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プロローグ

氷雨そら @hisamesoraさん主催のシークレットベビー企画参加作品です(*^^*)

多くの先生方と一緒に参加できることを嬉しく思います!


もふもふ×シークレットベビー×和風ロマンスをたっぷり楽しんでいただけたら嬉しいです!


 それはまだ人と妖が同じ街並みを歩いていた頃の話。


 粛々と婚儀を終えた夜、本宮 鈴は夫となる男の前で困惑していた。

 

 生まれた時から、"当主の恥"として扱われてきた。声に出されずとも、視線と沈黙が鈴にそれを悟らせた。


 母は美しい歌声で名高い芸妓で、職務に疲れた当主が通い詰めた茶屋で一番の器量良しだったという。けれど、父に身請けされた母は、別邸という名の鳥籠の中で一生を過ごし、鈴を産んですぐに他界してしまった。


 だから「九尾の生贄として仕方なく育てていただけだ」と聞かされても、納得してその生活を受け入れるしかなかった。

 

 ――それなのに。

 恐怖も、覚悟も、用意してきたはずのそれらが、何一つ役に立たない。


 形だけの儀式を終え、鈴の目前で佇む銀髪の男は、愛おしげな眼差しでこちらを見つめていた。妖艶で、どこか寂しげで、神々しい。長いまつ毛に隠れた金色の瞳は、覗き込めば吸い込まれてしまいそうな危うさを秘めていて、この殿方が自分の夫になるなど、昨日までの鈴には到底信じられなかった。

 

「……鈴、こちらへ」

 ほんの少し、掠れのある声だった。振り向きざまに、紋付がかさりと鳴る。低く艶のある音が名前を呼ぶ。初めて会ったとは思えない懐かしさが、胸を撫でていく。けれど一度出会えば見間違えるはずのないほど眩いその姿に、鈴はますます混乱した。

 

「あの……伊織様」

「どうした? ……ああ、戸惑っているのか」

 

 歩みを進める様子のない鈴に、伊織と呼ばれた男は微笑みを返す。「君が心配することは何もない」と話す彼の背中で、九つの尾がたおやかに揺れた。男の腰ほどまである長い銀髪は、銀座の百貨店で一度見かけた絹糸のよう。その間をすり抜けるように伸びてきた手が鈴の真横を通り、かんざしへそっと触れた。


 それは九つの尾が瑞雲のようにたなびく、銀のかんざし。九尾の認めた花嫁だけに許されるその飾りを、伊織は丁寧に摘み直し、落とさぬように指先で優しく整える。


「……大切なものだ。ここで乱れては困る」

 気遣いの言葉なのに、それは拒む余地のない静かな響きを含んでいる。

 

 ふっと小さく笑った声がする。伊織の指が触れた瞬間、鈴の背筋がにぞくりとしたものが走った。胸の奥が理由もなく熱を帯びていく。触られたのは飾りだけなのに、鈴は一瞬、息の仕方を忘れてしまう。


「狐は、一人の嫁を迎え、一生涯それを愛す。……誇りに思うがいい」


 鈴の返事を待たず、伊織は喉の奥で小さく笑い、ついてこいと言わんばかりに背を向けた。けれど鈴の足音を確かめるように、銀狐は長い廊下を一歩ずつ丁寧に進む。彼の背を覆うような真っ白な九本の尾は、どれもぽってりと太く天に向かって伸びている。

 

 長く続く一本の廊下。

 大きな硝子戸から見える中庭では、季節外れの満開の藤の花が灯籠のように揺れ、無数の淡い光を宿している。

 

 この屋敷のことはまだ何も知らない。けれど、今日だけ着せてもらった母の形見の色打掛もまた、白から桃色、藤色へと段階的にぼかされていて、まるでこの景色を母が予感していたかの様だった。銀糸で刺繍された大輪の藤の花と蝶が、灯りに照らされて妖しく揺れた。


 器量の良かった母なら、もっと似合っていただろう。そう考えると、胸が少しだけ痛む。


 それでも、あの本宮家から母の形見を持ち出せただけ、幸運なのかもしれない。そんなことを考えながら、鈴は冷静を装い、回廊を進んだ。すぐに、離れへ続く渡り廊下が現れた。


「ここが、私たちの寝室だ」

 銀狐は立ち止まり、静かに振り返る。

「……怖いか?」

 真っ直ぐに問われて、鈴は小さく息を呑んだ。廊下はしんと静かで、二人の呼吸以外には何も聞こえない。


「い、いえ。ただ、生贄として参りましたのに……こんなに、優しくしてもらえるとは思わなくて」

 寒さか、恐怖か、こころもとない鈴の声が廊下に響く。

「生贄ではない。お前は、俺の嫁だ」

 そう言って伸ばされた手が、今度は小刻みに震えた鈴の指を絡め取った。小さな手を包む体温が、じんわりと緊張を解いていく。


「乱暴にする気はない。嫌なら嫌だと言え。……俺は、お前を壊したくない」

 囁きは低く、どこまでも真剣だった。鈴は胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。十八になるまで、鈴はただ純潔を捧げるために生きてきた。誰かに"壊したくない"と言われるなんて、想像すらし得なかった。それは、守るとも、愛するとも違う。鈴自身の存在を、そのまま肯定する言葉だった。


「嫌では、ありません」


 やっとの思いでそう答えると、銀狐はほっとしたように微笑んだ。

 

「そうか」

 次の瞬間、そっと唇が触れた。互いの存在を確かめるような、触れるだけの優しい口付け。それなのに、鈴の心臓はうるさいほどに高鳴る。


「……鈴。今夜から、お前は俺のものだ」


 名前を呼ばれるたび、胸の奥がくすぐったくて、少し痛い。


「私が、伊織様のものに」

 言葉にしてしまえばもう後戻りはできない気がして、鈴は熱をもった自分の頬を指先で小さく触れた。

「ああ。――永遠にな」


 肩を抱かれることも、結い上げた髪を下ろされることも、経験の全てが初めてで、くすぐったい。けれど、不思議と嫌悪感はない。


 その夜、鈴は生まれて初めて、他人(ひと)の温かさを知った。

 

 ――翌朝、その嫁の座を退くことになるとも知らずに。

1話いかがだったでしょうか?

この季節、せっかくならもふもふしたいと思い、今回はシークレットベビーにもふもふを絡めて書かせていただにましま!


2話からは毎日19時半の更新です。また次のお話でお会いできますように(꒪˙꒳˙꒪ )

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