滴る水の音
補給もせずに、ずっとここまで歩いてきた。眠ろうとすれば虹色の光が眼下にちらつき、物を食べようとすればぼとりと落ちたエルヴィンの腕を思い出す。そんなことの繰り返しだった。
やっと着いた冒険者ギルドに、ぼろぼろになった体を引きずっていく。感覚はどこか鈍く、何も考えられない。
木の扉を押し開ける。
冒険者たちの賑やかな話し声が聞こえるのも、水の中から聞いているように不鮮明だった。
ふらつく足を意思力で動かし、カウンターに向かう。
「ギルドマスターはいる?」
「……え? ギルドマスター? 奥にいると思うわ。でもどんな要件かしら。それに、どうしてそんなぼろぼろの……」
「いるならいい」
受付嬢は焦ったように私を引きとめようとする。
それを無視して、奥の扉へと入る。
鈍い喧騒も遠のき、聞こえなくなる。いくつも部屋が連なっているなか、気配を探って私はある一室を見つけた。奥から二番目の、小さな扉。防護の魔法の気配がかすかに感じられる。
扉を開くと、執務机に座ったギルドマスターが、こちらを一瞥した。
「……報告が、ある」
「忙しいんだ、後にしろ」
すげなく言い放ったギルドマスターは、無精髭の生えた顎をさすりながら、書類を吟味している。
「潜水者の街は、全滅した」
「おい嬢ちゃん、冗談にもほどがあるぜ。カスターの堅物野郎はどこ行ったんだ? ったく、メンバーの世話くらいしとけってんだ」
「『来たれ』」
懐から髪の包みを一つ取り出し、カスターを喚ぶ。一度既に荒地で死霊術を使っているから、喚びだすのは簡単だ。
すぐさま私の隣に、白銀の甲冑に身を包んだ青白い顔の聖騎士が立つ。
「潜水者の街は、私以外みんな死んだ」
鈍い世界の中で、宣言する自分の声だけがいやに大きく聞こえる。
壊れたような無表情で、私の悲しみも無念も胸に閉じ込め、私の口は自動的に動いた。
「生き残ったのは、私だけ」
そして、ようやく。
私は、世界じゅうのどこを探したって、かつてのみんなとはもう会えないことを理解した。
ギルドマスターは書類を取り落とし、最初はカスターの死霊を、次は私を、穴があきそうなほど凝視した。
「……嘘だろ? なあ、おい」
「……嘘だったら、どんなによかったか」
魔力供給を断ち、カスターの実体化を解く。ギルドマスターは頬を引き攣らせた。
「じゃあ、この情報は何だってんだ……?」
固まったギルドマスターの手から、書類が落ちる。私はそれを拾い、愕然とした。
「……ディルが、生きてる!?」
ありえない。ディルもあのとき死んだはずじゃ……。
「正確には、地底湖近辺で、失踪者がかなり出てる。ディルそっくりな'何か'が、そこで目撃されたってだけだ」
「……そんな、馬鹿なことが」
喘ぐような声で、私は言った。水の中にいるように、呼吸が不自由だった。
ギルドマスターが苛立たしげに、頭を掻いた。
「調査に派遣したギルド職員も帰って来やがらねえ。引退冒険者っつっても腕利きだったのにな」
死んだはずのディルが、目撃されている。また、会えるかもしれない。
でも──ソレは本当にディルなのだろうか。
奇しくも場所は、かつてカスターたちとサロウピッグ討伐の時に行った、あの地底湖だった。私はいても立ってもいられず、冒険者ギルドを飛び出した。
水嵩の低い水路の走る、活気ない街を進む。向かう場所は決まっていた。
ギルドマスターが言っていた異常の根源、以前カスターたちと行った、あの地底湖だ。
「おい!」
人通りはとても少ない。今はその静寂が心地よい。
「おい、待てよ!」
静寂の中に雑音が混じる。うるさいので無視してそのまま歩くと、黒髪の少年と三人の女性が私の前に立ちはだかる。
「……なに?」
「『なに?』とはまた失礼な反応ですね。その上ジュンヤを無視するとは」
少年の後ろにつく魚人族の女が、不快そうに水色の目を細めた。
ジュンヤ……誰だったか。……誰でも良いか。
思い出そうとする思考を打ち切る。
さらに無視して通り過ぎようとすると、ジュンヤとかいう少年に、進路を塞がれた。
「待てよ。あんた、『潜水者の街』のナミだろ?」
「…………」
「俺は『フランベルジュ』のジュンヤだ。なあ、どこ行くんだよ」
「……あなたには関係ない」
そう言った直後、火の槍が私に迫った。
私は短く詠唱し、論理魔法を展開して防ぐ。
「『水盾』」
軽く手を前に出すと、虚空から水が産み落とされ、渦を巻きながら小さな盾となる。火の槍は渦に呑み込まれ、ジュゥと音を立てて消えた。
「……なんのつもり?」
街の様子が明らかにおかしいというのに、こいつらはよほど暇なのだろうか。
