幼い頃にした性の勘違い 2
前の文章(https://ncode.syosetu.com/n3386mm/)では、小学四年生くらいまでの幼い頃に抱いていた性の勘違いについて書いた。
ここからは、小学五年生になり、少しずつ第二次性徴が始まっていく頃の話だ。だが、それでも僕の勘違いは消えなかった。
当時の僕にとって、性は自分とは完全に無関係な世界だった。けれど、気づかないうちに僕は性と少しずつ関係を持ち始める。といっても、ある日突然意識が切り替わったわけではないし、知識が急激に増えて世界の見え方が一変したわけでもなかった。ただ静かに、そして不可逆的に、身体の変化が始まっていた。
ただ、第二次性徴という点において、僕はかなり遅い部類に属していた。わざわざこのことを書くのは、僕が「性を本当に理解する」ということは、精通を迎えて射精し、性的な能力を発揮して快感を得ることなのだと考えているからだ。そういう意味での無垢な勘違いが終わるのは、僕にとってかなり先の話になる。
小学四年の終わりには、ちんちんにはおしっこを出すだけでなく、精子を出す機能があることくらいは知っていた。けれど、どうやって出すのかは知らなかったし、今出せるのか、あるいはいつか出せるようになるのかさえ分からなかった。
「セックス」という言葉も知っていた。けれど、具体的な内容は全く知らなかった。セックスをすれば子供ができるということだけは理解していたが、実際には何をするのかは分からない。ただ、大人が使う「いかがわしい」という言葉のイメージがあり、外で口にしてはいけない禁忌のような響きを持っていた。だからこそ、その言葉にはどこかドキドキするような高揚感があった。それでも、具体的に何をするのかと問われれば、せいぜい「男女が裸になって、くっつく」ということくらいしか想像できなかった。
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勘違いで言えば、コンドームについて思い出す。
これが小学五年生の時だったかはあやふやだが、結構前から気にしていた。小学校と自宅をつなぐ通学路の途中に小さな商店街があり、そこには小さな薬局や文房具屋が並んでいた。その薬局の前に一台の自販機が置かれていた。自販機の中には、小さな牛乳パックのようなデザインの紙パックが並んでいて、そこには「相性ぴったり」といった意味深な言葉が書いてあった。
値段は一つ五百円くらいで、ジュースに比べて格段に高かった。僕はそれを、何か特別な効能がある高級なドリンク剤なのだと思い込んだ。いつか飲んでみたいとさえ思った。けれど、それを買っている人を一度も見かけたことはなかった。まさかそれが、ちんちんに被せて使うコンドームだなんて、当時の僕には想像すらできなかった。もちろん、コンドームについても存在も知らなかった。
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ナプキンについても色々勘違いしていた。
学校では生理について習っていた。けれど、それがテレビのCMで流れている生理用品と関係していることには気づかなかった。
ナプキンのCMを見ると、青色の液体がナプキンに垂らされて染み込んでいく。それを僕は、おしっこだと思っていた。夜におしっこをしてしまう大人のためのオムツのようなものだと思い込んでいた。ナプキンのCMは時間帯を問わず頻繁に流れていたから、僕の中ではそれが日常的な風景として定着していた。詳しい説明がなければ、子供がそんな勘違いをするのは当然のことだったと思う。
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次は勘違いというより、願望だったのかもしれない。
小学五年生の半ば頃だったと思うが、僕は自分の睾丸が成長し始めていることを、なんとなく気づき始めていた。とはいえ、まだ十分に小さかった。けれど、指でつまむように触ってみると、以前よりもわずかに大きくなったような気がした。
当時の僕は、ちんちんというものは小さいままであるべきだと思い込んでいた。だから、成長の兆候がたまらなく嫌だった。僕はその成長を食い止めようとして、指で睾丸を強くつまみ、押し込むようにして小さくしようと試みた。もちろん、ただ激痛が走るだけで、睾丸が小さくなることなどなかった。けれど僕は、このわずかな変化がただの勘違いであることを、心から願っていた。
