11 約束の日
「民家から遺骨!?」
春らしい蒼天の下、ボロアパートの花壇の前で、珠子は不穏な言葉を叫ぶ。
先ほど葉山の豪邸を飛び出した諭は、珠子を促し大江間家の高級車を走らせてボロアパートに直行した。到着するなり、アパートの花壇をほじくり始め、白い破片を掘り出したかと思えば得意げに胸を張っているのである。
諭曰く、この破片は遺骨だろうとのこと。
「ああ。この町は、鎌倉幕府時代の遺構の上に築かれているんだ。何年か前には、由比ヶ浜から大量の人骨が出たこともある」
珠子は曖昧に頷いた。鎌倉といえば、源頼朝と縁深い八幡宮が有名だが、そこから若宮大路という参道を真っ直ぐ南下すると、海辺の由比ガ浜に繋がっている。
鎌倉時代、若宮大路の両側には、武士の邸宅が立ち並んでいたらしく、活気に満ちていたのだろう。
海水浴客やサーファーで賑わう由比ヶ浜から鎌倉時代の人骨が大量に出たというのは、地元神奈川の地域ニュースにもなっていたので、珠子の記憶にも残っていた。けれど。
「骨が出る町だっていうのはわかるけど、何でアパートの花壇から」
「さあ。どこかから運んできた土に混ざっていたのかもしれないし、元からここにあったとしてもおかしくないよ。……魂食い鴉」
躊躇いもなく骨片を摘み上げた諭が短く呼ぶと、勝手知ったりといった様子の魂食い鴉が近くの梢から舞い降りた。鴉は花壇を囲む石の上に止まり、砕けた骨の欠片を躊躇いもなく啄んだ。
ぎょっとした珠子が口を開きかけた時。突然、ぐにゃりと世界が歪む。貧血かしらと思う間もなく暗転。世界が渦巻いた。
しばらくの後、やがて戻ってきた光に眼球を刺激され、腕を庇にして瞼を閉じる。
光に慣れた目に映った光景に、珠子は絶句する。そこは、明るい日光の降り注ぐ屋外ではなく、薄暗い日本家屋の室内だった。
「兄上、汀をどこへやったのですか」
低い声がした。板敷の一室である。外部から差し込む光がないので時刻はおそらく夜。ひんやりとした空気の色さえ見えるような静謐な景色の中、二人の男が座している。
「おまえの気持ちはわかっているぞ、四郎。汀……あの下女と関係を持っているのだろう」
四郎。汀の思い人の名だ。
ということは珠子は今、汀の怨念の矛先でもある四郎の記憶を追体験しているのだろうか。
四郎の兄は、静かな声音で淡々と言う。
「あの娘とは身分がつり合わん。山本殿の娘を妻に迎えれば、まさか下女のところへ通うことも、もうできまい。ゆえにあの下女には暇を出した」
四郎は膝の上で拳を握る。それをちらりと一瞥し、兄は続けた。
「しかし案ずるな。武家の子といえど、我が家の兄弟は俺を含めて三人とも健在であり、姉が嫁いだ男も、由緒ある家格の勇猛な武者だ。おまえ一人くらいこの家を去っても、問題ない。おまえにその気概があるのならば」
「兄上」
「そうそう、明日は鎌倉殿の御所で宴がある。化粧坂の切通し辺りの邸宅は主人が不在になり、近辺は早々に宵闇に沈むだろう。夜遅くに酩酊して帰った者らは朝寝坊するだろうな」
彼は、弟である四郎が汀という身分のない女を愛していることを知っている。その上で暗に、弟が女と共に鎌倉を出るための手段を提案してくれているのだ。
珠子は歴史に詳しくないが、この時代の有力者ならば、妾を持つことは咎められることではないだろう。けれど、良家から妻を迎えたにもかかわらず、その目が届く範囲で下女に懸想するなど、褒められたことではないのはよくわかる。
四郎は兄の顔をじっと見つめ、それから理解者を得た感涙を堪えつつ、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
