episode8 アカシック・レコード
AI開発チームは結成されて二十年と四ヶ月、開発自体はὍμηρος完成まで二十年と数日かかっているので、Ὅμηροςは完成してから、まだ四ヶ月弱しか経っていない。
開発中、チームは(代替わりして世代交代しながらも)プログラマー十二人とシステム・エンジニアに十人の三十二人で行っていたが、最終完成版以降は半分の十六人となっていたが、昨年来、チームのチーフをしている韋究の発案で、数学者を加えて二十名となった。
甍は新たに研究員として配属された数学者たち四名に簡単な説明を行った。韋究や甍のように、飛び級を経た者たちばかりで、博士号級とは思えぬほど若い。そもそも、韋究や甍がまだ二十五なのである。
「以上が基礎です。
どうかな?
わかったかな?
Ὅμηροςが数学と波動観測から導き出した多次元時空の波の動きのシミュレーションを数学的に検証してもらいます。導き出してもらう。それが主たる使命です」
途中から入室して末席で聞いていた韋究が、
「甍、アカシック・レコードについても話しておいた方がよかろう」
「あゝ、そうだね。そうしよう。
さて、またまた、君たちが受け入れ難い話をしなくちゃならないね。
アカシック・レコードについては、知っているかな。リアクションがないね。じゃ、指名するよ。
ええっと、はい、そこの君、言ってみて」
凛としたボブの女性が、
「神秘主義とか、魔術系の人たちが言うものですよね。
宇宙のすべての記録がそこにあると言う。どういう媒体なのか知りませんが」
甍が微笑する。
「粗々そんな感じかな。
全宇宙の記録がある、という考え方です。
世界の原初からの永劫未来までの一切の事象・想念・感情の記録、世界記憶、それがいわゆるアカシック・レコードというものです。
ちなみに、全宇宙というのは、無限のヴァリエーションを持って無際限に存在する並行(平行)宇宙全てのことだけど、その全宇宙の現在過去未来の全てが在る。
現在過去未来というのは、三次元空間的な考えで、時間のかたちにも、実際には無限のヴァリエーションがあります。
その情報量たるや凄絶なものですよ」
咳払いし、
「それが丸ごと、集合的無意識にある。アカシック・レコードです。
もっとはっきり言えば、デジタルの記録や紙媒体の記録のように記録として、つまり、記録される対象とは別のものとして在るという訳じゃない。
全宇宙を記述した、又は写した記録ではない、という意味です。
全宇宙そのもの、その実在、実体、実物ということです。
僕らはアカシック・レコードのなかに棲んでいるとも言える」
甍は皆の顔を見廻した。まるで、物質のようであった。いや、人間も物質で間違いないが。
「ま、なかなか理解できないだろうね。
って言うか、入っていかないだろうね。
人間は理で物事を理解しているのではない。論で解釈している訳でもない。つまり、僕らが思っているような意味での〝知〟で物事を捉えている訳ではないと言うことです。
馴れと言うか、経験的に感覚に馴染まなければ理解できない。
理解とは、畢竟、感覚に馴染ませて、納得という心的現象を起こしているだけだ。昔から「腑に落ちない」などと言うのもそういう消息を指して言っているのです」
甍はまた言葉を切って、聴いている者たちの表情を見る。
咳払いし、
「なぜ、アカシック・レコードが全宇宙か、と君たちは思うだろう。
なぜ、そうかを説明することはできないが、なぜ、そうでないかを説明する方法もない。
胸に手を当てて、よく考えてみ給え、君たちは、ただ、「そんなバカな(経験にそぐわない)」と思っているだけで、深く鑑みてみると、論理的な根拠は皆無なのだ。
違うかな」
誰も応えない。
「どっちに転んでも、論理的な根拠は見出せない。根拠が何かも。全て唐突、全てが絶空だ」
呆れ果てた視線を感じながらも、
「ふふっ、科学や数学に携わる者たちの間で、いったい、この男は何を言っているんだよって感じかな? 人の気持ちを推察するのは苦手だけど。
いや、それとも、かなり以前から、量子論の考えが広まっているせいで、一見非科学的な話、たとえば、物質の存在の局所性の否定や、光の実験の結果が観察者のいる場合といない場合とで異なるなどの話には、もう、すっかり慣れっこになっていて、さほどの違和の感もないであろうか。
絶空とは空をすらも絶つ、(男のなかの男、みたいな意味で)空のなかの空、真の空であって、畢竟、空ではない、あらゆる論理性を超越して一言で言えば、つまりは、今この瞬間のこの現状のことです。
まともじゃない、全くタブーのない、ボーダー・ラインもない、狂裂自在な自由狂奔裂のことです」
少し呆れた表情のチーム・メイトたち。
歎息し、
「存在の否定は簡単だ。
色彩論でも例示したとおり、全ては解釈に過ぎない。
少なくとも、実存的にはそうだ。
と言うか、僕らには実存しかない。僕らは愛する者の死を笑うことはできない。まるで、組まれたプログラムのように。喪失というスイッチが入ると悲しむ。まるで、ロボットだ。自由な選択肢がない。
よくAIにはないものが人間にはあると言うが、そうだろうか。僕らは機械装置と大差ない。
