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死んだ婚約者による恋愛指南書  作者: 桐城シロウ
第一章 飲み込んでしまいたい、彼女の人生を丸ごと
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10.切望していたものが手に入った瞬間

 





 雨が降っている。四月の終わりの雨は冷たくて寒い。夜の電信柱の光に照らされ、濡れた道路は冬みたいな寒気を放っていた。人の少ない、歩道をただひたすら黙って歩く。足元の水溜りが跳ねて、レインブーツを汚してゆく。もう嫌だった、何もかも。考えないようにしていたことが少しずつ、少しずつ、隙間から漏れ出してきて溢れてる。


「っは、私だってそりゃあ、朔ちゃんと結婚したかったけどさ……!!」


 私の言い方も悪かったのかもしれない。秋人くんと朔ちゃんは性格がまるで違うし、私がふざけて言っているように見えたのかもしれない。あの時、「私だって悲しいよ」とそう言えたら良かったかもしれない。



(いや、そもそもの話、槇田先生と会わなきゃよかった? 朔ちゃんの遺言なのに!?)



 朔ちゃん、心配してた。私のこと。日記帳にびっしり書いてあった。「いいから、俺のことは気にしないで、自分の幸せだけを考えて」って、甘くて痛い言葉が沢山沢山、並んでた! ようやく息を「はーっ……」と吐いて吸い込んで、やたらと豪華なエレベーターの壁に手を添える。奥の窓ガラスを、雨がぼたぼたと叩いて不快な音を鳴らしていた。はぁ、と荒くなった呼吸を整え、黄色いレインコートのフードだけを脱ぐと、水滴が滑り落ちてゆく。


(どうしよう? 水浸しになっちゃったなぁ……せっかくの綺麗な白い床が)


 ぶうんと、不思議な音を立てて三十八階に止まった。はっと我に帰って、手すりにかけていた雨傘を引っ掴んで、慌ててエレベーターを降りる。降りて足を一歩踏み出した瞬間、誰かの足が視界に飛び込んできた。綺麗な黒と白のスニーカーだ。スポーツ系ブランドの。考えるよりも先に、がっと両肩を掴まれる。



「あかねさん、大丈夫ですか?」

「槇田先生? あの、迎えに来てくださったんですか……?」

「そりゃあね。泣いてたし、電話口で」



 おそるおそる見上げてみると、苦笑を口元に浮かべて、困ったような顔で見下ろしてきた。今日は優しい印象の黒縁メガネをかけている。部屋で寛いでいたのか、灰色のカーディガンとスウェットを着ていた。さり気なく、私の冷たい手のひらを握り締める。



「さっ、行きましょうか。大丈夫ですか?」

「あっ、う、はい、すみ、すみません……。あの、たかだか幼馴染と喧嘩したぐらいで、押しかけてきちゃって」

「青井さんの弟さんでしたっけ? 無理もないですね。でも、もうちょっと何か無かったのかなぁ、言い方」



 前を歩きつつも、苦笑して首を傾げる。穏やかで優しい、槇田さんらしい言い方だった。ずびずびと鼻を鳴らして、目元を擦りながら、それに付いて歩く。



「でっ、でも、私も、私も死ぬほど言い返しちゃったので……」

「あれ、言い返したんですか? あかねさんらしいですね」

「うぐ、ふぁ、ふぁい。私、黙って、やられっぱなしになるようなタイプじゃないので……。で、でも、お兄ちゃん亡くしたばっかの、年下の男の子なんだし、私も、私も、何かもうちょっと言い方があったかもしれませぬ……」



 黙って聞いてくれていた。少ししてからもう一度首を傾げ、「まぁ、難しい問題ですからね。言い方に気をつけていたとしても、ややこしいことになっていたかもしれませんね」と言い、私と手を繋いだまま、ポケットに手を突っ込んだ。鍵を出して、がちゃりとドアを開ける。す、すごいな~。私だったら、ちょっとコンビ二へ行くとか、それぐらいだったら余裕で開けて出ちゃうのにな……。



「どうぞ。ちょっと部屋は散らかっちゃってるけど。すみません」

「いやいや、私の方こそ、何か急に押しかけちゃって本当すみません……」



 いきなり押しかけたのは、関係が壊れても良かったから。もうそろそろはっきりとさせたかった。気が付かないうちに、ストレスが溜まっていたのかもしれない。うじうじ悩むなんて私らしくもない。廊下を濡らさないよう、黄色いレインコートを土間で脱ぐ。



「あの、いきなりで申し訳ないんですけど」

「はい」

「秋人くんに言われて私、何かぷっつんときちゃって」

「はい」



 バカ正直に、真っ直ぐな眼差しで「はい」と相槌を打っていた。槇田さんの、いつもの真っ黒な瞳が真剣に光ってる。私、今一体どんな顔してるんだろう。ぼたぼたと、まだ水滴を落としている黄色いレインコートを持ち、腕にかける。Tシャツとズボンが濡れちゃったけど、気にしない。



「もうやめにしませんか? 会うの。申し訳無いです、私。時間取っちゃうのも、こうして迷惑かけちゃうのも」

「……それは、」

「私、槇田先生の優しさに甘えてちゃだめだったんです。だから、秋人くんもあんな風にして怒ったわけだし……」



 顔が見れなくてうつむいた。ぼんやりと真っ白な光に照らされた玄関先で、槇田さんは黙って突っ立っていた。あまりにも長い沈黙につい、耐え切れなくなってしまって顔を上げる。意外なことに槇田先生は、診察の時みたいな微笑みを柔らかく浮かべていた。


