過去の記憶
「あ、味のついた食事がこんなに癒されるとは……」
しみじみ呟いたのは、唯一の狼獣人のサムだった。
聞けば、ゴブリン達は草食で、そもそも“料理”という概念がないらしい。
当然、食生活での互助も期待できず、肉類はウサギや鳥を狩ってどうにかしていたものの──
「調味料は、最初の3年で尽きました」
以降の38年間は、素材そのものの味だけで生きてきたという。
それを聞いたフレスベルグは、まるで戦災孤児を見るかのような顔になり、
無言でポテトチップスを4人に差し出した。
──パリパリ、パリパリ。
しばらく全員で、ひたすらポテトチップスをかじる音だけが響いた。
「はぁ……美味しいですねぇ。なんだか元気が出た気がします」
すっかり満たされた表情のアシュトンが、ようやく重い口を開く。
彼らの“今まで”は、おおよそこんなものだった。
・これまで百層以上のダンジョン階層を踏破してきたこと。
・そのうち半分以上が、“動物”しか出ないフロアだったこと。
・魔物の出るフロアも、新人冒険者でも工夫すれば何とかなる程度の相手で、ドラゴンの類は見たことがないこと。
・幾つかゴブリンの村を発見したが、一度フロアを離れると、二度と同じ場所には辿り着けなかったこと。
・どのフロアでもゴブリンが“消える”妙な扉のようなものを、たまに見かけること。
・その扉は、見るたびに形が違い、同じものでも人によって見え方が異なること。
「────この層には、もう15年くらい住んでるんです。40代になったら、さすがに色々としんどくなって来ちゃって……」
「なるほど……ゴブリンの人数の変化はどんな感じかしら」
「人数は結構変動してますねぇ、いつの間にか減って、新しいゴブリンカップルが来たりしてますよ」
「あいつら、必ずカップルで来やがるんですよ!」
ジョンが地面を叩きながら叫んだ。
「俺らはずっと独り身なのに……!」
アシュレイがジョンを遮り、軌道修正して話を再開した。
「ゴブリンってほら……帽子の色とか模様で見分けるしかないじゃないですか──身内だと帽子も似てるし」
「まさに。ゴブリンを見分けるのはドラゴン倒すより難易度が高いわね」
「ですよね!え、ドラゴン?それはちょっと──で、たまに明らかに違う帽子のゴブリンが来るんですよ」
「カップルで!」
ジョンが叫んだ。
「そういうゴブリンに、どこから来たのか聞くと、ゴブリン王国から入ってきてるんですよ……どうやら最近のゴブリン達は、その……ここが『恋愛穴』だって言うんですよ」
言い淀んだアシュレイの話を、マイケルが引き継いだ。
「なんだかね、恋愛成就の肝試しスポットらしいんですよ。若いゴブリン達は」
「帰レナイ穴がレンアイ穴になってるっぽくて…………」
私達は、不本意ながら大笑いしてしまった。
帰レナイ穴─レンナ・イ穴─レンアイ穴……
これがゴブリンの伝説なのね!
実に、実にゴブリンだ。
「ティティの話では、戻ってくるゴブリンもいるって話よね?」
ティティは一生懸命記憶を掘り起こし、答えた。
「彼氏の話ではァ~、ゴブリンがレンナ・イ穴から知り合いがテンイで戻ってきたって噂してたって。でも、ゴブリンって自分の子供とか配偶者も時々間違ってるしィ~」
「つまり、本当に戻れたゴブリンがいるかどうかは、怪しいってことよね」
「うん、そう思い込んでるだけかも~」
「あり得る」
「否定できない」
「多分そうだろうなぁ……」
「ゴブリンだからな」
──この説は、満場一致で可決された。
「うーん、ここから帰れた者は居ない……たぶんね」
先ほどから、急に口数が減ったアシュレイが手にしたカップを揺らしながら、ポツリポツリと話し始めた。
「私、お試しでハリスのパーティに入れて貰ったんですよ。14歳でしたし、有名人のパーティに入れば前途洋々だと思って」
「だから、ハリスに呆れられるような事は言えなくて──ずっと黙ってたことがあるんだ」
「あれはここに来て、まだ数ヶ月だった。私は3番目──明け方の見張り役で。野営場所はゴブリンの集落の近くだったんだ──」
他の3人はそんなことあったかな?という顔をして聞いている。
「で、すぐ近くに『扉』が現れたんだよ、なんというか絵の具が水に滲むように」
「これはおかしい!と思って、剣で切ってみたけど、なにも起こらなかった。音も無かったし」
アシュレイの手が震えている。
「ゴブリンって早起きで、その日もわらわらとその辺を歩き回ってて──扉なんか見えてないのか、慣れてて気にもしてなかったのか当時の私は知らなかったので、黙って見てたんです」
「そしたらですね、扉から蔦みたいなものがシュルって出てきて、ゴブリンに巻き付いたんですよ──」
「それって──」
私はフレスベルグを手で制し、アシュレイに続きを促した。
「ゴブリン、そのまま扉に引き込まれたんです。その後、扉も滲み出して──消えたんです」
「周囲のゴブリンは、何も気にしていない様子で……私はハリスにこんなバカげた話をしたら、契約切られてしまうと思って、ずっと黙ってて──何も無かったことにしたんです」
アシュレイはカップをテーブルに置いた。
コト、という音がやけに大きく聞こえる。
「でも──思い出してしまった。あれはなんだったのか?と──」




