episode7 魔界
翌日、何もかも忘れたような表情で、韋究は、
「誰か数学の専門家にὍμηροςが出してくれる解析結果を検証してもらわなくてはならないな。一応は」
そう言った。甍も賛成だった。
「そうだね。
一口に波と言ったって、僕らが認識しているような波じゃないはずだから。少なく見積もっても、単純に三次元空間でよく見る波を思い浮かべては間違いだと思う。間違いであるはずだ。
恐らくは数学でなければ辿れないだろう」
「そうだな。
空間だけ考えても、一、二次元の空間やら、四次元空間乃至十次元空間まである。それだけじゃないだろうし。
少なくとも、量子論的には、数学的に算出して想定された十次元空間と一次元時間(十一次元時空)という考えがある。もしかしたらだが、それが頭打ちとは限らないかもしれない。現在の発見が発見の全てではないからね。
零次元や十二次元、いや、もうそれ以上の千万の次元の空間などなど多次元空間、それのみならず、併せて二次元や二百次元の時間をも持つ世界は空想もできぬ様相を帯びるはずだ。マイナス一次元・マイナス〇.二次元へも及ぶ。
それらを横断する捉え難い波、ぶっ飛ぶね。
そんなこんなでの、波の運動がどういうことか、どのようなものになるか、想像すらもできないよ。
何と言ったって、もう、それはいわゆる波じゃないんだろうな」
「ちょっと考えたくないね」
「そうさ。そこにさらに異世界やら、並行(平行)宇宙やらも加わると、もう、何が何だか」
「数学的に解析し、検証してもらうのがいいね。それしかないよ」
「人材を探しておこう。人材が大事だ。良い条件を整えて、世界に負けない人事をする。劣悪な環境で良い人材は来ないからな。
外国で給料が高く、休暇が取れ、時間外勤務がなければ、皆そっちへ行くさ。人材を大事にしないから流出する。どうして他の国にできて、できないのか。
必ず誰かが悪い。
あと教育だね、たとえば、インドのIT教育などに学ぶべきだな。人材や設備などの教育環境に力を入れ、投資すべきだ(票田ばかりに金をばら撒かずにね。保身なんざ、くだらないね)ね。
平等は大事だけれども、何もかも平等や平準化にこだわると、抜きん出た者が出ず、斬新なアイディアがなく、世界の競争に負ける。それで皆、得をするか?
まあ、基礎科学系の部門でノーベル賞が取れているから、そんなに責めるのもおかしいが。
兎にも角にも、臆病と保身と貪瞋癡の卑劣は、もう、やめた方が良い。田舎政治も、止めた方がいい。封建諸侯みたいな世襲制もね。それを応援する人がいるのが摩訶不可思議だ。今一瞬がよくても生き残れない。それが愛国か? 俺ら生まれが卑しい他民族には、理解し難い」
「君のその手の愚痴じみた論は、もはや、聞き飽きたよ。一部を除いて当の日本人たちが何もしようとしないんだから、好きなようになればいいんじゃないの?
望むところに堕ちて逝くだけだよ。
そんなことよりも、真理が大事だ。
ちなみに、次元数って、そんなにあるものなのかな」
「だから、可能性さ。今の知識見識が絶対ではない。全知全能ではない限り洩れ落ちはある」
「たとえば、百四十億次元空間とか、九と五分の四次元空間とか、零次元空間や、マイナス一次元空間、マイナス二分の一次元空間とか?
