episode6 時間と運動の多様性 存在の多様性
「今度来た研修生の女性だが」
韋究が急に話題を逸らした。
「どうしたの、急に」
甍はMacBookから眼を離さずに返事する。
「既視感かな。見たことがあるような、ないような」
「デジャブってあるんだろうね」
「過去に経験したり、体験したりしたことがないのに、見たことがあるとか、体験したことがあるとか、そういう記憶が蘇ること、そういう感じに捉われることか。
いや、今、検索した。
〝前にもここに来たことがあるような気がする〟的な感覚だよな。
天平甍先生はこれを何と読む?」
「時間が二次元以上なら、起こってもおかしくない」
「だよな。俺らだと、どうしても、そういう結論になりがちだ」
「何だよ、その言い方」
妙な沈黙。唐突に、
「いや、他意はない」
「いや、あり過ぎだろ」
「なおかつ、お前の言うことは間違ってもいない。
どこもかしこも、多次元のオンパレードだからな」
「ねえ、僕も今、ネットを見ている。既視感には記憶のバグや、夢で無意識状態のときに見ていたことが(普通は顕在意識に出て来ないらしいけど)何だかのきっかけで出て来た場合などが考えられるらしい」
「ちなみに、彼女の名前わかるか」
「珍しいこと訊くね。
待って、何かお知らせがあったような気が」
所内HPを見る。
「あ、あったよ。既視感でもないかもね。天易伊奈々だって」
「真兮の遠縁か」
天易真兮は同級生であった。
「ふうん、その言い方。何か敵意あるね」
「奴の外連のせいで、同級生たちも変な意味で有名になった」
「でも、今では立派な著述家だ。相変わらず奇妙奇天烈だけれども」
「著述家か。ふ。眞神郡内ではな。しかも、書肆は、天平普蕭だぜ」
「僕の従兄弟だよ」
「狭い地域の同級生内で何やってんだって感じだな」
「そうかな、僕は『−実存的分析による存在論考− 空』には感銘したけど」
「俺たちが眞神真義塾附属小学校の哲学の授業で最初に習う『未遂不收』を冗漫に敷衍したに過ぎない。ただ、存在を存在と言っただけだ。ただの存在だ」
未遂不收、どのような結論に至ることも未だに遂げられず、どのような結果にも全く收まらず、中途のまま、現状のまま、現在進行中、をいう。
ちなみに、真義塾は私塾だが、附属の小中高は学校法人の認可を得ている。
「それがいいんじゃない? 仏陀だって、ただの人として逝去された」
甍は深く考えずにさらりと言った。
韋究はそれを無視し、
「それにあの事件だ」
「皆、伝説化しようとして事件事件って言うけど、あれは、ただ、」
ただ、天易真兮が卒業後、附属高の文學倶楽部に突然やって来て、引き戸をいきなりがらっと引いて部室に入り、ジーンズの尻ポケットから出したブルース・ハープ(ホーナー社製の単音十穴ハモニカの商品名)を半小節吹き、「小説さ」と独り言ちて去ったという事件(?)。
文字によらぬ小説、音をメディアとした小説、コンセプチュアル・アートとしての小説などと倶楽部内で議論を起こし、ちょっとしたムーブメントになって文學倶楽部が盛り上がった……
ただ、それだけのことであった。卒業して、それぞれの業界でそのことがさまざまに解釈され、インスパイアとなり、又、真兮の著作と相俟って……。
それに一役買ったのが、伊奈々だ。そのときの状況をスマートフォンで動画撮影していたのが当時十五歳、飛び級で高校三年生だった彼女である。
十九歳で真義塾四年の課程を修了し、その後二年で修士に相当する課程を修了、現在、博士相当の勉強をしながら、研修生として研究所に来ていた。
むろん、真義塾は法人ではなく、単位の取得も公的には認められていない。全ては〝相当〟で、眞神以外の場所では通用しない。でも、彼らは困らない。田舎でありながら、仕事は沢山ある。巨万の富をもって渡来して来た 眞神の民の土地ならではだ。
いかにも可笑しそうに甍が言った。
「あれも存在が言いたかったんだろうね。音という存在。存在が小説だ。しかも、音というメディアは文字表現のような間接的なものではなく、それそのものだから」
「ハモニカを使ってハモニカの音を表現した小説。直截表現小説、か。何だ。そりゃあ、って感じだな、ふ。
ま、それも込みでアヴァンギャルドなのかもしれないけど。コンセプチュアル・アート的な。
しかし、多々ある解釈のうちの一つだろ、それも? どこかに着地すべきじゃない。奴が何も言っていないんだ。ただのハモニカの音さ」
「小説だと言ってたよ」
「それはそれさ」
「何なんだ」
「コンセプトには言及していない。〝だから、〜だ〟とは言っていない。ただ、晒しただけだ。
未遂不收って、そういうことだろ? じゃないのか。ただ、実際に音が在るだけでしかないってことさ」
「ふふ。君の方が正当な理解者かもね。素直になりなよ」
「別に」
「確かに、実際の音、実在、説明もなく、孑然と、唐突に存在する。ただ只管存在する存在ほど、狂裂自在で、自由狂奔裂なものはない。
それを直截な存在で表現したかったんだろうね、真兮は」
「ま、俺に言わせれば、それが外連だと言うのさ。釈迦牟仁如来はただの人としてこの世を去ったのに」
「いつもそうだね、君って。褒めるのを聞いた試しがない」
「ふ、そうだっけ? まあ、真兮はいいとしても、眼に余るのは、その件を彝之イタルの伝説と結びつけて言う奴らだ」
彝之イタル。
彼も同級生だった。
人類史上最狂のパンク・バンドを目指し、狂気の活動をしたが、最後は眞神山の頂上にある磐座、古代の祭祀場、彝龍之裂がある大巖に登ってガソリンを被り、火を点けて翔んだ。彝龍之裂とは龍のような亀裂のある大巌で、古来、崇拝されているものだ。
自殺ではない。最も過激なパフォーマンスをしたかった。ただ、その激越矯激な自裂衝動、自由への渇望だけだ。
その活動はわずかで、ライブハウスの出場権を廻って競うコンペで、滅茶苦茶なパフォーマンスをした上、ステージ上にあった附帯備品のアンプやスピーカーを破壊したり、公園の噴水盤にガソリンを撒いてその炎の器のなかで歌ったりするなど、ほんの数回しかない。
「狂裂、狂奔裂、ということで結びつけたんだろうね」
「まあ、わかる気がしなくもないが、俺たちの、ま、お前もそうだが、世代には凄まじい衝撃だった。そんな生やさしい言葉遊びじゃない。未遂不收さ、永遠にな。死だぜ。それから皆、考え始めたんだ」