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死んだ婚約者による恋愛指南書  作者: 桐城シロウ
第二章 彼という人がモンスターになるまで
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エピローグ

 



「……悟、ここにいたのか」

「叔父さん」


 父の部屋であるものを探していると、無地の黒いスーツを着た叔父がやって来た。いきなり訃報を聞かされて、イギリスから慌てて飛んできたからか、疲労の色が拭えない。手をデスクの引き出しから離し、穏やかに笑いながらも叔父の下へ行く。年を取っても毛がふさふさだった父と比べ、叔父の優樹は生え際が後退していた。でも、シワが刻まれた顔は優しく、実の息子を見るかのように目を細める。


「今からみんなでお寿司でも取って、食べようかという話になってるんだが。どうする? それとも食べに行くか?」

「お寿司でいいよ、別に。俺は」

「そうか。美夜はうな重が食べたいって言ってて……。ただ、火葬のあとだし、それもどうかと思って。お小遣いあげるから、また美夜にうな重を食べさせてやってくれ」

「えっ? いいよ、そんな。美夜に甘いなぁ。それに今どき、肉や魚を食べたってもどうとも思われな、」

「いやいや、いいからもう。……あまり気落ちせずにな。二人で美味しいものでも食べに行っておいで」


 美夜を甘やかすという名目で、俺にもお小遣いをくれるのか。本当に兄に似ていない。苦笑しながらも、万札を二枚ほど受け取った。……高校生の美夜を、一人一万のうなぎ屋に連れて行く気なんて無いんだけどなぁ。呆れながらも万札を見下ろしていると、叔父が屈託無く笑って「じゃ、お寿司でいいって伝えてくるよ」と言い、部屋から出て行った。しんと、痛いほどの沈黙が落ちる。開け放した窓からは、春の甘い風が流れ込んできていた。何となく後ろを振り返って、青空が映った窓を見つめる。高階層だから、窓は青空しか映さない。


「……まさか、春に死ぬとはな。槇田透」


 俺が生まれた季節で、俺が殺された季節。でも、こうしちゃいられない。感慨に浸っている場合じゃない。早く、早くあれを見つけ出さないと。すぐさま、父が生前使っていたデスクの引き出しを開ける。ここでよく仕事をしていたから、ここにあるはずだ。


(早く、早く、母さんがあの遺書を見つける前に処分しないと……!!)


 あかねちゃんが真実を知ってしまう前に、俺が見つけて捨てないと。一番上の浅い引き出しの中に鍵が入っていた。それを掴み取り、一番下の大きな引き出しの鍵を開ける。ここにあれば、ここにあればいいんだが……。祈るような気持ちで引き出しを開ければ、積み重なった書類の上に、遺書という文字が書かれた封筒が置いてあった。それを見て、奥歯を噛み締める。


『悟? いいか? お父さんはいつも、ここに大事なものを入れてあるから……。もし、()()()探したければここを開けて探すといい』


 父が夜、中学生だった俺を部屋に呼び寄せ、頭を撫でながらそう言ってきた。気持ちが悪い。隠していたつもりだったのに、憎しみや恨みが隠し通せていなかった。あっさり見破りやがった。それにあれはカマかけで、人を殺したという告白が綴られた遺書だということを、息子の俺は知らないはずなのに、それを部屋に忍び込んで盗めば、中身が青井朔太郎だということになる。そこに、全部が書かれた遺書があると知ってはいても、手が出せなくて歯痒かった。あの異常な男は、自分の犯行を全部記して遺そうとしている。腸が煮えくり返るような思いで遺書を取り出し、念のため、中身を確認した。そこには流麗な文字でこう書いてあった。


 愛する悟へ


 これを読んでいるということは、俺は死んでいるんだろう。そう書いてみたかったんだけど、青井さんのことだ。俺が死ぬ前に部屋に忍び込んで、遺書を処分しかねない。でも、あかねさんがこれを見てくれる可能性もあるから、あなたを殺した経緯を書いておいた。もちろん、証拠の指輪もある。だけど、悟が一番に見つけるだろうなぁ。わざわざ、この引き出しのことを教えてあげたんだから。


