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死んだ婚約者による恋愛指南書  作者: 桐城シロウ
第一章 飲み込んでしまいたい、彼女の人生を丸ごと
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7.遠慮なんかしないで、逃げたりしないで

 




 久々にまぶしくて、人で賑わう百貨店に足を踏み入れた。日曜日の午前中だからか、人が多い。メモ用紙を片手に、白いドット柄ワンピースを着たあかねがきょろきょろと辺りを見回しつつ、お目当ての店へと向かってゆく。カートを押しているおばあちゃんを避けたところで、ふと、強烈な良い匂いが()()()()鼻の奥を叩いてきた。



(肉まんは……うーん、流石にやめておいた方がいいよね? んあ~、どうしよ)



 でも、今日これから家に遊びに行くんだし。口が臭くなるの、避けておいた方がいいよね……? でも、食べたい。そんな気持ちに抗いきれず、ついふらふらと、旅行客やサラリーマンたちの後ろに並んでしまった。でも、そのあとではっと正気に返る。



(おっと! 危ない、危ない……お腹が空いている時にたまらないなぁ、この豚ひき肉とにんにくの香りはっ)



 食べたい。ふっくらとした甘みのある生地に、たっぷりと詰め込まれた豚ひき肉と玉ねぎの肉まん。槇田さんもお肉が好きだから、喜ぶんじゃないかな? いやいやいやいや……。気を引き締めて、手元のメモ用紙を握り締める。「やーい、アナログ派!」ってバカにされちゃいそうだけど、なんだかんだ言って、こういう紙のメモの方が便利で見やすい。ずらりと書き記された店名はどれもこれも見覚えが無いけど、何か今、流行のスイーツ店らしい……。



(財布を落とした上に私ってば、宮古島のお土産を渡しそびれるとは……)



 なんてうっかりさんなの。話につい夢中になって、うっかり渡しそびれてしまった。今度からは会ってすぐに渡す、今度からは会ってすぐに渡す!!



(結局あれから、お財布も座席の下から出てきたし……あ~、詫び菓子! 詫び菓子! ソシャゲだったらこれ、詫び石百個よこせや! ってなるやーつ!)



 あまり時間も無いので、急いでケーキ屋が立ち並ぶおしゃれな区画に行って、ショーケースの中を覗き込む。槇田さんが好きなのはチョコケーキと、チーズケーキ。生クリームがたっぷり乗ったのはそんなに好きじゃない。全部全部、朔ちゃんの日記帳に書いてあった。



 “槇田先生はイチゴタルトも好きなんだって。あかねちゃんと一緒だね”



 あれ、どういう気持ちで書いたんだろう。朔ちゃん。店員さんに笑顔で「すみません、このベリーソースかけの、チーズケーキタルトを一つとチョコレートシフォンケーキをください」と頼みながらも、そんなことを考える。注文し終え、腕時計を確認してみると、電車が来るまであと八分だった。まっずい。未練がましく「肉まん買って食べちゃおうかな~? どうしようかな~?」って考えている場合じゃない! 急がなくては!



(ああああああっ、肉まん……さらば、また会う日までっ)




 ホテルのロビーかと見まごうぐらい、綺麗な大理石張りのエントランスだった。居住者限定らしき中庭を横目で「ひえええっ」と眺め、広々としたエレベーターに乗り、窓の景色を眺める。別世界だ、ここ。のんびりと、高層階ならではの景色を眺めて楽しんだあと、降りて、ドアの前に立つ。すると、すぐにドアが開いて槇田さんが出てきた。



「いらっしゃい! あかねさん!」

「あっ、ええっと、こんにちは~……? あの、先日は本当にすみませんでした! 詫びケーキ買って来ました!!」

「詫びケーキ? でも、よかったのに。お土産だけで」



 私から紙袋を受け取って、中を覗き込みつつ「美味しそうだ」と言って、嬉しそうに笑う。今日は白いシャツの上から、グレーのカーディガンを羽織って、黒縁メガネをかけていた。なんかお医者さんの休日って感じ。紙袋の中を見ていた槇田さんがふと、笑顔でこちらを見つめる。



