第九話
朝、授業を受けにたくさんの人が講義棟に吸い込まれ、昼過ぎに一斉に排出される。時間を圧縮したなら建物の呼吸。私は二酸化炭素となって学舎に取り込まれて、時間を差し出して知識を受け取る。
「AIイラストレーションの初期の問題は模倣でした」
黒い箱の中で先生が講義してる。ルネサンス時代の貴婦人のイメージなのか、コルセットで締め上げたような細い胴に、描画範囲のぎりぎりまで広がったスカート。大粒の宝飾品がこぼれ落ちそう。
「下書きのラインを補正したり、写真から輪郭線を取り込んでイラストを描画するソフトが数多く生まれましたが、それらは新しく何かを生み出すものではなく、既存の創作物を取り込み、わずかに異なる別の絵を出力するという悪用に用いられました」
私のタブレットにいくつかの事例が浮かぶ。ライブ配信で描かれていたイラストを取り込み完成させてしまったケース。過去の漫画作品を現代風に描き変えて新人賞を受賞したケース。事件についての寸評はどれも辛辣だ。
「AIによるイラストレーションとは言っても、現実的にはセットされた膨大な量の画像データの切り貼りに過ぎず、本当の意味で無から有を生み出しているわけではない。これはプログラム上の処理とは無関係に定義されました。そのようなAI創作物を相応しい地位に置くべきであると、国際的な基準が生まれたのですね」
それがつまりパンドラ規範。
六沙学園にはたくさんの教養科目があるけと、この「AIイラストレーションと法整備」は必須科目になってる。いつ取ってもいいけど、私は最初に取ることにした。
授業は最初の単元でパンドラ規範の成立を、次からはその周辺について学んでいく流れみたいだ。授業は毎回、それがパンドラ規範の成立を促しました、という流れで終わる。
授業を終えて建物を出る。
今日はとりあえず部室に行って、2時間ほど掃除しよう。そういえば超短編はあまり作ってないけど、今日は一つ二つ作ってみて部長に見てもらおうか……。
「次はー、雛芥子学舎前ー、雛芥子学舎前ー」
うん?
妙な声が聞こえた。
見れば、黒い詰め襟のマオカラースーツを着て、駅員さんの着るような官帽をかぶった人がいる。
腕の先は白い手袋。官帽は本が乗るのではないかと思うほどカチカチに固まっている。一見すると大学の応援団みたいだけど、襟章とかの小物で駅員さんだと分かる。
といってもここに駅なんかない。学内トラムの走行ルートからも外れてる。
「進行方向よーーーし! 警告灯よーーーし! ホーム内不審物よーーーし!」
その人はきびきび歩きながらロボットダンスのように手を動かす。もちろん他の生徒は大きく回り込んでいる。視線を向けることもしない。
何してるんだろ……?
「む」
その人がかかとを軸に回転して私を見る。え。
「そこのお客さん!! ホームに入ってますよ!!」
ええっ!?
私は硬直してしまって、その人が詰め寄ってきても逃げられない。もちろん私の足元にレールなんかない。
「早く出て! もしや動けませんか!? いま担架持ってきましょうか!」
「あ、あの」
言葉が渋滞。でもこれ大抵の人はこうなる気がする。眉毛が逆八の字を描いてて怖い。
「む、待てよ。そうか、鵯売店のあたりに乗降口を作るなら、ここはちょうど踏切になる……そう指摘したいのですね!」
「い、いえ、その」
その男子は私の手を両手で握り、ぶんぶんと上下に振る。
「ありがとう! あなたのおかげでこの春霞線がまた完成に近づきました! それではお気をつけて!」
その人はびしりと敬礼して、コンパスみたいな大股の歩みで去ってしまう。
取り残された私は何もできず。ちょっとくずおれて片膝をついた。
周りの通行人からの「災難だったね」という視線が恥ずかしかった。
※
「ヒトコトー、はいチーズ」
顔を向けるとぱしゃり、海ちゃんのカメラが私を撮る。
私はいつものようにみにのべ部の部室を掃除中だ。
「海ちゃん、カメラ好きだね」
「うん! ずっと家にあった古いやつだけど、ちゃんと手入れしてるからギミックも快適に動くよ」
海ちゃんは何枚かのメモリーを入れ替えて、撮りためたデータを確認してるようだ。
そういえば今どきメモリー式のカメラは珍しい。ほとんどのデータがクラウド化されて、端末にメモリーを差すことはほとんどないと聞いてる。
海ちゃんのメモリーカードも少し古いものに思えた。人指し指ほどのスティックタイプだけど、プラスチックが変色してる。
「海ちゃん。メモリーに保管してももうPCとかで見れなくない?」
「うーん、そうなんだよね。古いギア使いはコレにいつも悩まされるんだって。お父さんはスタンドアローンのフォトスタンドがないって嘆いてたし、おじいちゃんはフィルムが手に入らなくて困ったとか」
どうも海ちゃんの家系はカメラ好きの血筋らしい。しかも古めの道具を選ぶ渋好みなのかな。
……フィルムって何だろう? 液晶を保護するやつ?
