。
そうしてやって来た北の出口。
普段なら商店が並び、静かながら賑わう北の大橋前広場には、たくさんの人が集まっていた。半死半生といった風情の人々が血を流してうずくまり、うめき声がそこかしこから聞こえてくる。
特設されたテントから、秩序の神を崇める人々の証である僧服を着た人々が、怪我人を治療しにとびまわっている。
「どういうことだよ」
困惑げにジュンヤが言った。
「知らない。興味ない」
それらを無視して通り過ぎようとすると、近くに停まっていた馬車の影から何者かが飛び出した。
スリか何か、どうせロクな人間じゃない。
私は手首をひねってホルダーから短剣を抜き、進路を妨害するソレの首に添える。
ソレは、肥満体の男だった。
「ひ、ひぃ!」
目を細め、引き攣れた声をあげる男を観察する。短剣をそのまま喉に押し込もうかどうしようかと逡巡していると、ジュンヤに無理やり腕を下ろさせられた。
「いきなり何やってんだよ!?」
「…………」
無表情に肥満体の男を見下ろす。男はすっかり怯えて、白い石畳の上に尻もちをついていた。身なりは悪くない。放心気味の表情を見るに、どうやら敵ではないようだ。
ディルから貰った短剣を不用意に血で汚したくないので、ホルダーに戻す。
男は恐怖のためかしばらく浅い呼吸を繰り返していたが、やがて猛然と立ち上がり、私に詰め寄った。
「おい嬢ちゃん何すんのや! 慰謝料払わんかい、慰謝料を!」
ジュンヤは絶句。男の出す声のあまりの大音量に、私は右手で軽く耳を塞いだ。
「おう、あないなことしとって謝りもせんのかいワレ! 上等や、名乗りぃ!」
「ジュ、ジュンヤ……」
男の剣幕に押され、隣のジュンヤが名乗る。こいつが名乗ってどうするんだろう。
ジュンヤを呆れた目で見ていると、男は唾を飛ばして喚き散らす。
「あんたやない! 嬢ちゃん、あんたに聞いとるんや!」
「……ナミ。名乗ったんだから少し黙って。うるさい。あと唾が飛ぶ」
私の名前を聞いた男は太った腹を揺らして前のめりになり、私の顔をじろじろと眺めた。訝しげに、音量をやや落とした声で呟く。
「ナミ? ……黒髪黒目、女、ナミ。まさか、潜水者の街のナミかいな?」
「…………」
もう潜水者の街はない以上、何も答えられない。男は私の沈黙を肯定ととったらしい。うってかわって人懐っこく破顔する。
「ワイ、高ランク冒険者を探しとったんや。渡りに船や! あんたに声をかけようとしたんも、そのためでな。なあ、護衛依頼を受けてくれんか?」
「嫌」
「そないなこと言わんで、頼む! モンスターが強うなったり新種が出たりしとるから、護衛依頼を受けてくれる冒険者が少のうなっとるんや。慰謝料代わりと思ってここはひとつ!」
両手を合わせて拝むようにされる。
モンスターが強くなった? 新種が出た?
だから何なの?
「嫌」
「おれたち行くところがあるんで……」
ジュンヤもおずおずと断った。
さりげなく『おれたち』と言って私まで一緒に扱われ、不愉快きわまりない。ジュンヤを睨む。
ジュンヤはたじろいだようにどもる。
「なっ、なんだよ睨むなよ。これから地底湖に行くんだろ?」
「一緒に扱わないで。不愉快」
そんなことを言い合っていると、男は明るく言った。
「あんたたち、地底湖に行くんか? ワイの目的地はテンペランティアやから寄り道ってことで、護衛依頼を受けてくれるんなら馬車に乗せてったるよ?」
私がぴくりと反応すると、男は親切そうな笑顔の裏にしてやったりというほくそ笑みを隠した。
馬車が使えるなら、移動速度は格段に上がる。潜水者の街もそうだったが、冒険者はあちこちを飛び回るから管理ができないので、移動手段はもっぱら徒歩なのだ。
そして、個人で馬車を所有して護衛を雇うだけの資金力を持つ職種の者は、限定されている。
「馬車を持ってこんなところにいるってことは、あなたは商人だね」
「おう、ワイは商人ギルドに所属しとる、れっきとした商人や。ヘゲロペ言います。店はテンペランティアにあるんや、リュジャ商会言うてな。パティエンティアには仕入れで来た」
護衛依頼なら、潜水者の街でもこなしてきた。私ひとりでは戦力に不安は残るけれど、おそらくレベル差でごり押しできる範囲だろう。
少し悩んだ末、頷く。
「護衛依頼を受けよう。依頼はギルドを通す?」
ギルドを通した方が安全性は高まるが、手数料をいくらか取られる。それなりに実力がある冒険者なら、冒険者ギルドを通さずに依頼を受けることもある。そういう依頼は、個人依頼と通称されている。
「いや、予定が遅れとるんや。すぐにでも発ちたいから、ギルドは通さん方がええ。個人依頼で嬢ちゃんの個人受注ってことでええか? 料金は……日当銀貨1枚くらいやな」
「銀貨1枚? 商人にしては……」
商人は交渉ごとではふっかけてくるのが当然だ。熾烈な値段交渉が繰り広げられるかと思いきや、いきなり意外な高報酬。
銀貨1枚といえば、1万円くらいだ。
「モンスターがハンパなく強うなった。そのくらいで安全が買えるなら安いもんや。そのへんで呻いてるんも、ほとんどがモンスターの犠牲者やで」
「待ってくれ、おれも受ける!」
ヘゲロペと話がまとまりかけたところで、ジュンヤが声を上げた。存在が薄くて、そういえばいたんだったかと思い出す。
ヘゲロペが尋ねる。
「あんたは何や?」
「おれはAランクギルド『フランベルジュ』のジュンヤだ。今はナミに同行している」
ヘゲロペは品定めする商人の目でジュンヤを見た。やがて呟く。
「……Aランクギルドか。戦力としては十分やな。ええよ。依頼内容は馬車一台とワイ、それに部下一人の護衛、期間はテンペランティアに着くまで。途中地底湖を経由。日当は一人頭銀貨1枚。出立はこれからがええんやけど」
「私は構わない」
「おれもいい」
ヘゲロペは満足げに頷き、馬車の方を振り返った。
「ミィシィ、おるか!?」
馬車の中から何やら物音が聞こえ、そばかす顔の赤毛の少女が転げるように降りてくる。
「はいぃ、おります、おりますからぁ!」
なぜか涙目の彼女は、地面に足を着くと同時に自分の足にもう片足をひっかけて転んだ。
「あわわっ!?」
「慌てすぎや。落ち着き」
ヘゲロペは諦めがありありと感じられる表情でかがみ、ミィシィに手を貸した。ミィシィはよろめきながら立ち上がり、転んだ勢いで傾いた眼鏡を直している。
そしてこちらを向くと、腰からぽっきり折れそうな勢いでお辞儀をした。
「初めましてミィシィと申します! えっと、リュジャ商会の見習いですっ。よろしくおね、ぃた。よろしくお願いします!」
途中で噛みながら、ミィシィは挨拶を言いきった。
「出発しよ」
ヘゲロペの一声で、私たちは商品に圧迫されて狭い馬車の荷台に乗り込んだ。