「どうぞどうぞ、入ってください。全然大したことない家だけど」

「おっ、おおおおおお邪魔します……!! わ~、綺麗。薔薇が飾ってある」



 白いタイルが張られた床に、ダークブラウンと金で統一された玄関。すぐ横の上質なシューズボックスの上には、いきいきとした黄色の薔薇とマーガレット、カスミ草とひまわりが飾られていた。槇田さんが花柄のスリッパを出しながらも、「それ、マジックソープなんですよ。実は。本物の花じゃない」と教えてくれる。



「いいですねえ。私、朔ちゃんから貰ったことあるんですけど、マジックソープ。かなり好きで……」

「いいですよね。水を替える手間も無くて。永遠に枯れないし」

「はは、ですね……」



 しまった。朔ちゃんの話をするんじゃなかった。今でも大事に、洗面所に飾ってある花を思い出して、胸がずきりと痛み出す。槇田さんはどうってことのない様子で微笑んで、「今日、良かったですね。雨予報だったけど、晴れて」と言ってきた。



「あ、ああ、そうですね……ええっと、じゃあ、まずは洗面所をお借りしたいのですが」

「あ、ですね。こっちです、どうぞどうぞ」

「ひ、広い! 廊下からして広いなぁ、もう! 私の住んでるボロアパートとは大違いなんですけど!? 運動が出来そう!」

「はははは。まぁ、マンションとアパート、違いますからね。色々と」


 自慢することなく、洗面所に案内してくれた。こういうところがいいなと思う。


(で、でも、広っ! き、綺麗……)

「タオルはこれ使ってください。あと一応、紙コップも置いておきますね。良かったら使ってください」

「あっ、はい。どうも……」



 まるでホテルみたい。大きな三面鏡にライトが付いていて、壁も床も真っ白でぴかぴかだった。やたらとアロマの良い香りがする空間にびびりながらも、袖を捲り上げて手を洗っていたら、「じゃあ、俺。ちょっと準備してきますね~」と言って、洗面所を出て行く。はー、緊張するなぁ、もう。



(私……前髪、大丈夫だよね? メイクも崩れてないし)



 本当、どういうつもりで私を家に呼んだんだろう? 槇田さん。鏡に映っているのは、かろうじてまぁ、可愛いと言えなくもない一人の女の子が映っている。美人と付き合った方がいいんじゃないかなぁ? この家といい、年収といい、ルックスといい、どこからどう考えても釣り合わない。やめておいた方がいい。



(ん~、あとで苦しくなるのは自分のような気がする。でも、まぁなぁ、気も合うし、男友達としてこれからも付き合えたら)



 友達も婚活アプリで知り合った、優しそうな男性と友達になっていたし。「恋愛対象として見ることは出来ないけど、すごく気は合うから」って言ってたなぁ、そう言えば。濡れた手をタオルで拭きながら、つらつらとそんなことを考える。手触りの良いタオルにはなぜか、カモノハシの刺繍がなされていた。これ、私の好きなお店のやつじゃん……。



(気が合うな、なんだかんだ言って!)



 ガラスが嵌め込まれた、ハイドアを開けてリビングに行くと、お皿に何かを盛りつけて、準備をしていた槇田さんがこっちを振り返った。さっきとは違って、洗いざらしのリネンエプロンを身に付けている。



「あかねさん。ソファーにでも座って待っていてください。もうすぐ、準備が出来ますので」

「あ、ああっ、すみません。何かお手伝いを……」

「大丈夫ですよ。お客さんですから、あかねさんは」



 優しく微笑みつつも、有無を言わせない様子でソファーの方を見た。そちらを見てみると、座り心地の良さそうな本革ソファーと低いテーブル、大きなテレビに観葉植物が並べられていた。す、すごい。モデルルームみたいなリビングだ! お言葉に甘えて、おそるおそる、黒いシャギーのじゅうたんを踏みしめ、ダークブラウンの本革ソファーに腰かける。すぐにもすんと、疲れた体を優しく受け止めてくれた。肘置きも天然木だし、これはこれは、ひょっとするともしかして!!



