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鎌倉呪具師の回収録 死霊の箱  作者: 平本りこ
第一話 七百年のすれ違い

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13 天から落ちる

 ――ァァァァア……!


 遥か上空から、風の膜を切り裂くような微かな悲鳴が降ってくる。


 はっと顔を上げれば薄雲の間から、ぼやぼやとした燐光を放つ人型の何かと、その後ろを動転した様子で追いかける黒い鴉の姿があった。


「あ、あれってまさか」

「ぎゃああああああ」


 声は、ものすごい速さでボロアパートに接近。やがて、人型の輪郭が明瞭となり、珠子(たまこ)は叫んだ。


(みぎわ)!? え、どうして」


 そう、降って来たのは汀と魂食い鴉である。汀は花壇の中央に腹ばいに落下したが、幸いなことに実体のない身。怪我をすることなくすっくと立ち上がり、珠子の胸倉を掴んだ。


「な、何……」

「何はこっちの台詞よ!」


 浄化されたはずの汀だが、語気がとても荒い。


「何かに引っ張られて地上に落とされたの。どうにかしてよ。四郎様だけ先に行っちゃった!」

「どうにかって言われても」

「そうか、なるほど」


 目を白黒とさせる珠子から一歩引いた場所で、(さとし)が呑気にも見えるほど冷静な調子で唸った。


「汀はやっぱり、使霊しりょうの箱に囚われているんだろう。だから、箱を破壊するか、箱の束縛を断ち切るかしないと、成仏できない」

「何よそれ! 使霊の箱ってやつはどこにあるの。すぐに壊しに行く」

「いや、俺たちもそれを探してるんだよ。むしろあんた、箱から出て来たんだろ。何か手がかりはないの」

「死んでからこのアパートの側で目覚めるまでの間のことは、何も覚えていないの」

「厄介だな。箱に記憶を囚われたままだから成仏できないのか?」

「どうにかして!」


 汀はわめき立て、諭に詰め寄る。解放された珠子はこっそり溜め息を吐きながら、二人から距離を置く。目ざとく気づいた諭がすかさず言った。


「どこ行くの」

「え! ああ、もう私の出番は終わりだなと思って」

「何言ってんのよ」


 汀は再び珠子に身体を向ける。


「私のことを見捨てるの? ひどい!」

「だって、私には何もできないし」

「ひどいっ!」


 癇癪を起した子どものように叫んだ直後。汀の口がまるで悪鬼のように裂けて、珠子の身体へと滑るような体当たりを試みた。


 憑かれる……!


 咄嗟に身体を捻って避けようとした瞬間、間一髪のところで魂食い鴉が割り込んで、巨大なペリカン様の口で汀を呑み込んだ。


 呆気に取られている間に、鴉の口が薄く開き、姦しい声が飛び出した。


「何すんのよ。出して、出して」


 思考が追いつかず、ただ目を丸くしたまま動けない珠子。その横に並び、諭が腕を組む。


「魂食い鴉が腹いっぱいになったら出られるだろ。それまでそこで頭を冷やしてろよ」


 それから珠子の方を向き、他人事のように言った。


「汀がそこから出た時に取り憑かれないように、言うことを聞いておいた方がいいんじゃない?」

「つまり?」

「一緒に箱を探す。それに大江間(おおえま)の末裔としては、あんたのその体質や能力に関しても興味があるし」

「私は研究対象なんかじゃない!」

「でも、大学三年生なんて授業もほとんどないし、どうせ暇でしょ?」

「大学には行ってない」

「へえ? じゃあもう専門を出た後か」

「そうじゃなくて」

「じゃあ何」


 同い年と聞いて、勝手に学生だと思われていたらしい。無理もない。首都圏出身の二十一歳といえば、学生か元学生ばかりなのだから。


 諭は珠子の顔をじっと見つめてから視線を逸らし、腕を天に向けて伸びをして、今にも底の抜けそうな鉄板の階段を上がり始めた。


「あ、どこへ」

「とりあえず部屋で詳しく話そう。紅茶くらい出してやるからさ。茶菓子はクッキーとせんべいどっちがいい?」


 有無を言わさない口調だが、彼の言動には早くも慣れてしまったようだ。珠子は苛立ちを覚えるでもなく、ただ困惑し、一歩踏み出すことを躊躇する。その頭上を、異形の魂食い鴉が飛び越えて、アパート二階の錆びた手すりに止まってこちらを見下ろした。


「ひどい、珠子、ひどい。呪ってやる」


 せっかく浄化されたというのに、汀はまた怨嗟を募らせているらしい。珠子としては、とんだとばっちり。けれど、憑かれて身体を好き勝手利用されるのはもうこりごりだ。


 がちゃり、と鍵が開く音がした。諭が自室に戻ったのだ。彼は扉を開いた体勢のまま、半身を一階に向けて、軽く眉根を寄せた。


「何ぼんやりしてんだよ。汀には早いところ成仏してもらった方がいいだろ。それに、四郎はもう天に帰ったんだから、あんまり時間が空くと来世ではじいちゃんと孫の関係になっちゃうかもしれない」


 どんな冗談だ、と笑うところなのかもしれないが、霊的な存在を身近に生きてきた諭はきっと、本気で言っている。


 珠子はふと肩の力が抜けるのを感じた。


 人間は信用ならない。けれど少なくとも隣家の青年は、魂の穢れを食うという怪しげな鴉や、怒りっぽい怨霊娘よりはよほどまともである。まあ、異形と比べるのもおかしいかもしれないが。


 珠子は大きな息の塊を吐き出してから顔を上げ、足を踏み出した。


「クッキーがいい。お砂糖がいっぱいついているやつ」

「ねえよ、プレーンしか」

「お金持ちなのに?」


 魂食い鴉が飛び立ち、一足先に二〇一号室へと消えて行く。珠子は軽口を叩きつつ、後について隣家へお邪魔した。


 たてつけの悪い扉が軋みつつもぱたんと閉じる。いつしか雲は完全に海へと去っていき、古びたアパートの上空には、晴れ渡る四月の蒼天が広がっていた。



第一話 終

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