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鎌倉呪具師の回収録 死霊の箱  作者: 平本りこ
最終話 鎌倉呪具師

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37/40

1 朝になり

『次のニュースです。葉山の廃ホテル、エメラルドパレスで不審火がありました。火は未明に消し止められ、怪我人はいませんでしたが、辺りは一時騒然と……』


「思ったよりも騒ぎになったな」


 大江間(おおえま)家のリビングにて。壁一面にかけられた巨大なテレビ画面に映されたアナウンサーが神妙な顔をして伝える言葉に耳を傾けながら、(さとし)が言った。


 彼はテレビの正面に置かれたシックな色合いの一人がけソファーの真ん中で脚を組み、難しい顔をしている。珠子は斜向かいに置かれた広いソファーの端にちんまりと腰を下ろして、画面をぼんやりと眺めていた。


 清々しい陽光が降り注ぐ、初夏の午前。


 床から天井まで曇り一つなく拭き上げられたガラス窓の向こう側には、少し低い位置に並ぶ邸宅と、銀色の煌めきを放つ紺碧の海が広がっている。


 普段ならば心が躍るような眺望だが、珠子の心は薄く靄がかかったかのようにぼんやりとしている。海から届く輝きは押しつけがましく、目を刺すように鋭く感じられた。


 無理もない。ホテルエメラルドパレスでの出来事からまだ、数時間しか経っていない。


 妙な機器につながれていた腕は大江間家お抱えの医師から適切な処置を受け、大事には至らなかった。


 とはいえ、貧血と寝不足、煙に巻かれた疲労、それと緊迫した状況を経験した心労が一斉に珠子を襲っている。泥のように眠ってしまいたい気分だが、意志に反し、高ぶったままの神経がそれを許さない。


 結局一睡もできず、珠子は大江間家にて、当主(あつし)の沙汰を待っていた。


「待たせたな」


 扉を開く音と同時に、敦の愛想のない声が室内に響いた。


 待ち人の訪れに珠子は背筋を伸ばし、父の登場と同時に立ち上がった諭の背中を見上げた。


「父さん、使霊の箱はどうすることになりましたか」


 敦はほとんど眼球だけしか動かさず、相変わらず静かな威圧を纏った態度で息子に返す。


「適切に処理して廃棄する。この箱には、私だけでなく代々の呪具師が苦慮させられてきた。そもそも、この世に生み出したことが過ちだったのだ」

「中に囚われている霊たちは?」

「祓い清める。何十年、霊によっては何百年と遅れてしまったが、成仏してあるべき場所へ還るだろう」


 ソファーの肘掛けに止まっていた魂食い鴉が、カアと鳴いた。珠子は黒い羽毛に覆われた首辺りを撫でて囁く。


「よかったね、(みぎわ)。これで四郎さんのところへ行ける」


 廃ホテルではネズミに憑いていた汀だが、現在は再び魂食い鴉の中にいる。使霊の箱に囚われた者らが解放されるのならば、汀もやっと自由になり、先に天へと昇った四郎と共に在れるはず。そして、現世から去って行くのは汀だけでなく……。


「土蔵さん」


 敦から不意に声をかけられて、珠子は裏返りかけた返事をした。敦は表情を動かさずに、温度の低い声音で言う。


「箱を開けるなとあれほど言っただろう」

「へ……」

「廃ホテルでの短慮を諫めているのだ。今回は大事に至らなかったからいいが、使霊の箱は使いようによっては町一つを死体の山にすることもできる危険な呪具だ。君にその気がなかったとしても、怨霊たちが暴走して人間に害を及ぼす可能性もある。呪具師でもないのに軽々しく呪具を扱うな」

「あ、す、すみません」


 敦の態度はともかくとして、主張自体はもっともであり、返す言葉もない。


「父さん、使霊の箱を回収できたのは、土蔵さんのおかげでもあります。そんな言い方は」

「おまえは黙っていろ」


 息子の声をばっさりと斬った敦だが、その後に続く言葉は、いくらか柔らかい。


「もちろん、土蔵さんの功績は理解している。君が、残留思念を読み取る呪具であったからこそ、朝津木(あさづき)寿彦自身も使霊の箱に囚われた怨霊であることが判明した。君の力がなければ、我々は弟の朝津木幸彦(ゆきひこ)を喜々として捕らえ、当の寿彦には逃げられてしまっていたかもしれない。礼を言う」

「あ、いいえ……って、呪具、ですか」


 珠子が呪具になったという話は、敦には伝えていなかったはず。諭に目顔で問うが、彼は困惑げに首を振るだけだ。


「何を阿呆のような顔をしている。ことの経緯は全て、魂食い鴉から聞いた」

「エ! オレ!」


 いつも以上に跳ね上がった抑揚で魂食い鴉が叫ぶ。その様子を眺める諭の眉間に、くっきりと深い皺が刻まれた。厳しい顔をすると、父親とそっくりだ。


「とにかく、大江間家には、呪具を回収するという任務がある。それが、箱だろうが彫像だろうが人間だろうが変わらない。聞いた話によると、君は今失業中らしいな」


 話が不穏な気配を漂わせ始める。まさかと思ったがそのまさかであった。


 敦はおもむろに、ジャケットの内ポケットから三つ折りの紙を取り出した。


 ぺらりと広げ、珠子に手渡す。反射的に受け取ると、それは労働契約書だった。業務の内容欄には、『秘書業務全般』とある。つまりこれは。


「私を雇ってくれるってことですか」

「呪具を野放しにはできない」

「でも私」

「仕事がないのだろう?」


 だからといって、怪しげなオカルト屋敷で秘書業務だなんて。


 様々な感情が一気に押し寄せて、珠子は硬直し、呆然と契約書に目を落とす。


「落ち着いたら記入しておけ。さて、使霊の箱を封じる準備があるから、私はここで失礼する」


 珠子は壊れかけの機械のようにぎこちない動作で首を動かして、諭と視線を合わせた。


「俺の提案じゃないぞ」


 ならば敦は本気だろう。ぐるぐると思考を巡らせながら、珠子は結論づけた。


 ひとまず横になり休息し、ゆっくりと考えようと。

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