喪失
不人気クエスト消化からしばらくして。
私はもうだいぶ、潜水者の街にもこの世界での暮らしにも慣れてきていた。
そんなある日の夜。ソロで依頼を達成後、いつもの宿屋に戻ると全員が揃っていた。
みんなで輪になって、一角に集まっている。
私も輪に加わって、おしとやかに横座りしたリディアの横から顔を出す。
「珍しいね。何かあった?」
「……面倒な依頼が入っていてな」
苦々しい表情で答えたのは、カスターだ。
「テンペランティアからの依頼だ。なんでも国境に巨大なモンスターが出現したのだと。私はこの依頼……受けようと思う」
「っ!」
息が詰まるほどの衝撃を感じた。
テンペランティア……私から全てを奪った国。
頭の中を、記憶の断片がかすめていく。悪趣味な王城。横暴な国王。斬りつけられた腕の痛み。そして……水竜の顎。
気づけば体が震えていた。腕を抱き込み、必死で震えを押し殺そうとする。
ディルは心配そうに私を見ていたけれど、他のメンバーは話し合いを続けていた。
アロンが難色を示す。
「しかしカスター、テンペランティアの要請なんてほとんどがくだらないじゃないか。この前の水竜討伐だって、あの水源から化粧水の原料を採取したいだけだったとか」
「そうもいくまい。討伐依頼の場所は、テンペランティアとパティエンティアの国境なのだ」
カスターとアロン。ギルドのマスターとサブマスターは、論争を繰り広げる。
終わりそうにない議論に決着をつけたのは、エルヴィンだった。
「……多数決」
カスターはしばし考えるように眉間に皺を寄せていたが、やがて重々しく頷く。
「そうだな。私もそれで良いと思う。私は賛成だ」
みんなは順番に、意見を言っていく。
カスターの次に続いたのは、不機嫌そうに茶色い三つ編みの先を弄ぶアロンだった。
「僕は反対だね」
リディアが静かに言う。
「わたくしは賛成です。助けを求めているならば、何人であろうとも助けるのがわたくしの道ですわ」
「リディア様がそう仰るなら、私も賛成いたします」
ラトニアが追従する。
「反対」
短く答えるエルヴィン。
これで賛成が3、反対が2だ。
「……私は反対。あんな国のために働く必要なんかない」
これで同数になった。
まだ答えていないのはディルだけ。
ディルは何かに耐えるように目を閉じた。ぎゅっと黒い杖を握る。ぶらぶらと、ベッドに座ったディルの足がもどかしげに揺れた。
ややあって、いつもの元気からは程遠い声色で、ディルは言う。
「ボクは、賛成だよ。Sランクとして、受けないわけにはいかない」
カスターは小さく息をついた。
「それでは、依頼を受けよう」
私は立ち上がって、部屋の出口へ向かった。
「ちょっと外の風に当たってくる」
そう言い残し、乱暴に扉を閉める。
今は、冷静になれそうになかった。
宿を出て、風に当たる。空は藍色に染まり、気の早い星がちらほらと輝きだしていた。
「テンペランティア……」
口に出すのもおぞましい国名が、こぼれ落ちた。
焼け付くような痛みも、燃え盛るような憎しみも、まだ鮮烈に刻み込まれている。
「私は……」
疲れた頭で首を振る。
熾火のように燻る怒り、憎しみ。そして、それとは相反する依頼。
ぬるい空気にさらされながら、煮え切らない感情をもて余す。
宿の中から、くだらないことで馬鹿みたいに騒いでいる客たちの声と灯りが漏れている。
慰めるように頬を撫でていく夜風がどうしようもなく惨めに思えて、私は宿屋へと戻っていった。
私が召喚されてから、元の世界の換算で半年が経っていた。
翌朝から、私たちはフルメンバーで国境へと移動を開始した。出発から数日。辺りにはまばらに藁の色をした雑草が生えているだけで、砂色一色の荒地がずっと続いている。
しだいに岩が増えて来て、討伐依頼の目的地となっている岩場に着く。
が、特に異常なものもモンスターもいなさそうに見える。
私はもともと乗り気ではなかったのもあって、みんなから少し離れた岩の前で、ポーチに乗ったナギの喉を撫でていた。灰色の毛並みは幾度となくモンスターや、時にはそれ以外の血に染まった。それでも艶やかな毛並みも青い瞳も、何一つ変わっていない。
ナギの体が温度を失ったあの日から、何一つ。
ナギは喉を鳴らしてご満悦の様子だ。それを見て、少しだけ気が晴れた。