「私がチーズライフで一目惚れした、あの素敵なソファーなのでは……!?」

「へっ? よく分かりましたね、チーズライフのソファーだって」

「だっ、だってこれ! 肘置きにリーフ柄も彫られてるし! あっ、カーテンも素敵! 青とグレーのグラデだーっ! 狙ってたやつばっかある、すごいっ!」



 テレビ台もテレビ台で、チーズライフのくっそ高い造作家具風の天然木だし! それから、眺めの良いリビングの窓を飾っているのは、海のようなグラデーションが美しいカーテン。窓際には観葉植物も飾られているし(てか、バルコニーで家庭菜園してるっぽい)、どことなく、南国の雰囲気が漂ってる。ほうえーと思って見上げてみると、私の好きな、トルコ製っぽいステンドグラスの照明が吊り下がっていた。陽の光を反射して、鮮やかに煌いている。



「まぁ、喜んで貰えて良かった……本当に気が合いますね、俺達」

「そうですねーっ! 趣味が本当、一緒で……あっ、すごい! シュモクザメのぬいぐるみがあるっ」



 テーブル横の黒いじゅうたんの上に、ぽんと置いてあった。思わず飛びついて抱き抱えていると、ダイニングテーブルの方で食材を盛り付けている、槇田さんが笑って教えてくれた。



「普段、そういう大きいぬいぐるみは買わないんですけど。水族館に行った時、記念にって。そう思って買って来たんです」

「あ~、水族館とか動物園行くと、無性に欲しくなっちゃいますよね~。こういうぬいぐるみが!」



 まぁ、彼女と行ったんだろうなぁ。気まずい思いでくちびるをとがらせ、かなり可愛くデフォルメされたシュモクザメと睨み合う。



「そうそう。一緒に行った男友達にも呆れられてしまって。お前、その年でそんなの買うのかよって。そう」

「えええ~? いいと思いますけどねえ、別に」


 気を使ってくれたのかもしれない、今のは。「彼女と行った訳じゃないよ」ってそう言われてるみたいだった。心置きなく、ぎゅっとシュモクサメを抱き締めて、言う覚悟を決める。本当は苦手なんだけど、こういうこと言うのは。



「あ、あの~、私がクソボケ勘違い野郎だったら、すごく申し訳ないんですけど」

「クソボケ勘違い野郎? っふ、どうしたんですか? 一体。急に」

「え、えーっと、もしも槇田さんが私とお付き合いというかまぁ、害も無さそうな女だし付き合ってやってもいいかって、そういうことを一ミリでもお考えというか、頭を掠めているのなら、おと、おとととと友達でっということで、」

「迷惑ですかね? ……こうやって家に呼んでいるのも」

「いや、迷惑では無いんですが……!! あきらかに私、場違いなので。釣り合わないので、槇田さんに」



 顔が見れなくなって、熱心にサメのぬいぐるみをもにもにと揉みながら、話を続ける。ここで! 邪魔をされたらもう一気に言えなくなるからっ! この人、お医者さんだし、賢いし、口も上手いんだし!



「別に槇田さんに不満がある訳じゃないんですよ。でも、付き合うとか恋愛とかになると、ちょっと違うなぁ? って。それにお母様もお母様で、きょう、京都の生まれでしたっけ? わりとかなりのお嬢様で、大事な息子さんをたぶらかした的な女と、」

「母のことなら大丈夫ですよ。喜ぶと思います。結婚相手として連れて行ったら」

「けっこん、あいて……?」

「まぁ、このまま上手く行けばの話ですけどね。俺、一生結婚しないって宣言してあるし。その時、すごくがっかりしてたし……お昼ご飯、出来ましたよー? まずは一旦、食べませんか?」



 はぐらかすように、爽やかな笑顔を浮かべてそう言ってきた。これはもう、笑顔で黙り込むしかない。今日は槇田さん手作りのご飯を食べたあとで、ゲームをする予定で、ひとまずはすすめられた椅子に腰かける。並べられていたのは、さつまいもと厚あげ、人参にこんにゃくが入った豚汁と、衣に青のりが混じった白身魚のフライに、漬物を刻んで入れたという和風タルタルソース。私の好きな玉子豆腐と、鮭とワカメとじゃこのおにぎりも。丁寧に、別のお皿にぱりっとした海苔が置いてあった。自分で巻いて食べろということらしい。お皿はどこかの陶芸家が作ったような、群青色と銀色が混じった、すごく分厚くて和風のやつ。おしゃ、おしゃれ……。



