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鎌倉呪具師の回収録 死霊の箱  作者: 平本りこ
第一話 七百年のすれ違い

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2 入居する

「いやーいったいどんな辛気臭い子が来るかと思ったら、案外綺麗で若いお嬢さんだったからびっくらこいたよ」


 けらけらと笑い声を立てながら毒を吐くのは、若干腰の曲がった老婆である。色あせた春物のセーターの上に綿入りの半纏を纏い、穴の空いた靴を履いている。口調は明るいが、顔がひどくやつれており、少し心配になるほどだ。


「えっと、大家さん、ですよね」

「うん、清水トメっていう」


 築五十三年、今にも崩れそうな古アパートの陰からのっそりと現れたものだから、失礼ながら亡霊が出たかと思ったのだが、どうやら彼女は人間らしい。


「ここ、古いからしばらく借り手がいなくてね。誰も住んでいないおんぼろアパートなんて、家賃安くしても誰も見向きもしないからさ。土蔵(つちくら)さんが暮らしてくれればこの家も華やかになるねえ。職場が倒産したんだって? こんなに若いのに苦労して可哀想に。そんなら、時々敷地のお掃除したり、草むしりをしてお花でも植えておくれよ。その分家賃少し負けとくからさ。はい、これ鍵」


 一方的に捲し立て、清水は珠子の手に鍵を押しつける。


「あ、ありがとうございます」

「家具とかはいつ届くの」

「家具はまだなくて。さっき冷蔵庫と洗濯機を買ってきたばかりなんです。在庫がなくて三日後に届きます」

「はあそりゃあ……で、その大きなリュックの中には暮らしに必要なものが?」

「寝袋と、身の回りのものが少し」

「ふうん」


 純粋な哀れみの籠った目で見つめられ、珠子は居心地悪くなる。早々に会話を終えようと、鍵を握り締めて頭を下げた。その拍子に、重たいリュックが威力を発揮して、身体はほとんど直角に折れ曲がり思いのほか深々とした一礼となる。


「とにかく大家さん、今日からよろしくお願いします」

「ああ、うん。さっきの、アパート周りの美化の件、冗談じゃないからさ、考えておいておくれよ」

「わかりました」


 珠子は、今にも底が抜けそうな古びた鉄製の階段に足を進め、手すりに縋りながら恐々と上った。


 アパートは一階二階にそれぞれ二世帯ずつあって、珠子が借りたのは二階の奥の一室だ。鍵穴に鍵を挿し、重たい鉄製の扉を引く。


 その途端、室内に籠っていた生温い空気が塊となって吹きつけて、珠子は思わず息を呑む。四肢に纏わりつくようなねっとりとした気配。全身がぞくりと凍りつき、呼吸を忘れるほどだ。


 玄関に立ちすくんでいるうちに外気によって清められたのか、一瞬だけ感じた不穏な気配は消え去って、珠子は大きく息を吐く。


「何、今の」


 珠子が生まれ育ったのは、母の実家がある横浜の外れである。周囲には畑ばかりで、鉄道の最寄り駅からはバスで二十分。そのバスすら、三十分に一本しかない。そんな、「横浜」という都市のイメージとは乖離する地元の町は、鎌倉まで電車で数駅の場所だった。


 そのため、珠子はここ鎌倉にもある程度の馴染みがある。古都に纏わる妙な噂も、耳にしたことがあった。すなわち、『鎌倉には霊が出る』という怪談である。


「まさかここって幽霊アパート……ううん、そんな非現実的な」


 まるで、大きな声で霊気を払おうとするかのように盛大な独り言を口にして、珠子は靴を脱ぎずんずんと室内に進んだ。


 内見もせず、即答で契約した訳あり物件の名は、清三きよさんハイツ。古いアパート特有の、玄関の真横にキッチンがあるタイプの2Kだ。


 といっても、部屋の真ん中にどんとそそり立つ襖を開けば、途端に一間となる。奥の部屋には畳が敷かれ、手前にあるキッチン側の床は、洗面所感のある、つるりとした薄茶色。年季が入っているとはいえ、バストイレは別なのが嬉しいところではある。


 元婚約者のタワーマンションとは比べ物にならないほど古びているが、女手一つ、決して裕福ではない環境で育った珠子にとっては、むしろ懐かしさを覚える一室だ。


 一通り室内を確認した後で、部屋の隅に荷物を置いて、もう一度外へ出る。すっからかんの部屋に籠っていても、気分が滅入るだけなのだから。


 珠子は二階の廊下に立ち、改めて、少し高い位置から町を見回した。


 アパートの裏手は鬱蒼とした山となっている。玄関側は細い路地に面しており、真下には荒れ果てた花壇があって、塗装が剥げかけた赤色のスコップが刺さっている。


 大家の清水さんは、花壇の整備など、敷地の美化に協力したら家賃を融通してくれると言っていた。もちろん仕事は探すがしばらくは貯金を切り崩す生活である。


 珠子は吸い寄せられるように、スコップの方へと向かう。途中横切った隣家の二〇一号室には表札がなく、やはり空室のようだった。


 花壇は、一階の通路と公道の間にある。といっても、地面の一角をコンクリートで囲っただけの簡素なもの。例のごとく風化していて、華やかさはない。いやそもそも、雑草が少し生えているだけで土は白茶けているので華などなくて当然か。


 花壇に本物の花を咲かせるには当然、手間だけではなく費用もかかる。肥料をあげたり苗を植えたりせねばならないのだ。


 もちろん、手元に園芸用品はないのだが、様子だけでも見てみよう。珠子はなんとなしにスコップを引き抜き、硬い土を打つ。何度か繰り返すうちに、表層が解れ、下から小石やら干からびた球根やらが出土した。


 幼い頃、母と一緒にプランターで野菜を育てたことがある。そのため、養分が枯渇して雑草もまばらにしか生えない土を蘇らせる困難さは朧げながら記憶している。まずは不純物を取り除き、太陽光で消毒して、肥料を混ぜて……。


「あれ?」


 スコップの先が、何か硬い物を突いた。小石かと思ったが、ぽきりと割れた感触があったので、妙である。


 珠子はスコップの先でそれを掬い上げ、顔に近づけてまじまじと見る。ところどころ茶色がかった、白い破片。何かしらと思って数秒見つめ、ああ、と納得する。


 おそらく貝殻だ。肥料にすると、土壌がよくなるのだと聞いた覚えがある。とはいえ、いつ混ぜ込まれたものなのかわからない。本気で花壇を再生しようとするのなら、これらも洗いざらい取り除く必要がありそうだ。


 前途多難。けれどテレビもない賃貸暮らし。どうせやることもないのだから、時間を見つけて根気よく作業をしていけばいいだろう。


 そう思い、もう一度スコップを深々と突き立てた。その時だ。


 ふと手元が翳り、山の方角で低く遠雷が轟いた。はっと顔を上げ、空を仰ぐ。先ほどまでは清々しいほどの快晴だったにもかかわらず、太陽は今や薄雲に隠されて、山の稜線から鈍色が押し寄せている。


 ぽつり、と空から雨が落ち、乾いた花壇の土に染みこんだ。珠子は慌ててスコップを元の場所に戻し、腰を上げた。階段を軋ませ駆け上がる。間一髪、屋根のある場所に入ったと同時、雨粒は密度を上げて、鎌倉の街を激しく打ちつけ始めた。


「変な天気」


 まるで真夏の夕立のような豪雨だ。急激に冷やされた外気に薄着の肌を撫でられて、珠子はぶるりと身震いをしてから室内へと戻って行った。

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