肩を震わせる四郎の頭頂を見下ろす兄の瞳が、照明器具の火皿の上で揺れる灯を映し、鈍い朱色に光っていた。
そして運命の日。
「化粧坂の切通しから、逆賊が攻めてきた……?」
身支度を整え、いよいよ屋敷を出ようとしていた四郎の耳に、夜の闇を切り裂き衝撃の事実が飛び込んだ。鎌倉幕府の重臣が反旗を翻し、鎌倉の町に攻め入ってきたというのだ。呆然と呟く四郎の側に、兄が寄り添った。
「鎌倉にとっては逆賊なれど、勝者となれば正義となる」
「しかし! ……そ、そうだ。汀は」
「手遅れだ。あの娘はもう、死んでいるだろう」
四郎が絶句する中、兄は非情に告げる。
「化粧坂の切通しから敵兵が雪崩れ込んできたのだ。隠密に潜入しようとしたところ、知らぬ平民女に見られたとなれば、斬り伏せるものだろう」
「兄上、まさか」
四郎の声が震え、顔面が蒼白になった。
「まさか、謀ったのですか? 汀を亡き者にするために」
兄は、見るものを射抜くような弟の眼光を静かに受け止める。言葉はない。それが返答のようなものだった。
四郎は憤怒に身体中を戦慄かせる。それから、恨みの言葉を発する間も惜しいとばかりに視線を切り屋敷を飛び出した。
まだ日は昇らない。暁の空の下、町は異様に騒がしい。女子どもの悲鳴が四郎の耳を打つ。あちらこちらで火の手が上がり始めて、鎌倉を絶望の色に染めている。
「汀、汀!」
木々の間を駆け抜け、山肌を割っただけの険阻な切通しにたどりつく。
辺りは濃密な血の臭いと、こと切れた武士たちの遺体で満たされている。そこはすでに戦場としても打ち捨てられており、自発的に動くものは何一つない。
「ああ」
四郎は呻き、その場に頽れた。両手を前に突き、辛うじて身体を支える。指先が、誰のものとも知れぬ血痕で赤黒くなった土を掻く。四郎は深呼吸をしてから腰を上げ、幽鬼のような足取りで愛おしい人の姿を探した。
けれど、女と思しき影はない。どこかへ連れ去られたのか、それとも森の方で倒れてしまったのか。どちらにしても、この惨状を見る限り、生存は絶望的だ。仮に町へ逃れていたとしても戦火に巻かれているだろうし、切通しを抜け鎌倉を出ていたとしても、外から押し寄せる兵たちの弓を受けることになっただろうから。
「汀、すまなかった。俺が不甲斐ないばかりに」
東の空が白み始めた。四郎は時の経過など意に介さず、草をかき分け石をひっくり返し、愛おしい人の痕跡を見つけ出そうとする。
「――っ」
不意に四郎の耳に、誰かの細い息遣いが届いた。血走った目を向ける。近くの藪が、風の仕業にしては不自然に揺れていた。
「汀!」
そうだ、汀に違いない。彼は、前のめりに転がりかけながら、草を踏み分ける。
その頬には、狂気を帯びた安堵の笑みが張り付いている。
「何だ、隠れていたのか。さては俺を驚かせて楽しんでいたのだな。小さな悪戯は愛らしいものだが、これはさすがに」
声が不自然に詰まった。同時に、ざく、と重たい音がした。
四郎の表情が笑みを湛えたまま凍りつく。眼球が緩慢に動き、己の胸を見る。ぬらぬらと血濡れた刃が、あらぬ場所から突き出している。これはいったい、どういうことか。
やがて、一つ咳込むと、口から血泡が溢れ出す。四郎の視線が藪の中にゆらりと落とされて、瞠目。
草葉の間から垣間見えるのは、愛おしい女の姿ではない。
足が妙な方向へ折れ曲がった瀕死の武者が、最期の力を振り絞り短刀の柄を握っている。その刃は、四郎の胸に深々と刺さっていた。
「みぎ、わ」
再度血を吐き、四郎は前のめりに倒れる。やがて、彼の瞳から光が消えた。