「わぁ、すごい。じゃ、じゃあ、いただきまーす……」

「どうぞどうぞ。お口に合うといいんですけど、あかねさんの」

「今日はお肉、少ないんですね?」

「胸焼けするかなと思って。ケーキも買ってきてくれるみたいだし。……あっ、そうだ。お土産は?」

「あーっ! そうなんですよ!! 前、忘れちゃって本当に申し訳無い……これです、これ。どうぞ!」



 さっき隣の椅子に置いたトートバッグを持ち上げ、中身を探ってお土産を取り出す。あれからどうしてか、「あかねさんが拾った貝殻が欲しいです、俺」と言ってきたので、せっせと海岸で拾った。「良い貝殻はねぇが~? 良い貝殻はねぇが~?」と貝殻やまんばになって探していると、ちがっちゃんが呆れて「大丈夫? 熱中症で倒れないでよね?」と言ってきた。ちなみに日焼け止めを塗り忘れていたのか、首の裏だけひりひりと赤く焼けてしまった。こんがりあかねの完成!



「わぁ、ありがとうございます。めっちゃくちゃありますね、貝殻」

「すっ、すすすすみません……調子に乗って、拾いすぎちゃって! あと、ビニール袋に突っ込まないで、もっとこう、おしゃれなガラス瓶かなんかに砂と共に、」

「ガラス瓶か……無いな、今。うちに」

「えっ、ええっと、あの」

「これだけあるのなら、普通に飾るのもちょっとなぁ。……すみません、今度、瓶を買いに行こうかと思うんですが。一人で回るのもあれだし、一緒に行きません?」

「へ、へいっ!」

「へいって。面白いな、本当に。あかねさんは」



 品良く、愉快そうに笑って、ぱんぱんに貝殻が詰め込まれたビニール袋を隣の椅子に置いた。あ~、申し訳ない! 非常識だったかも、この量は。



「まぁ、食べましょうか。あかねさん、胃の調子も悪いみたいだし。なるべくあっさり仕上げようと思って、ノンフライヤーオーブン使ってみました。どうぞ食べてみてください」

「ノンフライなんですか!? これ。へー、美味しそう!」

「あっさりしてるけど、かりかりで美味しいですよ。あ、タルタルソースのお代わり、あるんで。好きなだけ取っちゃってくださいね?」

「ありがとうございます。わ~……」



 槇田さんがさり気なく、タルタルソース入りの瓶をこっちに寄せてくれた。赤いお箸で持ち上げ、かりっと揚がった、ノンフライだという白身魚を見つめる。衣が薄くはたかれているし、青のりもまぶされていて見た目が良い。緊張しながらも口に入れると、さくっとした食感のあとに、磯の香りが口いっぱいに広がっていった。美味しい! 興奮して、和風タルタルソースを付けて食べてみる。漬物の酸っぱさと玉子の濃厚さがたまらない。



「おいっ、おいひい~! 衣もさくさくだしっ! いくらでも食べれちゃいそう!」

「良かった、気に入って貰えて。あと俺は、出来ることならあかねさんとお付き合いしたいなって。そう思っているので。結婚を前提に」

「むぐ!? いきなひ、ぶっこんれきまふね……!?」

「ははは。逃げられると思って。あかねさんに」

「逃げる、逃げるというかまぁ……合わなさそうだし、身分違いだし?」

「身分違いって。俺、貴族とかじゃないんですけど?」

「でも、元を辿れば、華族とか戦国武将の血が混じってそう」

「ええええっ? どうなんだろう? それは……どうだっていいんですけどね、俺は。そんなこと」



 私がやんわりと拒絶しているのに、どことなく楽しそうだった。いつもそうだ、槇田さんは。私の顔を見るたび、すごく嬉しそうな顔をするし、デート中も終始はしゃいでいる。もぐもぐと食べながら、槇田さんの爽やかさに気を抜かれてしまい、つい脱力して言う。



「この世の春って顔をしてますよね? なんか槇田さんはいつも……」

「ああ、そうですね。こうして、あかねさんと会って喋っているからかな? あとでキミセカの地下神殿、行ってみます?」

「行くーっ! 私、まだそこまで行けてないんですよね~! あー、早く追いつきたいっ! お城も建てたいっ!」

「また今度手伝いますよー。あ、豚汁、まだまだあるので。遠慮なく食べてくださいね?」




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