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鎌倉呪具師の回収録 死霊の箱  作者: 平本りこ
第三話 病める日も健やかなる日も永遠に

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10 全ての始まり②

「悩んでいるんだね」


 キューピット、というにはいささか個性的な印象の女性であった。結子(ゆうこ)よりも少し年上だろうか。気品を保ちながら素敵に年を重ねている結子に比べ、様々なことに無頓着な印象の女である。


 無造作に一つにくくられた髪には艶が少なく、白いシャツの上に羽織った薄手のカーディガンは、年季の入った安物なのか、ところどころに綻びが見える。肩からかけたショルダーバックだけがなぜか真新しくて、ちぐはぐな印象だ。


 不潔、というほどではないが、少なくとも洒落てはいない。結子と同じ生き物とは思えない。


 女は、焦点が定まらないやや虚ろな目で寿彦(としひこ)の顔を覗き、口の端を持ち上げた。


「悩んでいるんでしょう。わかるよ、私にはわかる」

「わ、わかるって何が」

「だから、あんたの心の傷が、だよ」


 明らかに不審者だ。無視してもよかったのだが、結子のことで頭がいっぱいであった寿彦は、女に自然と言葉を返していた。


「たしかに悩んでいるけど」

「やっぱりね。あたしに詳しく話してみなよ。誰かが憎い? 殺したい? それともちょっとお灸を据えるくらいでいいのかい?」


 まるで、人の憎しみが美味しいのだとでも言うように楽しげに目を細める女。寿彦は思わず一歩後ずさってから答える。


「殺したいなんて、そんな。僕はただ、恋路を邪魔されてモヤモヤしているんですよ」

「へえ、恋煩いか」


 女はまるで舌なめずりでもするような顔で詰め寄った。


「詳しく聞かせておくれよ。力になれるかもしれない」


 胡散臭い。けれど、藁にも縋る思いであった寿彦は、結子とのなれそめと、相思相愛にもかかわらず連絡を取ることすらままならない現状を語った。


 聞き終えると、女はいっそう笑みを深め、肩からかけていたショルダーバッグを開いて長方形の箱を取り出した。


 飾り気のない、古びた木製の箱。女はそれを両手で掲げるように持ち、寿彦の鼻先に突きつけた。


「ほうほう、話はわかった。そんなあんたにこれをあげよう」

「何ですか、この小汚い箱は」

「失礼な奴だね。これは使霊(しりょう)の箱。……何というか、そうだね。人間をね、収納できる箱、とでも言っておこうか」

「収納?」


 両手に収まる程度の大きさしかない木箱に、人間が入れる訳がない。けれど女は、けらけらと笑う。


「狐につままれたような顔をするんじゃないよ。人間の本質は、魂だ。肉体なんて、使い捨ての道具でしかない。腹は減るし、痛むし、まあとにかくろくなもんじゃないよ。あんたの大切な人を肉体の軛から解放してあげて、使霊の箱の中に住まわせておやりよ。あんた自身も身体を脱ぎ捨てて中に入れば、永遠に一緒にいられる。うん、そうだ。それがいい」


 永遠に一緒に。結子と、永遠に。


 その言葉は、寿彦の胸に薔薇色の光をもたらした。そうか、肉体なんて確かに不便。痛みも苦しみもなく、愛おしい人と永遠に一緒にいられるのならば、死すら希望に変わるのだ。そう、ヨシちゃんが虐待の苦痛に耐えかねて自ら命を絶ったように。


「これ、どうやって使うんです?」

「霊となった魂に呼びかけながら、蓋を開くんだよ。そうすればあとは使霊の箱が魂を吸い込んでくれる。これからは、結子さんといつでも会うことができるよ。それに、箱の中にいる魂は、持ち主の指示を聞いてくれるからね。例えば憎い人がいるなら、霊にお願いして呪い殺してもらうことだってできる」

「霊……死んでから時間が経ってしまった人でも、箱に入れてあげることはできるんです?」

「そりゃあ、霊なら誰でも」


 では、夜な夜な徘徊しているという由行(よしゆき)も迎えに行ってあげよう。何せ、彼が自殺してくれたから、寿彦は結子と出会うことができたのだ。由行も、満たされない思いを抱えて一人で彷徨うよりも、担当カウンセラーだった結子や担任の寿彦と一緒に暮らす方が、寂しくないだろう。そうに違いない。


「ありがとうございます、これ、頂戴します。それで、あなたは何者なんです」

「あたしかい? あたしは、そうだね。呪具、といっておこうか」

「じゅぐ」

「逃げ出してきたのさ。あたしを閉じ込め利用する奴らのところから。使霊の箱の力を使って、ね」


 女は少し遠い目をして答え、すぐに元の不敵な笑みに戻る。


「あたしの目的は、使霊の箱が好き勝手使われること。その結果生じる騒動で、あたしを利用した奴らに一泡吹かせてやることだ。だから、遠慮なく利用しておくれ」

「はあ。まあ、まだ半信半疑ですけど」

「無理もない。そうだね、じゃあ、一回開けて使霊を試してみたら?」


 寿彦は、手のひらの上にある箱をじっと眺めた。怪しげな箱。怪しげな女。何も期待はしていない、けれど彼女の言葉が本当ならば、この先には幸せが待っている。


 そうだ、目の前の女にもお礼をしなければ。寿彦は胸に浮かんだ妙案に胸中で膝を打ち、喜々としながら言った。


「じゃあ、お礼にあなたも箱の中に入れてあげますよ。感謝の印です」


 寿彦は言って、蓋を開く。


 女が、「え」と声を漏らしたのが聞こえたが、次の瞬間箱の中から溢れ出た黒い塊が女に飛びかかり、声は夕方の闇に溶けて消えた。


 どさり、と重たい塊が崩れ落ちる音がした。


 見下ろせば、そこにはただ、傷一つない姿で道路に横たわり絶命した、ちぐはぐな服装をした中年女の身体が残されていた。

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