……カスターたちなら、こんなことをする前に事態の解決を急いだだろうに。同じ冒険者とは思えないこの有様。侮蔑の視線を送ると、火の論理魔法を使った人間の少女が、言い訳するように言う。
「ジュンヤのことを無視なんかするからよ!」
「そうです。何を考えているのですか?」
魚人族の女性も同調した。
「……バカでしかないね」
鼻で笑ってしまう。
無視されたくらいで、街中で魔法をぶっ放すバカ。
「あなたたちが万年Bランクなのも当然かもね」
すると今度は、光の矢が射かけられた。一歩下がってかわす。矢が白い石畳に刺さり、すぐに消える。
「お兄ちゃんをわるくいうのは、二ジェがゆるさないの!」
エルフの幼女が弓を構えて言った。
笑いがこみ上げてくる。当の本人ジュンヤはというと、唖然と佇んで蚊帳の外といった様子だ。
「私が悪く言っているのはジュンヤとかいうのじゃなくてあなたたちだよ。街中で魔法を使うわ、射かけるわ……何やってるの? 止めないあいつもあいつだけどね」
ジュンヤは慌てて我に返ったように、メンバーたちを制止する。
「やめろ、みんな!」
女たちはしぶしぶ武器を下ろした。ジュンヤはバツが悪そうに口を開いた。
「……悪かった。オレはただ、討伐クエストを終わらせて戻って来たら街の様子が変だったから、潜水者の街ならなんか知ってるかと」
「……潜水者の街は、もうない」
「は?」
ジュンヤは、私の言っていることが理解できない、という表情だ。私は事実を告げていく。
「潜水者の街は全滅した」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味だよ」
数秒たってジュンヤはようやく意味を飲み込んだのか、徐々に目を見開いていく。
「嘘だろ!? ……潜水者の街の受けたのはただの討伐クエストだったはずだ。それが、全滅? モンスターは倒せたんだよな?」
黙って首を振る。ジュンヤは息を呑み、眉を吊り上げた。次いで、がらんとした通りに響き渡る怒声。
「どうして……おまえ一人だけ、ここにいるんだ? おまえなにやってんだよ!? 仲間を見捨てて逃げたのか!?」
「……っ」
ジュンの弾劾が、一人だけ生き残った罪悪感を刺激する。
何も答えない、答えられない私を見て、ジュンヤは軽蔑したように吐き捨てた。
「卑怯者が。……あんたさ、今まで言わなかったけど、異世界人だろ。この世界のニンゲンなんかどうでもいいのかよ」
すっと頭が冷える。そうだ。確かに私は、この世界なんてもう……どうでもいい。投げやりに言い捨てる。
「そうかもしれないね」
「……!」
ジュンヤは物言いたげに口を開く。何かを言おうとして絶句したようだ。
「……用はそれだけ? 私はもう行くから」
「待てよ」
ジュンヤは私の肩を掴んだ。
「おまえ、どこに行くんだ?」
疑問の形をした、詰問だった。
「あなたには無関係だ」
「おまえみたいに危ないやつを放置するわけにはいかない。もし行くっていうんなら、おれを倒してから行け!」
「は?」
どうしてそうなる、面倒臭い。私にそんなことをする暇も義務もない。
これ以上面倒臭くてくだらないやりとりはしたくないので、私は目的地を吐いた。
「……ここから数日行ったところにある地底湖」
「地底湖なんかあったか?」
「昔は観光資源だったらしい。今じゃ道中で魔物が出るようになって、あまり人は近寄らない」
「おまえが、観光?」
ジュンヤの顔には、理解に苦しむと書いてある。
「そこで行方不明者が出てる。……ディルの目撃情報も」
「ディル? ……潜水者の街の魔術師だったか? でもそいつ、死んだんじゃ」
「だから行く」
もう私に用はないだろう。肩に乗せられた手を払い、白い石畳の道を歩く。
ジュンヤがそれを呼び止めた。
「待てよ!」
これ以上待つ義理はない。私が無視して行こうとすると、ジュンヤはまた私の前に回り込む。
「おれも行く」
「邪魔」
一刀両断するが、ジュンヤは引かない。
「おまえみたいな危険人物を野放しにはできないし、行方不明者が出てるならなおのこと放っておけるわけがない」
「冒険者ギルドの調査員も戻って来ないみたいだから、解決すれば評価もあがるし?」
悪趣味なからかいを投げる。ジュンヤは嫌悪感が剥き出しにした。
「おまえ……最低だな」
心底どうでもいい感想だ。
中断されていた歩みを再開する。4つの足音に追いかけられながら、私は最低限の消耗品を補充して、街の出口に向かった。
フランベルジュのジュンは、以前書いた短編に同名のキャラがいたのを思い出したので、改稿してジュンヤに変えました。