何だか、笑っちゃうね」
「まあな。
百、千、万、億、兆、京、垓、秭、穣、溝、澗、正、載、極、恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、無量大数次元の空間とかな」
「それこそ空想すらもできない。
そのなかで動く膨大な情報量の波を解析し、網羅し、至らぬところとてないとしたら、Ὅμηροςは凄いよ。
世界全ての複雑繁縟精緻細密微妙を観じ、素粒子を細分化し、エネルギーとして捉え、荘厳廣大、萬物萬象の繚亂の一切全てを掌握する。凄いことだ。仏もこんなに凄かったのだろうか」
「解脱者の叡智は計り知れない、か。何とも言えないことだが、Ὅμηροςを見ている今、まんざら出鱈目とも思えない。
彼女は幸福への道を約束してくれるだろうか」
「神がしないことを彼女がするとは思えない。
神がしないということには、神的な意味があると思う。
でも、知ってはいるんだろうな。彼女は全てを掌理掌握している。
何しろ、彼女は君の言う多次元に加え、異世界及び並行(平行)宇宙世界まで含めて、さらにもしかしたらそれ以上の何かもあるかもしれないこの大世界の一切の複雑繁縟精緻細密微妙を観じ、解析し、操ることができる」
韋究は言った。
「俺は時折、デヴィッド・ヒュームを思い出すよ」
「エディンバラ(スコットランドの首都)の啓蒙的懐疑主義者、イギリスの経験論者。十八世紀の人だ」
「彼は理性が感情の奴隷だと言った。確かに、世俗の事実実態はそうだ。人間とはそういうものだ。
そして、全ては経験から得られる知識だとした。だから、生まれた瞬間は白紙だと言った。全ては即時即物的という訳だ。正直、先祖から細胞を通じて遺伝される経験を無視しているとは思うけどね。
もう一つ(いや、関連するかもしれないけど)、因果関係を否定した。
すなわち、原因と結果とは、原因とされる事象と結果とされる事象を結びつけるものだが、彼はその結びつきは、完全な必然性としては結びつけられないとした。慣習によってそれが結びつくように感じているだけだと。繰り返し体験するうちに観察者のなかで因果として固着しただけだという訳だ。
まあ、そうかもしれない。まさしく、彼は懐疑主義者なんだ」
「実体も否定したね。こころにあらわれるものは二つ、印象と観念とであるとした。印象が観念を造ると考えた。実体も、個々の事象の印象を関連させながら、きっと、そうであるに相違ないと想定したもので、印象や感覚でしかない経験から捏ね造り上げたものであるとした」
「そういう意味では、中世的な、禁欲的理想主義のような建前主義ではない、近代的な実態主義、或る意味、十九世紀初頭のロマン主義が持つ現実主義的な、同時代の良識派がやや眉を顰めるような表現(ロマン派の旗手ヴィクトル・ユーゴーが脚本を書いた芝居が物議を醸したように)をするゆえ、望むような公職には就けなかった」
「結局、人生に何かを求めても虚しいだけかもね。
人は皆、それぞれの立場で物申しているに過ぎなくて、何の確かさもない。その上、いずれ人類は滅びてしまう。恐龍たちのように。
いずれ、大宇宙も滅してしまう。永劫の栄光は地上的なものにはない」
全ては砂塵のように巻き上がった現象だ。物的様相を呈しても、それは揺らぎ移ろい、捉えられるような堅固な実体を持たぬ波動である。
粒子も然り。固体物質として表現されているが、実態はエネルギー態だ。波である。(宇宙誕生の頃の素粒子は自由に動き回り、質量がなかった)
波のうちには、脳波もある。Ὅμηροςは脳波を観る。脳波とは意識・惟考・こころであり、すなわちὍμηροςは全人類の意識を観る。
全ては、意識・惟考・こころ、に映じたものでしかない、という考え方がある。
意識・惟考・こころは脳波である。脳波も波のうちの一つであり、存在の一切が波である。
そうであるとすれば、存在は本質に於いて、意識・惟考・こころ、と相通ずるものがあると言える。全ての存在が、意識・惟考・こころ、であるという考え方は全くの真理である。