なぜなら、僕らにはじぶんの意思による自由な選択がないからです」
甍は髪を掻き分け、
「いや、話が逸れたね。戻そう。
そう、僕らにとって、切実で在るほど、よりリアルだ。
真実を求めるのなら、実存内で切実さの精度を高める(本当に切実なのは、どちらか、など真に切迫した実あるもの・ことを求める)ことしか考えられない。
可能な限り迫真たるもの・ことを求めるしかない」
「どうやって、それを求めるか」
「やっと、質問が出ましたね。
よいことです。
まずは判断停止です。
判断停止によって炙り出された〝直観〟と通称されるものが必要だからです。
すなわち、理知や言語を交えない純度の高い直截の観取のことです。
そこまでが、僕らのドクサ(独断)によって考えられる限りに於いて、可能な、最も精度の高い認識だ。
決して、真に於いて真の世界ではない。
しかし、そんなものはあるのか。それすらわからない。
何もわからない。
人間の価値観が勝手に決めたものに過ぎない。
その価値観はどこから来たのか、経験から醸造されたのか。それは進化の過程で積み上げられ、構築されたのか。
いずれにせよ、自然現象だ。人智を超えた奥底から湧いたものです。
そのような構築のコンセプトを誰も解明できない、現にできていない。
在るか、ないかをも含めて、真実の世界については、真実の世界がどうであるかは、全く想像できない。
もしかしたら、そこで観る世界は人が通常想うような世界ではないかもしれない。
人が見る世界は空想であり、捏造であり、解釈に過ぎず、ドクサまみれだ。
真の世界は、そんな世界観とは全く異なり、もし、真の世界を見ることができたならば、かなり違和感があるかもしれない。僕らはもしかしたら、そのあるがままの世界を知るべきなのかもしれないけれども。
しかし、それは不可能だ。僕らは僕らを超越できない。
虚しい空想を生きるしかない。
だが、たとえ、虚しい空想であっても、我々にとって、大切なのは我々に取って切実な世界だ。生活、すなわち、仕事で追い込まれることや借金や病や、苦しみや痛み、じぶんと家族の生死だ。
たとえ、括弧つきの〝事実〟であっても、それが人間にとっての現実存在、実存、事実であると言える。
では、その括弧つきの〝事実〟をどう考えるべきか。すなわち、僕らに与えられた直截の観取、エポケーによる純度の高い認識、直観を、どう考えるべきか?
だが、その前に、僕らは僕らが持つ事実とか、実在とか、現実、真実というものの、かたちや輪郭、在り方やコンセプトに疑問を持つべきではないか。
そういうカテゴリーがあるかどうかに。
もし、それがないとしたら、どうだろう。
つまり、〝事実〟という、かたち、輪郭、在り方、コンセプト、カテゴリー、それらがない、と考えた場合だ。
実際、僕らはそれらへの理解を持っていない。
ただ、わかっているだけで、実のあるものは、何も持っていない。
理解や納得という心情があるだけで、精緻で詳細な、零から構築された説明を持っていない。無前提、かつ、無条件から始めるロジックを持たない。
理不尽で、唐突と言っていい。
全てが唐突で、理由も、経緯も、根拠も、原因も不明だ。僕らは、ただ、受け容れているだけです。
これが僕らの実情・実態、僕らに於ける現実だ、と。
そのとおりだ。それが全てだ。
解明はない。解釈もない。結構もない。結論もない。解決もない。
無に等しい。無空に均しい。絶空に齋しい。しかし、ないものに等しいとは何か? あり得るか? あり得ない。あり方がない。つまり、無と同じだ。等しいかどうか不明だが、それゆえ、同じだ。おや、欠伸をしていますね。無理もないことです。さて、議論を戻しましょう。アカシック・レコードについてです。
その前に一つ喩えを。擬態をする昆虫や爬虫類がその知恵を躬らが頭で考えたのでないとしたら、その知恵は、恐らく彼らの外にあります。人間の知恵も頭のなかにあると想い込まれていますが、爬虫類たちと、さほど変わりません。思考とは、そういう存在です。
ちなみに、アカシック・レコードのアカシックとは古代インドの神聖語(サンスクリット語)のアーカーシャ(虚空、天空、空間)に由来します。なお、虚空蔵という言葉がありますが、虚空蔵とはアーカーシャガルバ(虚空の母胎)という意味で、虚空、宇宙空間のように無尽蔵であることを表します。『あきゃしゃぎゃるば』などとも言いますね。
仏教に虚空蔵菩薩という菩薩がいますが、虚空のような無尽蔵な知恵・知識があるとされます。まさしくアカシック・レコードですね。
さて、この無尽蔵のアカシック・レコードが、いったい、どこに在るかというと、僕らは人が持つ無意識の、さらなる下層に、個を超えた集合的無意識の層に在る、と考えています。それはさっきも言ったように外部と融和しているかのような状態にあります。
僕らは集合的無意識界にアカシック・レコードが実在すると考えています。科学的な立場からは、そんなものは神智学や神秘主義者の妄想だと言われ続けて来ましたけどね。
全並行(平行)宇宙・異世界・多次元世界全てを含む全世界の記憶が。
ちなみに、並行(並行)宇宙についてはどうでしょう?