「どこまでも癪に障る男だな……!!」


 怒りのあまり、破いて捨てそうになった。でも、だめだ。シュレッダーにかけないと。あかねちゃんに見せられない。俺を殺した男と結婚して、子供までもうけたなんて事実、一生死ぬまで知らないままでいて欲しい。それを知った時の苦しみは計り知れない。一つ深呼吸してから、続きを読み進める。


 なんでわざわざ教えたかと言うと、別に、あかねさんに知って貰わなくてもいいと気付いたから。でも、悟には構って欲しい。俺と遊んで欲しい。だから、事実を全部記した遺書を、この他に二十六通ほど作って隠しておいた。青井さんが死んだ時の年齢の分だけ書こうと思ったんだけど、あかねさんと出会って付き合いだした時、あかねさんが二十六歳だったから、二十六通にしたよ。銀行の貸金庫にも、証拠の指輪と遺書が入ってるから、頑張って処分してね。あかねさんの次に愛してるよ、悟。お父さんより


 怒りのあまり、息を吸い込みながら気絶しそうになった。あの男、ふざけやがって……!! 遺書を力任せに引き裂く。すぐさま、破片が床へと落ちていった。


「地獄に落ちてしまえ、地獄に……!!」


 この部屋に隠してあるのか? あかねちゃんが来る前に探して、見つけ出して処分しないと! 破った手紙の破片を拾い集め、シュレッダーにかけていると、部屋に美夜がやって来た。


「お兄ちゃん? お父さんの部屋で一体何してるの?」

「ああ、ちょっとな。そうだ、叔父さんがお小遣いくれたから、また今度一緒にうな重でも食べに行こうか」

「うん! さっき聞いた、それ。お兄ちゃんにお小遣い渡しておくからって。あと、玉橋のお寿司になったよ。お父さん、好きだったでしょ? あのお店のお寿司」

「そうだな。……美夜、大丈夫か?」


 美夜は高校一年生で、その名前通り、真っ黒な髪と黒い瞳を持つ美少女だった。兄バカかもしれないが、モデル顔負けの美しさだと思う。……槇田透の子供だけど、それを言うなら今の俺だってそうだし、大きくなってから産まれた妹は格別に可愛かった。俺が必死でシュレッダーにかけている姿を見ても、何とも思わなかったらしく、仮眠用に使っていたベッドへ寝そべる。


「大丈夫~。なんか実感が湧かないからかも。お兄ちゃんは? ショックだった?」

「美夜、ワンピースがシワになるから」

「ねえ。お母さんって、お父さんのこと嫌いだったのかな? お葬式の時、ほっとした顔してた……」


 その言葉に、ぴたりと動きが止まる。一通目の遺書は全部シュレッダーにかけた。リビングにもあるかもしれないから、探さないと。でも、悩んでいる美夜を放っておけなかった。子供達からしたら、仲の良い夫婦に見えていたはずなのに。


「そんなことは無いだろ。ほら、突然、交通事故に遭って死んじゃった訳だし……。美夜と一緒で実感湧かないだけだろ、お母さんもさ」

「ん~、でも、お父さんの一方通行って感じだったし。愛情が」

「母さんは美夜の前で泣いたりなんかしないよ」

「かもね。……ねえ、お兄ちゃん? 私、大学行ける? このまま高校通ってていいのかな?」

「もちろん。お金のことは何も気にしなくていい。母さんも正社員で働けてるし、姉ちゃんも姉ちゃんで稼いでるし、俺も稼いでるから。私立でも公立でも好きなとこ行きなさい。お小遣いもこれまで通りあげるから」

