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2022年5月30日

「はーい、フロースペースにいる人たちも一旦自習やめてねー、ファイルもってカフェスペースに来てねー」


 今日も活きの良いカタカナだな。解説すると、いつも私がいる私語厳禁のスペースがフロースペースで、喋りながら作業ができる隣のスペースがカフェスペースってわけだ。声の主は、最近この人意識高いんだなあ、と感じつつある市貝さんだった。


 私がいそいそと指示通り隣のスペースに移動すると、市貝さんは


「予告していた通り振り返り会やります!今からいうペアになってねー!」と、やはりまた張り付いた笑顔でみんなに語りかけるのだった。


 カフェスペースにはやや円形を保つように椅子が並べられていた。私がどこに座ってやろうものかとウロウロキョロキョロしていたところ。


「三和さんだよね?」


 一人の青年が私に話しかけてきた。


「えっと、さっきペア組めって言われた茂木です。よろしく!」


 茂木くんというらしい。から元気といったそぶりで挨拶してくれた。ハレルヤはあんまり広くないので、度々目にしていた人だ。


「あー、三和です。…よろしく」


 ちゃんと挨拶できていただろうか。


 私たちは適当な椅子に腰掛けると、他の人たちもあとに続く。それを見計らったようにまた市貝さんが


「じゃあ今から自分の一か月の勉強の成果を説明してみてねー。どっちからでもいいよ!」と宣う。


「じゃあ、僕からね」と、茂木くん。


 最初にやってくれるとどういう段取りで話せば良いか掴めそうだからありがたいな。


 「一応時間計りまーす。はい、スタート!」


 市貝さんがそう告げると、茂木くんは段取り良く今月自分が使った参考書の名前を挙げてはどんなことを勉強したのか、どれくらい進んだのか教えてくれた。


 彼は理系で、私と同じく基礎固めに四苦八苦しているみたいだった。


 そうしていると私の番になったので、すかさず私もそれぞれの教科で具体的にどんな参考書で何を学んでいるかを足早に説明してみた。


「はい終了でーす。つぎは、お互いにさっき共有したことについて質問をしあってね!その際、絶対なんでこの質問をするかというと〜っていうのを言うこと!はい!スタート!」


茂木くんは少し考え込んだ後、口を開いた。


「じゃあ、僕から質問していいかな?」


「えっと、英語の長文問題って毎日どれくらいの量をこなしていますか!なんでこの質問をするかというと~僕は英語が苦手で、できる人は毎日どのくらいやってるのか気になるからです!」


 よかった。比較的答えやすい英語の質問がきた。


「よく聞く言葉だと思うけど、一日一長文を心掛けてるよ。英語の成績あげるには『多読』が必要だと思うんだけど、それって、たくさんの種類の文章を読むことと、同じ文章をたくさん読むことだと思ってる。だから毎日違う長文を読んで、その長文をたくさん音読してるかな」


 一日一長文という言葉を聞いたのももう四年前か。バリキャリみたいな英語の先生が言ってたなあ。その先生に認められたかったことも、まだ全部思い出せる。叶わなかったけどね。


「じゃあ、次は私から質問してもいい?」


 私は茂木くんの方を見ながら続けた。


「茂木くんは勉強のモチベーションが落ちたときはどうやって持ち直してるの?えーっと、この質問をするのは、私も時々やる気が出なくなる時があって、普通人はどうやってモチベーションを保ってるのか知りたいからです」


 茂木くんは少し間を置いてから答えた。


「そうだね、僕もモチベーションが下がることはよくあるよ。そういう時は、やりたいことを少し自分にご褒美としてあげるようにしてるんだ。例えば、勉強が終わったら好きな動画を観るとか、お気に入りのカフェで食事するとか。そういう小さな楽しみを目標にして、何とか持ち直している感じかな」


「それいいね、自分にご褒美を設定するのか」


 と私は納得しながら頷いた。


「いいねいいねー!ここは情報が一番リッチだね」


 市貝さんは色んなところを回ってコメントしているみたいだった。


 こんなような感じで一通りの質問をし合った私たちは、なかば雑談するような雰囲気になっていた。


「三和さんて浪人生だよね?一浪目?」


 お互い平日の早い時間からハレルヤにいるから、なんとく浪人生であることは知っていた。


「二浪目だよー、病気で受験できなくてね」

 

 浪人生であることを開示するとき、絶対私は自分が病人であったことを合わせて説明したが傾向がある。病気が無ければ浪人なんてしてなかった、という気持ちの表れなのかな。この癖やめたいけどやめられそうにないな。


「おー、二浪なのは僕と一緒だ」


 同じ二浪だったみたい。アカデミーにもハレルヤにも同じ境遇の人はいないし、うっすらと仲間意識の芽生えを感じた。


「三和さんってどこから来てるの?」


「栃木だよー。二時間かけて通ってる。茂木くんは?」


 まさか自分よりも遠いはずはない、と思っていた。


「熊本だよ。この近くで下宿してるんだ」


「熊本!?」


 親元を離れてわざわざここに来たんだ。受験にかける思いは人一倍、強いことだろう。


 私たちはここまで話しただけでも、何としてでも来年受かりたいんだというお互いの意思を共有したような気持ちになった。


「市貝さんと同じ大学目指しててさ。普通の予備校での勉強に不安があって、ここでなら違う体験ができると思って来たんだ。市貝さんの理念にも共感しているし」


 市貝さんといえば、ここは普通の予備校とは違う価値を提供できるということを度々強調する。茂木くんも、その価値とやらに魅せられた一人なのだろう。


「三和さんはどこ目指してるの?ここにはどうして来たの?」


「野木さんと同じ大学だよ。近くの塾にもともと通ってたんだけど、自習スペースがなくてね。とにかく自習する場所がほしくて来たってところかな」


 大きい机に専用のロッカー。音読できるスペース。そのうえコピーし放題ときた。ここの自習環境はとても良いものだと実感しているところだった。


 それから、お互いどんなことを学びたいかの話もした。彼はやはり市貝さんと同じ経営工学とやらに興味があるらしかった。茂木くんは、市貝さん目当てで入塾したみたいだ。


「なんとなくなんでこのペアになったかがわかったかな?それじゃあ振り返り会はこの辺でおひらきにします。まだ話したいことがある人はカフェスペースで話してね。応接きてもらって講師と話すのでも良いよ」


