『扉』の向こう側
『向こう側』は確かにあった。
光もなく、淀んだ水中のような──何とも言えない不気味で濃密な空間。
理解出来なかった──というのが一番近い言葉。
『何か』は居た、確かに。
隙間から片目で覗き込んだだけだから、全貌は確認出来なかった、残念ながら。
真っ暗なのに何故か見えたソレは……鑑定対象として、ロックオンは出来た。
なので『存在』はしている。
鑑定した瞬間、ソレは私を認識した。
──直後、扉は墨が水に溶けるように揺らぎながら音もなく崩壊していった。
鑑定結果は、エルフに生まれて初めての経験。
【文字化けで読めない】──だった。
私は、ものすごい嫌悪感を抱えたまま、扉が消えたあとも……暫くその場に立ち尽くしていた。
──文字化け。おそらく理解不能の存在?
この気持ちの悪さ。
文字化けで情報過多になったせいか、向こう側の理解しがたい雰囲気のせいか?
──この私が鑑定で文字化けを起こした、というのはある意味大収穫だ。
おそらくあれは異界のモノだ。
──断じて、この世界のモノではない。
「そういう前提とすると、干渉可能な濃度で存在し続けてないと、理屈に合わないわ」
私はぶつぶつ呟きながら、拠点まで歩いていった。
(異界からの干渉とした場合、具現化して存在する為には代償がいる。魔力のような消費という代償が伴うもの)
────妖精は、餌?
「だとしたら──魔臓のような自力で湧き出る物、魔道具は持っていない…………」
「誰がだ?」
私が声のした方に視線を向けると、いつの間にかフレスベルグが横に立っていた。
私は今見てきた事を、フレスベルグとティティに説明した。
──私が恐怖を感じたのは内緒で。
「何故妖精か、だよなー」
「一応仮説は立ててみたの」
この迷宮は、ゴブリン王国内にある。
ゴブリン王国は人間──色んな種族が出入り出来る。
『ゴブリン王国』自体はほぼ人間界に存在しているけど、妖精領域にも少しかかっている。
この一部の妖精領域のせいで、ゴブリン由来のアイテムか……招かれなければ、初見だと見つけられない。
──この迷宮が、妖精領域との境界にあったら?
「境界ってのは前に話した通り、神隠しとか……おかしなことが多い。つまり、異なる位相とシンクロしやすい」
「うん」
フレスベルグが地面に長い足を投げ出して、座った。
「意思を持って、ここにシンクロしたということは、妖精領域か妖精境界が好ましいってことだと思わない?」
「そうだな。気に入らなきゃくっつかないだろ」
「つまり、向こう側の何かは妖精を見つけやすくて捕まえやすい」
「何でか?ってことだよなー」
「推測だけど、あっちもおそらく存在が曖昧。妖精──魔力のみで構成されてる妖精も、存在軸が曖昧」
「…………存在力の確保、か?」
「そういう結論なのよね──たぶん、存在するためのエネルギーに変換されてる」
「うぇー、じゃあ引きずり込まれたら、最後ってことだよねェ?私」
「ティティは、名付けで世界との接続が強くはなってるけどね……」
ティティは私の肩に座り、身震いした。
そりゃそうよね、一番怖い思いをしてるのは彼女だもの。
「まあ、もう少しデータを集めないと埒が明かないわ。二人とも体調はどう?」
名付けによる変化は確認しておきたい。
「そうだなぁ、魔法威力も身体能力も上がった気がする」
「私、なんだか重くなった気がするゥ!」
「ええ!?妖精って体重あんのか?何キロ?」
「サイテー!女の子に体重聞くとかあり得ないんですけどォ?そんなんだからモテないんだよ!!」
二人が言い合いを始めたので、私はパンジーちゃんを呼び寄せて首や胴回りを計測した。
あちら側に完全に飛び込まぬよう、引っ張れるハーネスが必要だからね。
──ケルベロスが、見知らぬ領域から自力で戻れる保証がないから。
「首輪がかわいいピンクだから、ハーネスもピンクがいいと思うのよ、どう?パンジーちゃん」
パンジーはもちろん返事はしなかったが、機嫌よくパタパタと尻尾を振った。
骨で思い出したけど、ドラゴンの骨なら3つの頭で仲良く齧れるんじゃないかしら。
前足は2本しかないから、それぞれ骨をあげたら、押さえるお手々が足りないものね。
絶対揉めるから、大きいのを1本あげた方が良い。
私はパンジーちゃんに2メートル近くある、ドラゴンの大腿骨をあげた。
パンジーちゃんは夢中で仲良く齧り始めた。
(ピンクのハーネス……うーん、色より頑丈一択よね。でもピンクに染色した龍革の端切れがあるはず……足りればそれがいい)
龍革が染色出来るのは、無属性の物だけ。
属性のある皮は、たとえそれが真っ白だとしても──何をどうやっても絶対に染まらない。
パンジーちゃんの特性を殺さず、ホールドするなら無属性が最適よ。