全ての存在がそれぞれに全く異質な、それぞれ独自のかたちの意識・惟考・こころであり、それぞれの存在の意識・惟考・こころがその存在であった。
意識もこころも、外部の客観的な事物であり、無数の宇宙世界それじたいそのものである。
物質である。
寺の屏風絵を見ていた。水墨画だ。
破墨山水のような手法が使われていた。幽玄の世界だ。
甍に向かって言う、
「何となく思い出したんだが」
「何を、韋究」
二人は翌週、靈神社と玄(黒)神社に向かっていた。古代インドの門。
「まるで、緑の苔に蔽われていて、石灯籠が倒れ、廃神社みたいに見えるらしいが、地元の祭りや参拝もあるらしい。幽玄な神社としてYouTubeなんかでも紹介されたらしい」
「どのくらい山奥なんだろう。一応装備したけど」
「日帰りで歩ける範囲さ」
単線一車輛の電車を降り、無人駅に着いた。切符を箱に入れて改札を抜ける。
「今乗っていた電車がそのまま上り電車になる。だから、次の登りは三時間後だ」
「往復できるかな」
「たぶん。乗り遅れたら、また三時間待つ。ただし、その次はない」
山道を登った。
周囲は崇高な高い山だ。
山は高いから崇高なのか。山が高いから高さが崇高となったのか。蒼天もまた。
石段があらわれる。
「靈神社だ」
上った。
「どこもかしこも深い苔だらけだ。岩と石と苔と大木……」
「わ、石の鳥居だ。しかも、浮き彫りがある。柱が円柱じゃない」
「何だか、古代インドの仏教寺院の門みたいだな」
「しかし、侘び寂びって言うか、荒んでないか」
「まあ、評判どおりな訳だが」
「倒れているよ、石燈籠が。何だか、不気味だよ」
「確かに何かを感じるな」
「祟りなす神とか、怨霊とか、悪霊が棲まうんじゃない?」
「零パーセントではない」
「やめてよ」
「俺はどっちかっていうと、コリン・ウィルソンを思い出している」
「『賢者の石』のこと? 古き神々たち?」
「そう」
「僕たち、何かに障るようなことしているのかな」
「さあな。昔から神の考えはわからないものだ。気紛れで、天災のように予測し難い。いや、それは逆だな。神が予測し難いから天災も予測し難いのだ」
「何の役にも立たないけど、わかったよ。Ὅμηροςに聞いてみよう」
意を飛ばした。直ぐにリアクションがあった。彼女の応えは、
「彝之韋究が言うところに近い。
縄文以前の聖地。神威あり。おそらく弥生時代の素焼きの祭器など見つかるはず。
こころ清明く清澄でなければ、災いがあるでしょう。祟りがある。
こころを清しなさい」
「どうやって」
「どうやってもできる」
韋究が咳払いした。
「時間もない。玄神社行くぞ」
上下左右前後の三方の座標軸。その三つの軸で位置を特定できる。それが三次元空間。四方の座標軸だったら? 想像できない。もし、億千兆方の軸だったら。マイナス四十四万方だったら。
空間をパスして結果的に光よりも速く移動できるかもしれない。現在過去未来の間をも自由自在に渉ることができるかもしれない。
存在の在り方も根源根底根本から相違するかもしれない。
異界へも自由自在に出入りできるかもしれない。同時にこの世と異界とを生きられるかもしれない。
「おい、甍。しっかりしろ、ぼやっとしてるぞ」
「え? あ、ごめん」
「何だか同じところを廻っているような気がして仕方ない。ほら、この感じ、さっきも見たな」
「何時だろ、電車が。あれ?」
時計が戻っている。
「やばいぞ、戻ろう。玄神社はもうどうでもいい。さあ、急ぐぞ」
どこをどうしたか憶えていないが、どうにか一般道に出た。
「何だか、よくわからないけど、やばかった。そんな気がする」
「僕もだ。ああ、息が切れる」
咳き込んだ。
駅まで来て安堵する。ホームから見える人家の電燈。懐かしい傘つきの。でも、
「いや、一瞬、明治大正に戻っちゃったかと思って、焦った」
何かを感じながらもついには何も起こらず、最後の上り電車に乗って帰った。
以来、そのことに就いては何もわからないままだ。