この十一次元あるとも言われる時空(時間軸が一、空間軸が十ある)に於いては、並行する宇宙があるというのは、そんなに違和感のあるものではないと思いますが。
僕らは、実際、この世は十一次元時空以上だと考えています。百次元、一兆次元、マイナス二次元、〇.一次元、マイナス一〇分の九次元などなど数学の及ぶ限り無限に。
であれば、もはや、何でもありだと思います。過剰超絶に自由自在、何があってもおかしくない」
四人とも黙っていた。
「まあ、そうですよね。
この狂裂自在、自由狂奔裂がさっきも言った絶空です。ビッグバン以前、宇宙の起源に於いては、無すらもなかったという科学者がいますよね。だから、何が起こってもおかしくなかった(とまでは言及していませんでしたが、僕はそう思います)。
絶空であれば、間違いというものがない。正解もない。
何もない。無すらもない。その意味がわかりますか。何もない、ということすらもないということです。だから、全てであり得る。何もかもでもなく、何か一つのことだけであっても、逆に全くおかしくもない。
矛盾です。
ですが、なぜ、矛盾はいけないのでしょうか。反論理的だから?
論理の正しさは、どう証明するのでしょうか。
そもそも、証明とは、何のことか。何を指すのか。何を示すのか。なぜ、証明すると確立するのか。
わからない、答のない、そうだから、そうなんだよ、としか言えないことばかりです。僕らは理不尽のなかを生きている。唐突で、朴訥で、傍若無人、ある意味、暴力的ですらある」
沈黙。
「新しい意識が必要です。
僕らはそれを探る。
恐らくは、超越的な意識が可能にすると推定しています。新たな進化です。
いや、新しくないのかもしれない。封印を解く、アンロックする。
たとえば、それは解脱です。悟り、超越です」
甍は半ば夢中で続けた。
「一つの方法論として、脳の機能を百パーセント近くまで使うことを考えています。
そのために、脳の制御を解除する。脳の機能・仕組みの完全解明によって制御の構造を解明し、解除のスペルを作る。
解除のスペルとなる脳波を創ることを想定しています。
電磁波のパターンや神経伝達物質の具体的な名称は省略しますが、簡単にいうと、次のような流れで行う。
まずはスペルの基についてですが、スペルは電磁波を基とする。
作成した特定の電磁波を脳に送って、神経伝達物質をシナプスから樹状突起へ飛ばし、インパルスを起こす。
インパルスは信号としてニューロンからニューロンへと伝わり、その二進法的な信号がコンピュータの計算機能のように機らく。それがプログラムのような解除のスペルを構成する。
これによって、制御を解除する。覚醒だ。瞬間的阿耨多羅三藐三菩提(仏の悟りの境地。無上正遍知、無上正等覚)を惹き起こす。(。)
次に、意識を二つにする。
制御解除の後は、あらゆる能力が発揮されるが、再び電磁波を送って、二つの意識構築を促すスペルを起こす」
甍は咳払いし、
「むろん、単純ではない。複雑で、かつ、微妙で、変則的だ。精妙精緻を要し、高度の技術を必要とする」
実際に、アカシック・レコードへ、集合的無意識に逝くこととなった。Ὅμηροςの導きで数学者四名を引率しながら。特別のことではない。集合的無意識は、現実の全世界と同一なのだから。
さて、逝くメンツは天之ルネ、平衛白憂、彝佐紗々火、同源俠子。全員女性だ。
四次元空間的に脳裡を裏返し、多次元に運動方向を増殖させ、曼珠沙華が咲き乱れるかのような曼陀羅の構築による阿耨多羅三藐三菩提を咲かせ、星辰の運行のような萬華鏡の奥へ奥へと舞い降りる。