2022年7月3日
先月からは気温も少し落ち着き、今日も穏やかな1日が始まろうとしていた。
しかし、清々しい気持ちでハレルヤの扉を開けた瞬間、いつもと違う雰囲気が漂っているのを感じた。普段なら、静かで無機質な空間が広がっているはずなのに、今日は何かが違う。私は瞬時にその違和感を察知した。
入った瞬間にハレルヤ内に響き渡る、男女の声。一人は野木さん。もう一人は…女の子?
玄関越しから応接のほうへ目をやると、案の定、そこに座っていたのは、野木さんと見知らぬ女の子だった。
「あ、おはようございます」と軽く頭を下げる野木さんの隣で、女の子も私に気づいて「おはようございます!」と元気よく挨拶してくれるものだった。
その声ははきはきとしていて、どこか無邪気さを感じさせるが、その一方で彼女の仕草や話し方には品の良さがあった。
私はというと、一瞬、その場の空気が止まったかのように感じる。何か話すべきか、どうしたらいいのか分からず、心臓が一気に早鐘を打つのを感じる。どうにか表情を保ったまま、「あ、おはようございます」と言って頭を軽く下げた。
だが、私の心の中は混乱し、気持ちが整理できないままだ。応接の狭い空間に、私たち三人の微妙な空気が漂う。この異質な空間に心地の悪さを感じて、それに耐えきれず、逃げ出すように自習スペースへ向かうのだった。
*
その日は、何を話しているかまでは聞き取れないが、集中力が切れるには十分すぎるほどの騒音でハレルヤが包まれていた。
この壁、なんのためについているのかしら。壁越しに男女の仲睦まじい談笑の声が聞こえてくる。
これでは集中ができない。私は都度応接の近くのコピー機を目当てに移動したり、休憩を取るためにやはり応接の近くの休憩スペースに出向いたりということを、いつもよりやってしまっていた。
今日一日で仕入れた情報によると、どうやら女の子は、去年ハレルヤを卒業した大学生らしい。そして、卒業生が遊びにくることは珍しくないようだ。しかし、勉強の邪魔だけはしてはいけないような。もう少しだけ声のボリュームを下げてくださいませんか、とか言ってみようかな…。でもそんな勇気ない。楽しいところを邪魔するだなんて。いや、そもそも邪魔だと思っているのが私だけだったらどうしよう。
そんなことをうだうだ考えていると、背後に忍び寄る小さな影があった。
「お疲れ様です!」
「これ、よかったらどうぞ!」
休憩スペースでいつもよりかなり早めのお昼休憩をとっている私にさっきの女の子が声をかけてきた。
両手いっぱいの煎餅やらチョコレートやらのお菓子を私に差し出しているらしい。
「どうも…」と、声を振り絞ってはやはり両手でそれを受け止める。
それは、私の目にはなんだか迷惑料かのように映り、あんまり嬉しいとは思えなかった。いや、一瞬は嬉しいと思うのだが、その瞬間、心の奥底にひっかかりを覚えるのだ。
女の子はまた応接へ戻っていって、やはり野木さんとの談笑に興じるのだった。
自習スペースに戻っても、なかなか集中できないなか、夕方まで勉強を続けてもその声は止むことがなかった。
「17時か」
まあ、卒業生が来てここまで騒ぎ散らかす日なんてなかなかないはずだから、アンラッキーな日だったと思おう。今日は帰ってゆっくり休んで、また明日からの日常に備えようか。日曜日だから、この時間電車も空いてるし、今日のところはこの場所を卒業生に譲ってあげよう。日曜日だし。
そう自分に言い聞かせ、少し重い足取りで帰路についた。
*
帰りの電車では、予想に反し、遊びから帰ってくる人々の群れに巻き込まれ、立ちっぱなしだった。一時間半立ち続け、ようやく最寄りに着いた私は、駆け足で母の車に飛び乗る。
「今日は随分と早いのね」
母が運転席から私をちらりと見ながら言った。
「いつもこのくらいなら良いんだけど」
母は苦笑いを浮かべていた。
「今日はいろいろあって疲れちゃったからさ」
そう言って私は、昼間のストレスを相殺するかのように、車内で歌いだす。もうずっと帰り道の日課だった。
「朝の報道ニュースにいつか載ることが夢だった♪そのために包丁を研いでる♪」
母はすかさず「怖い歌ね」と言った。
母はロックを知らない。じゃあどうやって生きてきたのか。
母は子供の頃からずっと貧乏な暮らしをしてきたらしい。母の父が借金の連帯保証人になってしまい借金を背負わされたり、家業が倒産したりして。父と結婚してからもお金に余裕のない生活を送っていたらしい。それでも私が生まれてから、やっとまとまったお金を手にするようになった。それなのに、今度はそのお金を私に注ぎ込んでいる。どうして私のためにそこまでできるのだろう。
定年の父もそうではない母も、働き続けている。両親が仕事を辞められない理由のひとつが、私の存在だと思う。姉はとっくに自立しているけど、私は違う。その事実にいつも申し訳なくなる。もし私がいなかったら、両親は仕事を辞めてもっと自由な生活を送れていたんだろうか。父と母は、どっちが幸せなのかな。
そもそも、母はなぜ、私を生んだのだろう。そしてなぜここまで育ててくれたのだろう。
私が随分と拗らせていたときのことを思い出す。学校に行けなくなったとき、こんなに苦しいなら生まれてきたくなかったと何度も思った。私は生んでなんて頼んでない。私を生んだ親のエゴのせいで、私はこんなに苦しいんだ。そんな風に思って、親を責めたこともあった。
でも今、少しずつでも「生きてて良かった」と思える瞬間を増やしたい。そのために目の前のことを頑張っていきたいと思っている。
この「なぜ」というといの答えは、頑張っていればきっとわかるはずだから。