2 作戦会議①
懐かしい夢を見ていた。もう二度と見たくないと思っていた夢だ。
六年前、突然母が死んだ夜のことが、眠っている間に何度も何度も繰り返し再生されて、珠子は胸の奥に重苦しい岩を抱えたまま、目覚めたのだ。
目を開くと、白い壁紙が視界いっぱいに広がった。見慣れない景色だ。ボロアパートは木目露わな板天井だったし、かつての婚約者のマンションはもう少し暗い色合いだった。
何度か瞬きをして、肘を突いて上体を起こす。ぎし、とマットレスのスプリングが鳴る。どうやら、上等なベッドの上で横になっていたらしい。
「カア、珠子、起きタ」
バタバタとした羽音と共に、特徴的な抑揚を持つ聞き慣れた鴉の声がした。続いて、部屋の外で小さな物音が立ち、誰かが去って行く気配があった。
「魂食い鴉、ここは……」
「大江間家。諭の実家ダ」
「大江間。私、どうして」
薄っすらと頭痛がして額を押さえる。持ち上げた手のひらには、大袈裟な白い包帯がぐるぐる巻きになっていた。軽く圧迫してみると、じわりと痛む。痣ができているかもしれない。
そういえば意識を失う直前。珠子の身体を操っていた汀が、稚児ヶ淵の岩場で盛大に転んだのだった。
「汀は?」
「ここよ」
鴉の口がぱかっと開き、口調が変わる。どうやら彼女は珠子の身体から出て、魂食い鴉のところへ戻ったらしい。
汀は殊勝に言った。
「ねえ珠子、ごめんなさい。私があそこで転ばなければあの男に逃げられることなんてなかったのに」
「ううん、汀のせいじゃないよ。私の膝、あの時にはもう震えていたし」
駆け足で島の頂上を通り越して稚児ヶ淵までやって来たのだ。あの時点ですでに、足腰は悲鳴を上げていた。
「瑛人君はどうなったの」
「あの子は、そのまま……」
海に落とされた後、助からなかったのだろう。瑛人は確かに、許されないことをしたけれど、まだ子どもであったのだ。そして、心に傷を負っていた。あのような場所で、何もわからないまま命を落としてよかったはずはない。
珠子の脳裏に、瑛人を蹴り落して恍惚の笑みを浮かべる五十がらみの男の顔が明滅して浮かぶ。ねっとりとして少し高い、不快な声も。
――結子さん、お帰りなさい。娘さんも一緒に、僕とおいで。
「そういえば魂食い鴉」
珠子は粟立った二の腕を撫でて言った。
「あの男の後を追って行ったよね。捕まえたの?」
「カア、だめだっタ。使霊の箱から出てきた霊に阻まれタ。悔しイ、悔しイ」
相手は呪具を持っているのだ。苦戦も当然だろう。ならば、諭や大江間家はこの後どう動くのだろうか。
「土蔵さん」
顎に手を当て思案していた珠子の耳に、諭の声が届いた。続いて、控えめなノックが室内に響く。珠子は一拍おいてから応えた。
「どうぞ」
ここは大江間家だ。どうぞ、というのも違うかと思ったが反射的に言葉が出た。
シックな印象の扉が開く。隙間から、ふわりとコーヒーと書物の香りが滑り込み、エプロン姿で台車を押す老齢女性と、諭、そして五十代ほどと見える体格のいい男性の姿が現れた。
てっきり諭一人だと思っていたものだから、虚を衝かれて珠子は硬直する。戸惑いを察して、老齢女性が名乗った。
「私はこのお屋敷の家事を仰せつかっている星野と申します。コーヒーか紅茶をお淹れしましょう。どちらがお好みですか?」
「あ、じゃあ、紅茶を」
「かしこまりました」
星野は洗練された所作で一礼し、半身をずらして諭と男性を室内に招き入れる。音もなく扉を閉じてから星野は部屋の隅に台車を引いて、被せてあった白い布を外す。ピンク色の可憐な花が描かれた陶器のティーセットが露わになった。
「土蔵さん、具合はどう」
諭が、いつも通りの平坦な声音で言う。珠子は頷いて、掛布団を握った。
「あ、うん。大丈夫。何だかお世話になったようで……あの、土蔵珠子と申します」
諭の隣で無表情に立つ大柄な男に向けて、ぺこりと頭を下げた。切れ長の目が、諭と似ている。年齢的に考えても、彼が諭の父親だろう。
「大江間敦だ。息子が世話になっている」
敦は低くごろつくような声音で言い、丸椅子を引いて珠子の枕元に腰を下ろした。
学者だと聞いていたので、もっと線の細い男性を想像していたのだが、腕も首もしっかりとした太さのある、精悍な体躯であった。ともすれば、無駄のない不愛想な口調と相まって威圧感を与えかねない容貌だ。
敦は珠子の顔を興味の薄い表情で見つめながら淡々と言った。
「単刀直入に訊く。朝津木寿彦を知っているか」




