2 別れは急がなくてもいいのだから
けれど、珠子の願いも虚しく事態は早急に進んだ。
呪具の扱いに関しては、当主である大江間敦に大きな決定権があるらしく、彼の鶴の一声で、ことはトントン拍子に進むのだ。
徹夜の身体をソファーに横たえうたた寝をしていた珠子の耳を、諭の声が揺らした。
「使霊の箱、無事に封じられたみたいだよ。中に入っていた怨霊たちも清められて、天に昇った」
薄く目を開く。大きな窓から燦々と差し込む初夏の陽光の中、テレビのスクリーンを背景にして、諭が立っている。この明るさならば、夢現の間を彷徨っていたのはほんの僅かな時間だろう。
珠子は何度か瞬きをして脳を再起動させてから、諭が何の感慨もなく述べた言葉の意味を咀嚼して、身を乗り出す。
「封じ……天に昇った。まさか、みんな?」
諭は淡泊な表情のまま、珠子の驚きを受け止めた。
それを肯定と取り、珠子は絶句する。やがて、心理的な衝撃から生まれた全身の痺れが引いてから唇を開く。
「汀は何て? お別れ、言えなかった」
「さっぱりしたもんだったよ。成仏して四郎と会えるのが嬉しくて堪らないんだろ。『ありがとう、珠子にもよろしく』だって」
それは何とも汀らしいのだけれど。
珠子はぎゅっと拳を握る。掴んだままだった雇用契約書に皺が寄った。
「起こしてくれればよかったのに。だって箱にはお母さんもいたんだよ。最後に話しくらい……」
零れる恨み言は、鼻先に突きつけられた生成り色の小さな物体により阻まれる。
あまりにも近距離だったので寄り目になりながら見れば、それは拳で握れる程度の大きさの袋であった。
収霊袋。廃ホテルに乗り込む時に、汀の霊を閉じ込めた呪具だ。
「別れは急がなくてもいいと思うから、渡しておくよ。父さんには黙ってやったから、このことは内緒にしておいてくれる? まあ、ばれてるかもしれないけど」
いったい何を言わんとしているのだろうか。怪訝に思いながらも呪具に触れた瞬間、母のオルゴールの音が脳裏に蘇った。もちろん幻聴だが、珠子は袋の中に収められたものの正体を察した。
手のひらに収まる、ささやかなサイズの袋。けれど、中からは、大きくて温かな、かけがえのない存在の気配を感じる。おもむろに胸に抱きしめて、珠子は半分泣きながら微笑んだ。
「ありがとう……。でも大丈夫? 敦さんが知ったら」
「もういいんだ」
諭は照れ隠しなのか窓の外に目を向けた。どこか吹っ切れたような、さっぱりとした光を帯びた瞳が、陽光に透けて焦げ茶色に煌めいた。
「父さんの言うことはだいたいいつも正論だけど、融通が利かないんだ。だから俺は、自分が正しいと思うことはちゃんと主張したいと思う」
「……そう。いいと思うよ」
諭の顔が、ゆっくりと珠子の方へと戻ってくる。二人は束の間見つめ合い、微笑みを交わした。