 私たちしぶしぶ会話を切り上げて市貝さんが椅子を片付けるのを手伝うのだった。



 茂木くんはどうやらいろんな講師や生徒に話しかけているみたいだ。カフェスペースで立ったり喋ってみたりしながら勉強をするタイプのようで、息抜きにはよく市貝さんや佐野さん、野木さんにも話を振りにいくらしい。


 ちょうど振り返り会を終えて野木さんと話しているみたいだ。今日は成り行きで私も参加する。

そこで身の上話になった。茂木くんは、熊本で一番の高校を卒業したらしい。そのことに自負があるみたいだった。


「三和さんはどこの高校だったの?」


「栃木の女子校だよ。病気で中退して、高卒認定とって今に至るけど」


「そうだったんですね。私は資格とかもってないので立派だと思いますよ」


 野木さんだった。なんというか人によっては気まずさを感じる私の回答に、うまく返したものだなあ。


「僕は共学だったから新鮮かも」と続くのは茂木くん。


「栃木県は伝統校が男女別学なことが多くて、人気も高いんだよ」


「へー、世間とは逆行しているんだね」


 全国的に、世間というかお上は、なくしていきたいと思ってるんだろうなとは私も薄々感じている。


「母校は大好きなんですけどね。卒業、したかったな」


「後悔していますか?」とすかさず野木さん。


「そうですねー、人生で唯一後悔していることかもしれません」


 それは本心だった。みんなと卒業した世界線の自分が一瞬頭をよぎるも、私は続ける。


「でも、休学せざるを得なかったんです。精神はとっくに限界を迎えていて、授業にでても、いろんな感情が混ざり合った涙で授業にならなかったし。だから、休学っていう、まあ実質退学って意味なんですけど、休むって、やめるって選択肢しかなかったんですよね」


 野木さんが少し考えた上で口を開く。


「10代でそれほど大きな決断をしているのは、やはり立派ですよ。なかなかできることじゃない」

苦しみながらも答えを出すという行為を立派と言ってもらえるのはある意味救いかもしれない。


「しかも病気になったのも、勉強のしすぎとそれに伴う人間関係の悪化、っていう、ね」


「頑張りすぎたからそうなっちゃったってこと?それって絶対悔しいじゃん。受験で晴らそうよ!」


 茂木くんの意見に私もおおむね同意だった。とことん愚かだと思う。まるで幸せになるための方法が、受験をしてできるだけ良い大学に行くことしかないかのようだ。良い大学の基準だって、私たちは偏差値しか知らない。


 それを見抜いた上で野木さんは、言葉を探りながら呟く。


「うーんなんだろうな。ご自分が納得いく場所に行けたらいいですよね」


 茂木くんはあまり意図を汲み取ろうとはせず、自分の話にもっていく。


「僕も高校は卒業できたけど、なかなか思うように学校生活送れなかったんだよね。睡眠障害もあってさ。だから、先に行った友達に胸張れるように、やっぱり受かりたい」


 確かに幸せになるための方法はたくさんあるかもしれない。でも私たちは、どうしても受かりたい。


「まあ、たまに雑談にきてくださいよ。浪人生は勉強勉強ってなっちゃうからね。息抜きで」


「良いですねー。僕こういう環境良いと思います」


「茂木くんはちょっと雑談しすぎかなとは思うけどね」


「分かってますよ」


 突発的に始まった謎の会合もおひらきとなり、私たちはまた机へと向かうのだった。



 再び勉強に戻ったものの、あんまり集中できない。頭の中ではまだあの「後悔してるんですか?」という野木さんの声が響いている。大丈夫、渦中にはもういない。しかし、まだ傷は痛むようだった。


 集中できずにスマホをいじりだすと、3日前にショートメッセージが届いていたことに気づく。


 画面を見て、目を見開いた。高校時代の担任からのメッセージだった。最近はスマホを極力見ないようにしているから気がつかなかった。すぐにメッセージを開く。


「昨日はスポーツ大会でした。三年ぶりに全校生徒が校庭に並びました。台風被害やコロナ対策でずっとできていませんでした。三年前には貴女もピンクのTシャツ着てたのよ。覚えていますか?三年間日本全体が停滞してたようなものです。貴女も、新しい所に向かっていることを祈っています」


 スポーツ大会でどきついピンク色のクラスTシャツをしぶしぶ着ていたことを思い出した。あの頃は、すでに心の奥底に何か重たいものを抱えはじめていて、周囲と協調して学校生活を送ることが難しくなっていた。しかし、それでも何事にも代え難い、大切な時間であったことを痛感する。


 先生の言葉は、その記憶をそっと包み込み、過去の痛みを癒してくれるように思えた。まるで、自分が過ごした時間に意味があったのだと、誰かに優しく肯定されたような気がした。無駄じゃなかった。あの時は気づけなかったけれど、今なら少しだけ、あの時の自分を許せるかもしれない。


間も無く春が終わる。私は確実に、自分の人生のコマを前へ前へと押し進めていた。

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