2022年3月5日
はじめて訪れる街に行く。目的は人それぞれだろう。駅まで車で30分。私は運転ができないので、母に乗せてきてもらった。母とは何も話さなかった。目的があるから、乗せていってほしいとだけ。おそらく、これから毎日こんなふうになる。
こんな辺鄙な田舎町で生まれると、外へと向かう情動も簡単に押さえつけられてしまう。同級生のいくばくかが、ここまで辿り着けるのだろう。駅のホームは、外へと向かう玄関口なわけだ。市街地へでて、電車に乗るだけなのに、それだけで自分の境遇を顧みざるをえないのだった。自分がここにいる意味を絶えず問われる。ここはそんな場所なのかもしれない。
そんなことを考えながらおおよそ1時間に1本の電車を待っていた。少し地上から離れたところにホームがあるからか、普通より風を強く感じる。春の匂いが鼻にこびりつく。ここ数年この感覚が嫌で仕方ない。春は変化を表すから。否が応でも変わらなきゃいけないみたいで嫌なのだ。私はまだ寝ていたいのに。
たった3両の電車に揺られながら、お隣の県まで行ったら乗り換える。乗り換えが考慮されていて、向かいのホームにはすでに目的の電車がやって来ていた。しかし、どうやらいつもこうではないらしい。つまり、乗り換えに20分30分かかるダイヤもあるから、気をつけなければならなかった。平日の朝早い時間だった。この時間帯は乗り換えた駅から目的地まで直通で行けるので、これから重宝しそう。
まだこれからの計画を立てていないから、無造作に勉強をはじめることに気持ち悪さを感じるが、パラパラと単語帳をめくるなどをして過ごしてみた。単語帳自体久しぶりに見るけど、そこまで忘れてないみたいで、安堵する。
同じ駅から乗ってきて、同じように乗り換えをする人もわりかしいるみたいだ。あんな町から通勤する人もそう少なくないということか。そりゃあ通えなくもないのかもしれないけれど、2時間や3時間もかけて通勤するなんて私には理解できなかった。…これから毎日理解できないことをしなきゃいけないのだけれど。
何もない町でうまれると、何もできない、と思っていた。幼いうちは特にって。私が本当に子供でどうしようもなかった時期は―たった2年とか3年前までのことだが―田舎で子供をこさえる意味がわからなかった。もっともこれが、一面的なものの捉え方にすぎないことなど、19にもなれば否が応でも理解できる。要するにあの町については、都会に比べて、私が成長していくなかでやりたいと思ったことが実現しづらいだとか、なりたいと思った人物像に近づくためには障壁が多すぎるとか、そんなことが不満だったというだけにすぎない。私の考え方は、あの町に根差す者たちのこと一切を考慮していなかった。
一体いつからそんな考えに染まってしまったのだろうか。ただここからわかるのは、もはや地元の面々と私とは、交わることがないということと、誰かと自分の人生を比較して怒ったり泣いたりする時期は終わったということだった。
ここまで、どうせ一面の田園風景なのだから新鮮でもないと思って、外の景色に目を取られることはなかった。当たり前の景色の素晴らしさに、なかなか気づくことはできないから。
「ご乗車ありがとうございました。〇✕、〇✕です。お出口は左側です。お降りの際はお忘れ物にご注意ください」
とうとう、目的の街に辿り着いた。騒がしい街だと思った。電車から降りるとすぐに改札があるタイプのホーム。選挙期間中らしく、駅前で行われている街頭演説には大勢の人々が集まっていた。国営放送への破壊願望が、この町で一定の支持を受けている様に一抹の不安を覚えつつ、駅前の喫茶店に入ってみた。
怒鳴り声だった。東南アジア系と思われる女性だった。
「電子マネーが使えない!?今どきそんな店ない!?」
なにやらご乱心のようだった。銀行に現金をおろしにいった女性は一言。
「二度と来ない!」
胸が痛む。こういう現場に遭遇した際、もう来たくなくなるのは私のほうで、お店は何一つ悪くないのだが、いかんせん心象が悪い。他人の他人への叱責に居心地の悪さを覚えながら、なんとなく数学の問題を解いていたら、時刻は15時になっていた。
そういった具合で大変賑やかな西口に比べたら、少しは落ち着いているらしい東口のほうまで、地下通路を渡って行く。今日の目的を果たそうと思う。
歩きスマホにならないように少し歩いては止まりながら、地図アプリを確認する。そうやって道なりに進むと、シャッターが半開きになっているものの、アプリで見たのと同じような小さな入口を見つけた。
狭い、急勾配の階段をよろけないようにゆっくりと登ってゆくと、これまた狭いスペースが現れ、コピー機やらなんやらが詰め込まれているのが分かる。誰かいると良いのだけれど。左右二つの部屋があることに気がつき、適当に左側の部屋を覗いてみた。
「あの、こんにちは。お話を伺いに来た三和です」
「はーい!」
奥からやたら朗らかな女性の声が聞こえてきた。
「こんにちは!三和さんですね。どうぞこちらにおいでください」
そう言って初老の女性がこちらまでやってきて出迎えてくれた。先週電話で話したこの塾の塾長だ。私の経験上ではあるが、女性というのは、塾長としては珍しい部類だと思う。
これまた狭い空間に巧みに机やら椅子やらが並べられている小さな教室に通された。アロマの良い香りがする。
「うちは個別と書いてあるけど集団授業もやっていてね」
ざっとみたところ10個くらいの机と椅子しかなかったので、集団といってもかなり小規模のようだ。
「T大の先生に一番効率の良い机と椅子の配置を聞いたの。お墨付きなのよ」
高偏差値と権威っぽいものが結びついている現場は心地の良いものではないが、塾長からは善意しか読み取れないから、心に覚えた違和感のようなものはなかったことにしておいてあげた。
