嫁(ハーフエルフ)
出勤は八時である。
私はひよこ島の寝室で、ぱちりと目を開けた。
──六時半。
転移が使えるから、通勤時間は余裕である。
(エイプリルの新居に生活感出すのに、朝食は魔術師の家(仮称)でって決めたけど)
サッと顔を洗って、普段使ってる化粧水じゃないものをパパっとつけて、準備完了。
普段は自作のハーブ化粧水だけれど、ジューンとエイプリルが同じ香りを纏っていた場合──鼻のいい人がいたら、バレる。
バレていいことは何もないので、エイプリルは王都で買ったそれなりの値段のする化粧水だ。
幸い肌は丈夫なので、何をつけても大丈夫。
細かいようだけれど、通りすがりの瞬間的な擬装は難しくないけれど……ちゃんと生活をしている別人に成り済ますのは、意外と手間がかかるものだ。
用心してても、気付く人は気付くしね。
エイプリルの家で、カフェラテとサンドイッチの朝食をとる。
タマゴサンドじゃなくて、ハムのやつ。
エイプリルは、タマゴサンド大好き女ではないのだ。
「はぁ……」
行きたくなさすぎる。
だが仕事は仕事だ、やるしかない。
やれば必ず終わるもの。
私はサンドイッチを包んでいた紙をくずかごに捨て、マグカップを洗って出勤した。
朝礼は特に問題なく、八時半にはリリナさんの準備が整ったので、約束通り『レン』さんのもとへ書類を携えて転移した。
「やっぱり名前は『レイン』にするから、それで」
まあ、通称なので何でも良いからね。
レンでもレインでも本名のマサオでも何でも良いんです、ハイ。
リリナさんは慣れた様子でハイハイと受け流している。
その小さな背中は、歴戦の戦士のように頼もしい。
「んで。俺は何で呼ばれたわけ?」
マサオ……いや、レインはテーブルに肘をついたまま、不遜な気配を漂わせている。
と言っても、恫喝とかそういう感じでもないので、彼なりの親しみのあらわれなのかもしれない……。
(コミュ障ってヤツなんだろうか……)
コミュ障、ね。
あんまり良い言葉ではないと思うわ。
少なくとも、気軽に使って良い言葉じゃない。
元々は自虐的な言葉だったんだろうか?
他人を評価するための言葉ではない気がする……私はそう感じるかな。
人見知りでいいじゃない?
(おそらくマサオレインは、沈黙に耐えられず、結果良く喋るタイプの人見知り……)
勇者ヨッシーオに倣ってマッサーオでも良いんじゃないの。
レインって!雨かーい!
心のなかで呟きながら、私はリリナさんとレイン氏の会話を無心に通訳することに専念した。
「え、じゃあ召喚じゃなくて迷子ってこと!?」
レイン氏はようやく現状を理解し始めた。
ちなみに、もう十時をすぎている。
ようやく契約書の説明が終わるかと思いきや、話は妙な方向に進みだした。
「いや、うちの嫁がハーフエルフだからさぁ」
「ハーフエルフ」
リリナさんの瞳が鋭い光を放った。
「エルフ関係者であると?」
ああ、不味いよマサオ!
エルフ関係者なんていったら、こっちの世界では反社会的勢力だよ!
反社っすよ反社!
「奥様が、エルフ……ということですよね」
リリナさんが緊張感を漲らせ、確認する。
「お、おう?ハーフエルフだけど──」
リリナさんのハンドサインを見て、冒険者たちが戦闘体勢に入る。
「レインさん、身内にエルフがいらっしゃるということは──「地球」からの転移者ではありませんね?」
──通訳する私の身にもなって欲しい。
その嫁、絶対実在してないヤツ。
推しがいるのは良い。
嫁でも彼女でも、好きにして良い。
(だが、エルフだけはダメだ……!)
「え、……え?」
ものものしい雰囲気に、狼狽えるレイン氏。
「冒険者ギルド──アルシア、王都支部特別条項第十七号に基づきレイン氏の身柄を拘束します」
「なになに?えっ待って──」
簡易的にだけれど、拘束されたレインさんにリリナさんが説明していくのを、齟齬がないよう丁寧に通訳していく。
「今回の当ギルドの普段より手厚い『異世人保護』のサポート体制は……『地球のニホン』から迷い込んできた人限定なのです」
「なので、地球に存在しないはずのエルフと婚姻関係にあるレインさんは……地球からの転移ではない、とみなします」
「え、いや、それはあの」
リリナさんは不思議そうな顔をして、私に尋ねてきた。
「ねえ、エイプリル。なぜこのエルフ関係者は急にうろたえだしたの」
「……ああー、多分ですけど 。『嫁』というのは通訳ですと配偶者の方の意味合いになるんですが『ニホン』の場合、好ましく思うアイドルだったり絵画のようなものを『嫁』と称する層がいまして──」
「???」
いや、そうなりますよね?
何と言って説明したらいいのか……しないとマサオはこのまま国外追放(良ければ)または処分(最悪の場合)の危険がある。
(なんで嫁がいるなんて話を?聞いてもいなかったのに……!
国外追放、国外追放……国外追放は無いな。
受け入れ先が無いし、エルフ関係者を押し付けた……と戦争になりかねない。
「ニホン独特の言い回しといいますか、通訳では伝えきれないニュアンスがあって……」
私は必死にリリナさんへ、文化について説明を繰り広げた。