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次のエピソードは勘違いという枠組みに入れていいのかは分からないが、第二次性徴に入ると、どうしても頻繁に勃起してしまう。小学五年生の終わり頃だったと思うが、僕は頻繁にちんちんが勃起してしまい、ひどく困っていた。
僕には、幼い頃にちんちんをいじって勃起させて遊んでいたところを、親にひどく怒られた記憶がある。それがトラウマになっていた。そのため、僕にとって勃起することは、何か悪癖や恥ずべきことであるという感覚があった。だから、僕はどうにかしてこの勃起を止めたいと思った。
幼い頃は、ちんちんを触るのをやめれば勃起は収まった。だから今回も、同じように触らなければ大丈夫だと思っていた。けれど、今回は違った。いくら触らずにいても、ちんちんは僕の意思に関係なく勝手に勃起し続けた。僕にとって勃起は「良くないこと」だったため、どうして止まってくれないのかと絶望し、強い自己嫌悪を抱いた。
僕は、幼少期の勃起と第二次性徴による勃起を同じものだという、勘違いをしていた。幼い頃の勃起は、単に物理的な刺激に反応していただけだ。けれど第二次性徴によるものは、男性ホルモンの影響でちんちんが作り変えられている結果であり、単に刺激を抑えたところで勃起しなくなるはずがなかった。
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小学五年生になるまでは、性というものに対して距離があり、全く実感もなかった。けれど五年生になってから、第二次性徴がさりげなく始まり、急にそういう事柄が目に付くようになってきた。とはいえ、性の知識が不足していたし、性的な経験もない。第二次性徴の入り口に立ったばかり、だからこそ、僕の性の勘違いは根深く残っていた。
小学六年生になり、さらにちんちんの成長が始まっていく。学校では「ちんちんに変化が始まる」と習ったが、それが実際に自分に起きているとなると、話は別だった。
本当にちんちんが成長しているのだろうか。いや、むしろこんな変化はやめてほしい。知識としては理解していても、自分事として受け入れる準備ができていなかった。この変化が普通であるという感覚を持てなかったことも、一つの勘違いだったと言える。子供としての意識が強く、自分の成長スピードに心が追いついていなかった。
念のために書いておくと、僕の第二次性徴のスピードとしては、早熟などではなく、周囲よりも遅めの第二次性徴だったと思う。小学六年生の時の僕のちんちんにはまだ毛が生えていなかった。
また、小学六年生になるまでに抱いた多くの勘違いが、いつ、どのように解消されたのかについては、ほとんど記憶が残っていない。ただ、激しい勘違いは少なくなっていったが、一つだけ強く記憶に残っていることがある。それは、勃起のことだ。
僕は、小学六年生になっていたが、勃起がセックスのために必要なものであることを、まだ分かっていなかった。また、幼い頃から銭湯や温泉などで大人のちんちんを何度も見たことがあったが、勃起している大人のちんちんを見たことは一度もなかった。だから、大人になるとちんちんは勃起しなくなるのだと思い込んでいた。
自分のちんちんが勃起するのは子供だけの現象であり、おしっこをしたくなった時に起きるものだ。小学六年生の半ば頃まで、僕はそんな奇妙な勘違いを抱いていた。
そんな勘違いがいつ解消されたのかについても、具体的な記憶はない。クラスにそういう話題が出る雰囲気はなく、周りはまだ幼い子供のような奴らが多かったため、友達から得られる知識は皆無だった。
けれど、図書室で性の本を何度も繰り返し読んだことがあった。興味が抑えられず、何度もページをめくっていた。そこから、勃起して精子が出るという因果関係を、少しずつ理解し始めていたと思う。
ただ、それを具体的にどうやって行うのかについては、依然として分かっていなかった。もちろん、射精することで快感を得るということなど、想像もつかなかった。ただ単に、射精するための何らかの条件、いわば「フラグ」のようなものが立てば、精子が出るのだという、機械的なイメージを抱いていた。
この頃になるとさらに頻繁に勃起するようになっていたが、それでも僕のちんちんから実際に射精が行われる日はまだまだ遠かった。




