瞳孔
「んん?」
私は寝坊してしまった!と慌ててリビングに来たミシュティに、違和感を覚えた。
走ってきたせいか、毛が膨らんでちょっとボサっとしているのはご愛嬌。
(何かが違う──)
私は誰にも言ってないが、ケット・シー愛好家な自覚がある。
相変わらず可愛いが、今日のミシュティはどこか不穏な気配を漂わせている。
「……目だわ」
私の声に、ミシュティが立ち止まった。
それをいいことに顔を覗き込む。
「──瞳孔が開ききってるわ」
まんまるに開いた瞳孔が、夏の海色を駆逐して黒い瞳に見えている──。
「実は目薬を間違えてしまいまして。昨日はファンクラブの会報を読んでいて徹夜したのですが、明け方にちょっと寝てしまいまして」
「うん」
「慌てて起きたのは良いのですが、朝と夜の目薬を間違えちゃったんです……」
「いつから目が悪いの?」
ミシュティは首を傾げた。
「ジューン様にお仕えする前ですから……ええと、二百十五年前です」
「ふむ。これは極度のドライアイね……目薬は症状を和らげるだけで、治らないのでは?」
私はミシュティの瞳に光を当てながら、観察した。
「そうなんです。なので夜になると目が霞むので、瞳孔を開いて休ませる目薬を寝る前に」
「うーん、確かに妖精の眼科なんて見かけないものね」
(そもそも妖精のドライアイって聞いたことないけど、一体何をしたらそうなるんだろうか?)
「まあ、そこに座りなさいな。原因に心当たりはあるの?」
ミシュティは遠慮がちに椅子に腰掛け、差し込む朝日に目を細めた。
「原因は黒鳴山に行った時ですね」
「黒鳴山ですって? なんでまたそんなところに」
「護衛科の演習があったんです」
「あ、家政大学の……」
「はい。教授が山頂に置いてきた物を、戦闘能力ゼロのホムンクルスを転移不可で護衛しながら持ち帰るという内容でした」
黒鳴山は凶悪な魔物が数多く生息する、魔界でも指折りの凶悪地帯だ。
私でも好んでは行きたくない場所。
学生の演習に使うとか、正気の沙汰ではないように思える。
家政専門機関に護衛科があるのも、甚だ疑問ではあるが。
(あの学校が色々とおかしいのは、ミシュティを見ていればなんとなくわかるけど……)
「あ、ホムンクルスは欠損なしのパーフェクトで下山出来ましたし、評価は最高を頂いたのです」
「ああ、そう……」
「うーん、これは……」
(ケット・シーの寿命は数千年。ミシュティはまだ若いから、数千年ドライアイとお付き合いか)
「治癒魔法を使うべきでは?」
「そうなのですが、目を直せそうな治癒師が見つからないんです」
「確かに首から上はとても難しい。脳に近ければ近いほど、精密な魔力操作が必要になってくるから」
「多少寿命コストがかかっても、治したいんですけど……目だけは本当に難しいらしくて」
ミシュティは目を伏せ、ついでに耳も力なく伏せられた。
時間をかけて、あれこれ調べた結果。
ミシュティは涙の量も少ないが、その成分に油分がほとんど無いのが判明した。
「人間だと外科処置か、治癒師もいるんだけどね」
妖精のように魔力で身体構築を補完している種族は、人間とは違うので治癒技術の難易度は跳ね上がる。
そもそも、こういう種族は時間はかかっても魔力で自然に快癒していくものなのだが。
(二百年も続く症状は珍しい……)
「黒鳴山で何があったの?」
「下山途中で黒鳴獄龍に遭遇してしまいまして」
「主じゃないの」
「採集者が居たらしくて、こっちにその人が逃げてきたのです」
「良くある事故ね」
ミシュティは頬を膨らませ、苛立ちをにじませた声で呟いた。
「遭遇しないよう、綿密にルートを考えていたのに、です」
「あらあら」
「採集者がいる可能性は考慮してたんです。あの山の植物は人気ですから」
「そうね、確かに高温でも引火しない植物は超高額素材だけど──他者に迷惑かけるのはダメね」
ミシュティはフンッと可愛らしく鼻を鳴らした。
「前期の演習で、一番には及ばずだったので絶対にトップを譲るわけにはいかなかったのです」
「なんという負けず嫌い」
ミシュティは肉球を握り込み、勢い良く頷いた。
「せめて次席は死守したかったんです」
(ああ、唯一首席を逃したコースって護衛科か……)