「お姉さんもそうだったの?」
「え? ……ううん。お姉ちゃんは写真に興味なかったなあ。あんまり本とかも読まないし、テレビも……」
海ちゃんは斜め上を見上げる。過去を思い出そうとする動きだ。
「何にも興味なかったのかな……中学ではたしか、文芸部だったんだっけ……」
「……」
少し寂しい会話になりそうだったので、話題を切り替える。
「海ちゃん、学内を撮ってるみたいだけど、部活バトルのことってわかった?」
「ぜーんぜん」
海ちゃんはだらりとテーブルに伸びる。海ちゃんは液体かもしれない。
「この学園ってば広すぎるよー。海岸線に沿って一周するだけで大変だったよー」
「授業用のタブレットに地図とかなかった?」
「あれ大ざっぱにしか描いてないよう。必要な地図はその都度ダウンロードしてくんだって」
私も自分のタブレットで確認。ほんとだ。遊園地の地図みたいに抽象化されたものしか出てこない。私達が授業を受ける第一講義棟はデータがあるので、ピンチアウトで詳細にできるけど。
「それに音楽科とか立体造形科とか造園科とか、入るのにいちいち申請しないといけないの。一つ二つ見るだけで大変だよー」
私たちは普通科だけど、普通科の範囲は春エリアの三分の一ほどだ。それ以外はヨーロッパの地図みたいに細かく分かれている。
部活バトルがどこで行われてるのか。それを調べようにも、まだ下調べの段階でこれでは何ヶ月かかっても足りなそうだ。
「うーん……データシェアとかどうかな。部長さんは学内のデータ持ってないかな」
「相談してみたよー、部長はアカウントのキャッシュ消してて、ほとんど持ってないんだって」
「そうなんだ……」
じゃあ、データを持ってる人を探さないと。
しかも部活バトルについて調べてることは知られたらいけないはずなので、なるべく少人数。
学内のあらゆる場所に行ったことがあって、そこの地図データを所有してる人……。
「……いるわけないなあ」
ざざざ、と窓の外から音がする。
春の小雨だ。この太平洋上では日本の節気は意味を持たないけど、それでも桜をうつ雨は綺麗だと思った。
花洗いの雨、あるいは花腐しの雨だ。
このみにのべ部は、いつまでも春から逃げられないけど。
※
翌日、雨はまだ続いてる。私は売店でパンを買って、濡れないようにバッグに突っ込む。
「今どきこういう雨って消せないのかな。それともわざと降らせてるのかな……?」
雨の日はトラムが混む。すでにステーションは長蛇の列だった。私はあきらめて傘を低めに構え、バッグを脇の下で守って歩く。
「霧笛よーーーし! 雨煙警報装置よーーーし!」
あれ、あの人。
またあの詰め襟の人だ。今日はマオカラーコートの上から透明な合羽を着ている。また駅員さんの真似だろうか。こんな雨の日もやってるの?
「やあお客さん! 美しい傘ですな!」
その人は鋭く振り向き、私の青い傘を見て言う。私はどきりとする。
ここって、まさかホームって設定? 傘を降ろさないとダメ?
私が傘をすぼめようとすると、駅員さんは慌てたように手を突き出す。
「ああ結構ですよ! この城平階段前駅はプラットホームの屋根が工事中ですからね!」
急遽そういう設定になったらしい。臨機応変だ。
「お帰りですか! 雨でホームが滑りやすくなっております! お気をつけください」
「は、はあ……」
私はまた声が出なくなってる。
何も言えないのに、そそくさと歩き去ることもできない。
体の中で言葉が渦を巻いて、そして予期していないものが出てくる。
「あの……ホームって、電車ですか」
何でそんなこと聞いたんだろう。
だがその湿ったマッチをするような一言。この血の気の多そうな人に点火するには十分だったらしい。彼はふいにびしりと気をつけをして、両腕を腰の後ろに回す。
「そうです! この城平階段前駅は駅番号MS-17、乗降客数は一日で17000人! 通勤快速を含めたほとんどの急行列車が止まり、多くの急行がこの駅で普通列車との緩急接続を行います! 構造は島式ホームの二面四線、南側駅広場はコスモス広場と呼ばれており、北側はタクシー乗り場を含むロータリーがございます!」
「は、はあ」
駅員さんは白い手袋で一方を指す。
「この春霞線からは急行快速が声楽科まで伸びております。そこで支線である周塚まつり線に枝分かれしておりますな。服飾科や調理師学科はこちらにお乗り換えください!」
……ん?
「また反対方向は直線で路線が伸びております。こちらは総合図書館や学生課。途中で交差しております万乗線は体育科やアートビジネス科に伸びておりまして……」
「ちょ、ちょっと待ってください」
いつの間にか声の渋滞がやんでいた。私は雨を傘に受けながら、その人に問いかける。
「も、もしかして、この六沙学園の地理にとても詳しいんですか?」
「無論です!」
その人はさほど大柄というわけでもないけど、着ているコートの四角張ったシルエットが、そして直立不動の揺るぎない立ち方が自動販売機のような重々しさを感じさせた。彼は胸を叩いて答える。
「この金工工芸科三年、字森匡の率います架空鉄道部! この学園のすべてを知り尽くし、ふさわしき路線を引くのが使命なのです!」
ちなみに架空鉄道という趣味は実在します