「それを聞いてちょっと安心した。高校やめて働いた方がいいのかと思ったから」

「なんでそんな心配を? お金のことで美夜が悩む必要は無いから。本当に大丈夫だよ」


 一番上の姉は医者になった。俺もそれなりの大手企業に入れた。すぐ下の弟も今年の春に就職するし、お金のことは何も心配要らない。それがせめてもの救いか。


「じゃあ、私、リビングに戻ってるから。何してるか知らないけど、お寿司が来たら呼ぶね?」

「ああ、そうしてくれ。サーモンと玉子はあげるから、俺のところから取ってもいいぞ」

「ほんと? ありがとう! ……そうだ、お父さんってさ?」

「ん?」


 ドアに手をかけていた美夜が振り返り、切ない微笑みを浮かべる。背が高くてスタイルも良いし、そんな顔をしていると大学生に見えた。


「私達のこと、本当に愛してたのかな?」

「……美夜は一番可愛がられてただろ。それとも、父さんに何か嫌なことでもされたか?」

「ううん。でも、お父さんはお母さんしか見えてなかったから……。私達のこと、邪魔に思ってたんじゃないかって。それだけ。じゃ」


 ドアが閉まったあと、密かに溜め息を吐く。あの男がどれだけ取り繕っていても、ほころびが出てきてさらされる。思わず額に手を当て、歯を食い縛った。


「あの男め……。死んでもこっちに迷惑かけやがって。くそ!」


 前世の記憶を思い出したのは小学生の時だった。でも、前から夢で断片的に見ていた。若い頃の母さんと、誰かが笑って喋ってる夢。学校にいたり、神社の初詣に行ったりしている夢で、誰かの人生を見せられている気分になった。最初は信じられなかった。でも、俺の両親を見た時、勝手に涙が出て止まらなくなった。それまで、おじいちゃん家の近所に住んでるおじさん、おばさんにしか過ぎなかったのに。極めつけはおじいちゃんが酔った時、ふとこぼした言葉だった。それで完璧に思い出してしまった。


『本当になぁ……。朔太郎くんが生きていてくれたら、あかねは今頃どうなってたのかなぁ』


 でも、あかねちゃんのご両親はちゃんと、俺のことを孫として可愛がってくれた。姉の咲希も、弟の青也も、美夜のことも分け隔てなく可愛がっている。


 でも、あかねちゃんが産まれてきた子供に「朔ちゃんのさから取って、咲希」と言って名付け、俺が産まれた時も「さは絶対入れたいから、悟」と言って名付け、青也が産まれた時も「さが続くとあれだから、青井から青を貰おうかな」と言って名付けているのを見ると、いたたまれなくなったんだろう。ちなみに、美夜は槇田透が考えた名前だ。俺にこっそり「黄泉にちなんで、美夜にしたんだ」と耳打ちしてきた時の気色悪さと絶望が忘れられない。


「あの男は一体、どこまで俺をおちょくれば気が済むのか……」


 でも、思い出したのは遺書を処分するためだ。あかねちゃんをこれ以上苦しませないため、気付かせないために思い出したんだ。天罰でも下ったのか、早々に交通事故で死んでくれたし。享年五十八歳だった。あかねちゃんがどこへ行くのもついていったし、芸能人をかっこいいと言っただけで、あからさまに不機嫌そうな顔をしたし、仕事もしょっちゅうやめて欲しいと頼んでいた。でも、あかねちゃんは笑顔で「まあまあ」と言ってなだめ、好きなようにやっていた。


 これまでのことを思い出しながら、春の海辺を歩き、あの時していた婚約指輪を太陽にかざす。俺を殺した犯人でないと持っていない、婚約指輪。銀行の貸金庫になんか入ってなくて、いつも使っていた財布の小銭入れに入ってた。ご丁寧に、あかねちゃんのベッドの下に隠していた遺書に、指輪のありかが書いてあった。


「わざわざ、遺書を毎日持ち歩きやがって……」


 でも、あかねちゃんは交通事故に遭った時、透が持っていたかばんの中身を漁るようなことはしなかった。全部俺に預けてきた。姉ちゃんは仕事で忙しいし、青也も「そういう面倒臭いことは全部、兄ちゃんに任せる」と言ってきたから、俺が一人で遺品整理出来て助かった。……美夜の言う通り、あかねちゃんはほっとした顔をしている。これからは自由に友達と会えると、ぽつりと呟いていたのが印象的だった。


「結局、最後までお前は愛されなかった。あかねちゃんは早々にドームツアーに行っちゃったし……」


 友達の一人に「若いイケメンのアイドルでも見て元気出しな!」と言われ、チケットを譲って貰い、速攻でホテルを取って旅行へ行った。落ち込んでいないのが幸いだ。湿った砂地の上を歩いていると、春の柔らかな風がトレンチコートを巻き上げてゆく。空気は少しだけ冷たくて澄んでいた。海は凪いでいて、ざざん、ざざんと穏やかな波の音を立てている。