「妙だな。ここまで何もないというのは」
カスターが呟く。
他のメンバーも、武器を手に取ったまま、警戒を解くことはない。
モンスターは多種多様だ。今回の相手は知恵が回るタイプか、隠密行動ができるタイプなのだろうか。
あのクソ国のことだから、「実は勘違いでしたー」なんていう可能性も否定できない。
その時、いくつかの突き出た岩を考え込むように観察していたディルが、唐突に切羽詰まった声を上げた。
「っ、嵌められたんだ! みんな、岩場から離れて!」
「え?」
岩場の端にいた私だが、とっさに動けない。固まっていると、強く突き飛ばされた。
次の瞬間。
ひときわ飛び出た六本の岩の柱が、ぼんやりと光を放った。赤、青、緑、黄、黒、白、茶。それぞれの色を纏う。
そして、無数に聳える岩々から染み出るように、あたり一帯の地面に七色に輝く巨大な魔法陣が生まれた。私にも理解できない、象形文字の連続。神聖魔法に連なる系統の特徴だ。
そして、光が。
七色の魔法陣から真っ直ぐに、怖いくらい真白い光の柱が立ち昇った。
地面から天までを貫く、膨大な白の奔流。
白といえば純粋、純潔の象徴。だが、強すぎる光はむしろそれらとは真逆の、禍々しい印象すら与えた。
突き飛ばされた勢いのままにどさりと、背中から硬い地面に倒れる。ナギが唸り声を上げる。
あまりの光量に、目が眩む。
光の柱は数秒で消え失せた。
私の目が視力を取り戻して最初に見たのは、腕だった。
私の腕ではない。
眼前に転がった、ヒトの左腕だ。自然色の軽装備を身につけたそれは、よく見覚えがある。
エルヴィンの腕だ。
二の腕の半ばから、すっぱりと綺麗に切れている。血も流れない。まるで玩具のようだが、これは確かに。
私の仲間の一部だったものだった。
他に、荒野の岩場に人影は……ない。
「あ、あ……」
みんなはどこに行ったのだろう。
どうして腕が落ちているのだろう。
どうしてみんなの姿がなくなってしまったのだろう。
何よりも。
どうして、ここから、さっきまでなかった死霊の気配を感じるの?
「あ……ああああああ!!!」
意味をなさない、獣の咆哮じみた音が喉を震わせる。
立てない私の隣で、ナギが地面に降り立った。毛を逆立て、強酸のリングを展開させ、戦闘態勢に入っている。
じゃり、と。
岩場の向こうから、音がした。
「……誰だっ!」
誰何に応えたのは、若い女だった。
発光の止んだ無数の岩の柱。それらの奥から、白いドレスの女が、ゆったりと姿を現した。
「はじめまして。ワタクシ、一介の魔女にすぎませんわ。名乗るほどのものではございません」
白いドレスの魔女は、長い金髪を風に揺らして、ふわりと微笑んだ。
「ふふっ、彼らは本当に都合の良い人材でした。儀式の生贄として」
その瞳は、玉虫色に……七色に輝いていた。
「……『ナナツヨ』の犠牲として。でも、まだ足りません。火、土、水、木、光、闇、そして……金。七つには足りませんの。だから……」
白いドレスの女の周りに、いくつかの白く輝く魔法陣が浮かぶ。
「貴女が、七人目ですわ」
そして、魔法陣から光でできた杭が殺到する。
私の体を縫い止めようとするそれは、しかし縦横無尽に広がる酸のリングに阻まれる。
「フシャッ!」
ナギが威嚇音を出し、青い瞳を好戦的に細めた。
「可愛い猫ですこと」
白いドレスの女は言葉通り、愛おしげにナギを見下ろす。
ナギは私の方を少し見て鳴き声を上げると、すぐに白いドレスの女に向き直った。
言葉なんてなくても。
私はずっとナギといた。
だから。
この世界で初めてできた友達の言いたいことは、すぐにわかった。
「逃げろ」と。
多分、ナギではあの女に勝てない。時間稼ぎにもなるかどうか。
ナギが再び声を上げた。
ここにいたら、私もナギも殺される。
私は足に力を込めて立ち上がって。
ナギに背を向けて逃げた。
こみ上げてくる感情も吐き気も堪えて、ひたすら足を止めないように動かし続ける。
「そうですわね。貴女でもワタクシは構いませんわ。自己犠牲なんて反吐が出ますけれど、彼女は見逃してあげましょう」
乾いた風に乗ったそんな声も振り切って、私は逃げた。
ああ……この世界も。
私も。
なんて、クソッタレなんだろう。
ついにやりました、パーティー(というかギルド)全滅!