「青井さんの遺言、無視しちゃうんですか? あかねさんらしくないですね」

「そ、れは……」


 今度は私が黙り込む番だった。青ざめて、冷たい手を組んだり放したりする私を見て、くすりと穏やかに笑う。


「そんなこと、別に気にしなくてもいいのに」

「気にっ、気にしますよ!? だって、気にしない方がおかしいでしょう? 私、私、四十九日も終わってないのに、よりにもよって主治医だった男性と、」

「そう言われたんですか? 秋人くんに? ……日記には、なんて書いてありました?」

「……私に幸せになるようにって」

「なら、分かり切ってるじゃないですか。これからすべきことぐらい」


 ふっと腕が伸ばされて、私の肩を掴んできた。はっと見上げてみると、またあの時折見せる、どこか憂鬱そうな顔をしている。何だろう、表情がすごく変わるとかじゃないのに。いつもみたいに、うっすらと微笑みを浮かべているのに、涼しげな目元だけが一気に暗く転じている。黒い瞳から光が抜け落ちている。目が離せなくなって、ただひたすらに見上げていた。



「弟くんの言うことは何も気にしなくていいですよ。……彼だって後悔しているかもしれない。色んな、酷いことをあかねさんに言ったわけですし」

「そう、でしょうかね……?」

「だと思いますよ。そのうち謝ってくるんじゃないですか?」



 心底どうでもよさそうな口調だった。驚いて、息をするのも忘れて見上げていると、槇田さんがよりいっそう微笑みを深める。ぐっと、肩を掴んで近付いてくる。心臓が痛いほどに跳ね上がった。ときめきじゃないんだけど、これ、何だろう?



「あかねさんはどうしたいんですか? どうなりたいんですか? 俺と」

「えっ!? いや、まだ決まってない……」

「じゃあ、試しに俺と付き合ってみませんか? そこで無理になったらお別れしましょうよ。曖昧な関係が続くから、余計に混乱してしまうのでは?」

「へっ? ああ、まぁ、そうかもしれませんね……」



 何を言っているのかよく分からなかった。じゃあって一体なんで? 何のこと? でも、渡りに船の提案のような気がした。よく分からないけど、槇田さんの言葉に間違いは何も無いような気がした。本人があまりにも、堂々と優しい微笑みを浮かべて、佇んでいるからかもしれない。風邪でもうろうとしている時に、「このお薬、よく効くんですよ。朝晩二回ちゃんと飲んでくださいね」って言われてるみたいな感じだった。よく分からないけど、従っておけば間違いない、みたいな。



「じゃあ、そうしましょうか。ひとまず……コーヒーでも淹れてきます。俺。ああ、それとも紅茶がいいですか? それとも、ホットミルクでも?」

「えっ? い、いやいやいや……ええっと、コーヒーでいいです。私。ブラックで! 普段、お砂糖どさどさ入れちゃうんですけど、その、今は苦いのをくぅーっと飲みたい気分なので!」

「じゃあ、ブラックを淹れてこようかな……ああ、そうだ。タオルタオル。良かった、用意しておいて」

「わっ!?」



 シューズボックスの上に置いてあった、白いバスタオルを素早い動きで掴んで私の頭にかぶせる。一瞬で真っ白になった。戸惑っていると、タオルの向こうで「っはは、すみません。いきなりで驚かせちゃいました?」と楽しそうに笑い、私の頭をがしがしと、でも丁寧にしっかりと拭いてゆく。



(な、なに? この、唐突の彼氏彼女のキャッキャウフフ感は……!?)



 張り詰めていた緊張の糸がそれで、ぷつんと途切れてしまった。大人げなく、泣きながら秋人くんと言い合ったダメージが今、ここでどっときているような気がする。



「っう、あの、じゃあ、じゃあ、よろしくお願いしまふ……腐女子でゲーマーで、キラキラぴかぴかなことは、一切何も出来ない彼女になっちゃいそうですけど」

「ええっ? キラキラぴかぴかなこと……?」

「な、ナイトプールに行ったりとか? アフターヌーンティーに行ったりとか?」

「いや、別に。まぁ、たまにちょっとオシャレなカフェとか行ってお茶が出来たら。雰囲気作りたいし」

「雰囲気作りたいし……?」

「そう。ああ、そうだ。言い忘れてた」

「はい」



 いきなり視界が開ける。ちかちかと、眩しい光が飛び込んできた。目を細めていると、すぐ近くで槇田さんが嬉しそうに微笑む。その無邪気な微笑みに息を止めていると、ふっと黒い瞳を細め、笑みを深めて近付いてきて。



「好きですよ、あかねさん。これからもどうぞよろしく」

「っ!? ……えっ?」



 ちゅ、と軽いリップ音を立てて離れていった。不意打ちキス。流石の私も顔が真っ赤になってしまった。でも、あれ? これでいいんだっけ? 何かが違う、何かが違うような気がするのに。でも、何が違うのか頭がくらくらしていてよく分からなかった。



「もっ、もーっ! 死ぬほど驚いたんですけど!? 今の!」

「っふ、ぶ、くくくくく……!!」

「えっ? ツボに入ったの? 今ので!?」

「あーっ、おかしい! じゃあ、まぁ、これからどうぞよろしくお願いします。あかねさん?」



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