「指輪。どうしようか……」


 誰にも見つからない場所に捨てたい。売れはしない。あの時、あかねちゃんと一緒に選んだ婚約指輪。……今でも、あかねちゃんは大事に俺が贈った指輪を持っている。青空を見上げれば、よりいっそう潮風が強く吹いた。遠くの方では船が航行している。季節外れの海には俺以外、誰もいない。


「でも、俺はもう、青井朔太郎じゃないから……。持ってはいられないんだよ、ごめんな」


 前世の自分はどこか別の人間に見える。母さんを異性として意識したこともない。あくまでも前世の話なんだ、これは全部全部。指輪をぎゅっと握り締め、勢い良くふりかぶる。


「なぁ。……思い出の海なら、安らかに眠れるだろう? おやすみ。ごめん、自分。安心して眠っていいよ、もう終わったから全部」


 ここはあかねちゃんとよく遊びに来た海。不法投棄になるかもしれないけど、指輪の一本ぐらい許して欲しい。俺がなけなしの給料をはたいて買った婚約指輪が、くるくると、煌きながら海へと落ちていった。もう見えない。影も形も無い。どうしてか、泣き出しそうになった。


「さようなら、青井朔太郎。悪いけど、俺は槇田悟として生きていくよ……。もう、やるべきことは全部やったしな」


 さて、これからじいちゃん家に行って昼飯でも食うか。トレンチコートのポケットからスマホを取り出した瞬間、母さんから電話がかかってきた。


「もしもし? どした?」

「あ、悟? 今さ~、ホテルのお土産屋さんにいるんだけど。あんた、何が欲しい? お土産。そうだ、美夜は? 結局おじいちゃん家に行ったの? どうなの?」

「ちょっと待って、一つにして欲しい。整理する……。ええっと、美夜は姉ちゃんと家にいることにした。だから今、俺だけじいちゃんところに来てる状態。聞かなかったんだ? 何もきてない? メッセージ」

「きてない~。どうせ、お母さんライブで忙しいだろうからって言って、あの子のことだから連絡寄こさなかったんじゃない?」

「あ~、美夜はその辺ドライだから」

「ね。誰に似たんだが。あっ、そうそう。元気? おじいちゃんおばあちゃん。どうだった? 膝のことも」

「あ、元気そうだよ。仮病使ってたっぽい。いや、怪我のことを大げさに言ってただけ?」


 声が弾んでる。元気そうだ、良かった。俺が笑いながら浜辺を歩いていると、母さんも笑った。


「だと思った! お父さん、そういうことするからさ~……。そうだ、お土産何が欲しい? 明太子でも買って行こうか?」

「勘弁して。俺、別に明太子好きじゃないし……。ケーキ系無い? ケーキ系」

「パウンドケーキとか? そういう系?」

「そうそう。一口サイズとかあるじゃん。無かったらクッキーとかでもいいから。そうだ、母さんは? 俺も買って行くよ、お土産。ふりかけぐらいしか無いけど」

「いいねえ、ふりかけ! 海老入ったやつ買ってきてよ。あれ美味しいよね」

「ん、分かった。じゃあ、買って行くよ。ちょっとお高めのやつ」

「うん! じゃあね~。おじいちゃんとおばあちゃんによろしくっ」


 分かりきってはいるけど、どうしても今、これを聞いておきたい。込み上げてくる涙を呑みこんで、深く息を吸ってから聞いた。


「ん、またね。……母さん、どう? 楽しい? 今」

「めちゃくちゃ楽しいーっ! 十歳若返ったーっ!」

「それなら良かった。じゃあね」

「じゃあね、またっ」


 通話を終えたあと、他にメッセージが入っていないかどうかを確認すると、付き合って二年ほどになる彼女から、どでかいパフェの写真と“三十分以内に食べたから無料になった!”というメッセージが送られてきていた。思わず吹き出し、メッセージを打つべく、画面に親指を添える。でも、何となく声が聞きたくなって電話をかけた。


「あ、もしもし? 急にごめん、今って喋れる? ……いや、褒めるために電話したんじゃないって! あんなもん、一気に食ったら腹壊すぞ。大丈夫? 胃薬持ってる? ははは、ごめんごめん。お土産、何が欲しい? とは言っても、大したもん売ってないけどさ。田舎だし、ここ」










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