スラム街とオネエ
気がつくと夕方になっていたので、家を出て噴水のある中央区へ向かう。
この家は貴族区と中央区の境目にあるから、さほど中心地までは遠くない。
噴水までは早歩きで15分くらい。
家が面してる道の並びは貴族区に面しているからか、宝飾品とか魔道具のお店が多いみたいで、工房もいくつかあるようだ。
噴水の回りは飲食店ばかりだ。
今日のお目当ては西門の更に西にいった一角、スラム街だ。
どこから見られているかわからないので、家を出入りする姿はエルフでなくてはならない。
人混みと建物の陰などでちょっとずつ見た目を変えていく。
髪は輝く銅色で肩下あたりまでの巻き毛、高い鼻、ちょっと大きめの肉感的な唇と…目は切れ長の明るい若葉色。
色白でグラマラスなボディの人目を引く美女の出来上がりだ。
銅色と緑の瞳は存在しない訳ではないが、この大陸では珍しい部類だと言ってもいいだろう。
名前は「エイプリル」
王都で暗躍する悪い女だ。
スラム街に近付くにつれ、人通りが少なくなっていく。
酔っぱらいを軽くあしらいながら、どんどんスラム街方面に進む。
じきにガラの悪い青年達に声を掛けられるようになった。
精神干渉の魔法は好みじゃないから滅多に使わないけど、得意だ。
私は難なく魅了と自白の魔法で、男達を利用して片っ端から情報を集めて回った。
アンバード一家。
このスラム街を取り仕切る輩の通称らしい。
男達の言葉を借りるとスラム街の奥の【シケた酒場】の地下が本拠地らしい。
私は周囲を見渡した。
あちこちで寝ている老人や子供。
痩せていて不健康そうな上に不衛生極まりない。
どこのスラム街も似たり寄ったりだ。
教育を受けられなかった者達、無知が災いして犯罪者になった者達。
そういう者達から産まれた不幸な子供。
後は追われた者、何かから逃げて潜んでいる者、それら全てを食い物にする悪党。
犯罪が横行するこういう場所がスラム街。
バン!と勢い良く【シケた酒場】の扉を開けると、数人の露出度の高い服を着た女達が悲鳴を上げた。
「なんだテメェ!」
客なのかアンバード一味なのかわからないが、若い男が数人向かってきたが、チンピラなど怖いはずもない。
私はチンピラ数名を叩きのめし、一番近くにいた男に小剣を突きつけた。
「ボスはどこ?」
散々脅して聞き出せば、ボスはスラム街じゃなくて中央区の繁華街に居るそうだ。
「ふーん、じゃあ今すぐ案内するか、連れてきていただける?ここに」
「お姉さん、物騒なものは下げてくれないか」
店の奥から身なりのいい若い男が出てきた。
シャツがはだけている所を見ると、女と戯れていたのだろう。
「全く…こんな騒ぎを起こして何の用だ」
「商談よ?私の欲しいものは決まっているけど、報酬内容はまだ決めてない。ああ、別に取り次いでくれなくてもいいのよ」
全員殺せばそのうち出てくるでしょう?
「わかった、わかった」
飛び散ったガラス片を避けながら男は手を上げて降参だ、と言うジェスチャーをした。
「言っておくけど。私は小剣も使えるけど、本業は魔法よ」
男のシャツのボタンだけが燃え上がった。
「アチ、あっつ!わかった、わかったよ」
男は着替えてくるから待て、言い残し奥に戻っていった。
女達は壁際で身を寄せて震え上がっている。
良く見れば若い女ではなく、スラム街の暮らしのせいなのか容貌は老女のよう。
床に転がったチンピラは異臭がするし、空気みたいに隅に避難してる酒場の店主だけがまともそうに見える。
カウンターの上にある安酒の匂いも、たばこの匂いも何もかも不快だった。
シャツを換え、きちんと上着を着て再登場した男は中々の色男に見える。
男はフランツと名乗り、ボスのいる店までは案内してくれると言う。
エイプリルを頭から爪先まで眺め、感心したように「良い女だな」と一言。
「会ってもらえるかどうかまでは期待しないでくれ。一応取り次ぐからさ」
「それでいいわ」
「いやー、お姉さん強いねー、しかもえらい別嬪さんで。いいねえ、いい女は大好きさ。名前は?」
「エイプリルよ」
「オッケー、エイプリル。良い名だ」
男と私は一見仲良さげにスラム街から出て、中心街から少し離れた繁華街へ足を踏み入れた。
フランツはしばらく入り組んだ道を縫うように進み、品の良い外見の酒場で足を止めた。
エイプリルの服装は、身体のラインがしっかり見えているマーメイドラインのワンピースだ。
すれ違う男は大体振り返って、エイプリルの尻を惚けた様子で見送っている。
そういう風に化けているのだから、そういう反応じゃないと困る。
フランツも舐め回すようにエイプリルを見ているけど、フランツの仕事は私を眺める事ではない。
「ちゃんと仕事しないと殺すわよ」
「おおこわ!」
フランツは大袈裟に怖がってみせ、私をエスコートして奥の席に座らせると、ちょっと話通してくると言い残し姿を消した。
ソファーは高級な生地が張られており、調度品にも相当お金を掛けてそうな酒場だ。
酌をしている女性は皆美しく、蠱惑的。
客層も裕福そうな男性ばかりだ。
時折、女性と腕を組んで2階の階段を上がっていく客がいるところを見ると、この酒場は娼館も兼ねた【そういう店】なのだろう。
私のテーブルにはワインが置かれ、遠慮なく2杯目を飲みはじめた頃フランツが迎えに来た。
案内されたのは2階ではなく、地下。
照明もない暗い階段を音もなく降りていくフランツは、ただの色男ではなさそうだ。
フランツがドアをノックすると、中からすぐに応答があった。
いかつい男がドアを開け、フランツに続いて室内に入る。
室内は豪華絢爛、キンキラキンだ。
そして中央の玉座みたいな椅子に座っているのは50歳前後の迫力のあるマダムだった。
プラチナブロンドに紫色の瞳。
中々の美人で、真っ赤なドレス。
耳やら指のあちこちを大きな宝石で飾り立てた派手なマダムだ。
「ちょっとアンタ、オイタが過ぎるんじゃないの?」
マダムが低いダミ声で話し始めた。
訂正。ボスは、オッサンだ。
「そう?この街には来たばかりなもので」
本当に今日来たばっかりだから、嘘はついていない。
「来たばっかりでアタシのところまで到達するなんて、中々じゃない。どうせフランツが鼻の下伸ばして連れてきたんでしょうけど」
ボスはトン、と煙管から灰を落とした。
「御託は要らないわ、用件を言いなさい。せっかくここまで来たんだから、話くらいは聞いてやろうじゃないの」