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2022年4月13日

 4月。再起を決してから1か月が経った。私のもっとも嫌いな月である。4月は全てが始まるから。要は変化が嫌いなのだ。


 今年もやはり2年前のこの時期を思い出す。新しいクラスに馴染むことができず、どういうわけか人とも喋れなくなってしまった。そのときから心身の不調が続き、果てには不登校になってしまったのだ。


 不登校は改善せず、そのまま高校を中退した。休学から1浪目まではとにかく療養に努めたが、私だけ時が止まっているみたいだった。2年間高校の友達はおろか家族ともほとんど話さなかったのだから。


 私は今、日々授業を受けることで止まっていた時をゆっくりと取り戻そうとしていた。


「ありがとうございました」


「はい。気をつけて帰ってね」


 壬生先生の国語の授業を終えて時刻はちょうど19時になるところだった。塾が閉まる21時くらいまで残って勉強したいところを、今日はこの近所に用事があるので引き上げることにした。


 この街で自習室はないか検索をかけて見つけた場所に、今から向かおうというのだ。塾と同じ並びにその自習室はある。ほんの2、3分くらい。


 あの塾、個別指導〇✕アカデミーと比べてかなり作り込まれているホームページを見るに、自習室兼塾といったところか。


 小綺麗な建物の階段を登ると、「ハレルヤ」と書かれたドアプレートがあった。恐る恐るドアを開ける。


「こんにちは…」


「こんにちは!三和さんかな?どうぞ!」


 やたらとフランクな若い男性が応接に案内してくれた。なんとこの自習室兼塾の塾長、いや代表らしい。高級感のあるソファに腰かけ、私たちはお互いに向き合う。


「三和憂子さんで間違いないかな?ちなみに俺市貝って言うんだけどね」


「はぁ」


 名前くらい大事なことをついでみたいに言わなくても良いのではないか。


「入会希望ってことで良いかな?」

 

 私はこくりと頷く。


「ぶっちゃけハレルヤを選んだ理由とか聞いてもいい?」


「はい。近くの塾で浪人し始めたんですけど、自習環境があまり整ってなくて、朝から夜までいられる自習室を探していたからですかね」


 これは四月になっても解決してない大問題だった。この街はどこに行ってもうるさすぎて、絶望すら感じていたところだ。正直ここは最後の頼みの綱である。藁をも縋る思いで押しかけているのだが、この人は分かっているのだろうか。


「なるほどね!自習するならうちはもってこいだよ。そういう研究しているからね」


 聞けば代表は大学の博士課程で自習環境について研究をしているらしい。ここの自習室の机やその配置も集中しやすいように設計しているとのこと。自習環境か。


 …もし嫌な人がいる環境だったら、それはいくらレイアウトを気にしたところで、自習がはかどる環境とは言えないのではないか。話を聞いていてふと考えるが、そういうのは考慮されてないみたい。大丈夫かな。


 多少の不安を抱えつつ、私はアカデミーでも聞かれたような自分の境遇をある程度話した。加えて、高校時代の成績とか、勉強にどうやって取り組んできたかも。


「なるほどね!そんなに頑張ってきたんだったら、絶対今年で決めたいよね」


 今年はどこに受かったとしても、言ってしまえば国立の第一志望に通らなかったとしても、受かったところに行く。これはこの一年絶対に覆せない鉄則になっていた。もちろん自分が納得できるところに絶対行きたいんだけれど。


 それからは市貝さんからこの自習室兼塾のシステムなどの話を聞いた。

アカデミーもだけど、この塾、ハレルヤも相当変わっているようだ。まずハレルヤでは先生と呼ばずに講師をさん付けで呼ぶらしい。なんだそのルール。


「うちは普通の塾じゃないからね」


 市貝さんはやたらと他の塾や予備校との違いを強調していた。そこにアイデンティティーがあるみたいだった。


 私はというと、のびのびできそうなのはいいんじゃないかと思っていた。


「じゃあとりあえず明日、体験で一日過ごしてみるのでいいかな」


「はい。お願いします」


 自習場所の確保が急務だった私は入会する方向で無料の体験を申し込み、ハレルヤを後にした。


 一時間ほど話していたみたいだ。もうちょっと遅ければ乗り換え駅まで直通の電車があるのだが、諦めて乗り換えが一回増える電車に乗ることにした。


 どこからきているのかは全くわからない、春特有の甘い香りに包まれながら帰路につく。あぁ、やっぱり私、この匂いが、春が、四月が嫌いだ。でもそれはきっと、私がおかしいのかもしれないけれど。出会いの季節。さっきだってそうだ。


「よろしく」


「こちらこそよろしく」


 そうやって人と人とが新しい関係を結んでゆく。糸と糸が絡み合い、織りなされ、人間関係の網目が形成されていく。自分はその網のなかで雁字搦めになるだけだ。


 その感覚が、とても気持ち悪かった。


 要するに、私は新しい人との付き合いが怖いということだ。それだけを諸君は胸に刻みたまえ。誰に語っているのかもわからないが、そんなことをうっすらと考えているうちに最寄りに着いた。


 改札を出て、駅の高架下に停めてある母の車に駆け寄る。


「明日体験行くことになったんだけど、また違う自習室みたいなところ入りたいんだよね」


「えぇ!また入るの?」


 途端に母の表情が険しくなった。


「お願いよ。自習できるところが見つかりそうなんだよ。それなりに良い環境で自習できないと、受からないよ」


 お金の問題はあった。とても相手に何かをねだる人の態度ではない、ふてぶてしい態度をとってしまう自分に嫌気がさしながらも、強引に説得を試みた。すると母は、しぶしぶ了承してくれたのだった。


 21半時過ぎの駅にも塾帰りと思われる生徒がちらほらいるもので、母は、真新しい制服に身を包んだ女子生徒を横目に車を走らせた。


 高校生をみるだけでも胸がいっぱいになる。もう二度とは取り戻せない日々を謳歌している姿が羨ましい。どんなに恋焦がれても手に入らない日々。これまでもこれからも、どんなに一生懸命生きても私はその資格を得ることができないし、できなかった。しかも、みんなが当たり前に享受したものをだ。どうして私だけできなかったのだろう。そんなことを思っていた。


 中退という選択が今になって私に重くのしかかる。多分、人生で一番後悔していることだった。

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