「どうぞ、おかけください」
個別授業を行う小さなブースの椅子に座り、私たちは向き合った。
「さっそくですけど、どこでこの塾をお見かけになったんです?うちはいっさい広告をだしてないから、なかなか見つからなかったでしょう」
確かに、見たことも聞いたこともない塾ではあった。
「高2のとき、通っていた塾がなくなっちゃったんです。それで、新しい塾を探すってときに同じ条件で調べていたら見つけました。とても学校帰りに通える場所ではなかったので、その時は見送ったのですが」
久しぶりに他人と喋るというのに、案外言葉はでてくるものだ。
「なるほどね。それで、なにか大学に行きたい理由はあるの?例えば学びたいこととかはありますか?」
「はい。端的に言って、人生を変えたいんです」
随分と簡単に言ってしまった。私は咄嗟に続ける。
「つまり、学びたいことを学べるようになりたいってことです」
「ほう。それで、学びたいこととは?」
「そうですね…。」
ここ1年ほど私の頭の中だけにあったものをとりだすように、しゃべってみた。
「ケアの倫理みたいなのに関心があるんです。……そういう本を読んだんです。そしたらそこに、どうして自分が苦しかったのかが書いてあって、私自身がケアされた。そういうかたちで自分も誰かをケアしたいと思いました。ケアのツールはコミュニケーションだと思うから、ケアとコミュニケーションについて学びたいんです」
もう2年も人とろくにしゃべってない奴に何ができるかは分からないけれど。
「だから志望校は、おもしろいなって思っている文化人類学の領域で、ケアとコミュニケーションの専門の先生がいらっしゃるT大に行きたいと考えています」
言葉の重みに顔が引き攣る。今この瞬間、途方もなく過酷な一年を送ることが決まってしまったからだ。
「お電話で浪人生って言ってたよね」
「はい。春から二浪目です。高2のときにうつ病になってしまって、そこから2年間寝たきりでした。試験会場にも行けなくて」
「2年間療養して寛解したので、大学を目指してまた一年間頑張ろうと思って」
「大変だったのね。でも、寛解は本当にすごいことです」
寛解したというのは自己判断だけどね。
以前は、心が前に進みたくても体が言うことを聞いてくれなかった。やっと動くようになったから、止まっていた分を進もうというわけだ。
「一度無理して大手の予備校に行ってみたことがあったんですが、精神的に弱ってしまって。授業中も涙が止まらなくて。向いてないと思ったので、二浪目は自分に合っていた条件のこの塾にしようと思ったんです」
「うちは今まで本当に色々な人を受け入れてきましたから。きっと合うと思いますよ」
そう言って優しく微笑みかけてくれて、安堵したのも束の間。
「スマホはどのくらいいじってる?電磁波がでて本当に危ないのよ」
電磁波って、あの理科の実験で測ったやつだろうか。電柱からしょっちゅう浴びているから、何が危ないのか分からないけど。
「あー。あんまり使ってないですね」
なんとなく嘘をつく。
「よかった。とにかく有害だからなるべく触らないようにしましょう」
それからスマホの見過ぎで認知機能が著しく低下してしまった女の子の話を聞いた。塾長の知り合いの名医でもそのスマホ脳?は治せなかったことや、その先生はそもそも脳みその大部分を事故で損傷した子供を大学まで行かせただとか、にわかには信じ難い話も聞いた。
とりあえず、私には分からないことも多いから、否定も肯定もしないでおいた。塾長はスピリチュアルみたいなものに傾倒している可能性が高いが、それも気にしない。入塾する意思はこの程度で変わらなかった。やれ科学調味料は危険だの、食べられるアロマがすごいだのと聞いても。
「…それで、うちで何の科目をとりたいのかしら」
「そうですね…二次試験で使う科目は五科目あるんですけど……」
国語、英語、数学、日本史、地理。私は受験科目を塾長に告げる。
「なるほど。今空きがありそうなのは、英語と国語と日本史かな。まず英語なんだけど、大学で教鞭を執っている先生がいらして、ちょうどいらっしゃるそうなのでお願いしてみましょう」
ちょうど英語の先生(芳賀先生というらしい)がお見えになったみたいだった。
「こんにちは」
なんというか、スタイリッシュな先生がいるもんだな。英語の先生というのも頷ける。英国紳士みたいなのだ。専門はアメリカの歴史らしいけど。
「あ、こんにちは」
私が挨拶をすると、すかさず塾長が聞いてくれる。
「先生、彼女が英語を教わりたいみたいなのですが、空いていらっしゃいますか」
「ああ、ええ。ちょうど土曜日の15時40分からが空いていますよ」
それからはとんとん拍子に話が進んだ。結論から言うと、とても評判が良い先生に教えてもらえることになった。社会と国語はまた来週先生を紹介してもらうとして、とりあえず一年この塾へ通塾することになった。
国営放送への破壊願望、とても良いとは言えない街の治安、スピリチュアルへの傾倒を仄めかす塾長。この街は第一印象だけでもどこか胸にひっかかるものがあるのは事実である。
それでも、高すぎない建物の隙間からみえる夕焼け空は綺麗だった。
二年ぶりに他人とまともにしゃべった。春からの行く宛が決まった。受け入れてくれる人がいた。間違いなく希望に溢れた日だった。
最寄り駅に帰ると私は、これから毎日の通塾のための定期券を購入した。学生ではないので通勤定期券。三か月で約五万円。母とは相変わらず事務的なことしか喋れないのだが、快く出してくれた。そのことにただただ感謝をしながら、挑戦できることの意味を、ここにいる意味を、生きている限りはずっと、考え続けなければならないと思った。