第六話
※
心の中にある景色。
それは桜色の景色。
何もかも桜色の世界。
それが私の中心にある。
私はそれを表現しようと思った。数百数千の言葉を書き連ねて、桜の美しさを、花弁の可憐さを、枝ぶりのねじ曲がった不可思議さを描こうとした。
――描写がくどすぎるのよ
――こんなに言葉を重ねる必要はない
その人は私の先輩。中学での文芸部部長。
私も先輩も特別な人間というほどではない。特に賞をもらったこともないし、中学時代に書き上げた作品は数えるほど。
私は、その先輩に読んでもらえないことが悲しかった。
どれほど冗長でも拙くても、先輩なら読んで何かしら感想をくれるという信頼があった。
読んでもらえない、そのときに私の中にある言葉は無価値になった。
砂漠の砂をひとつぶ拾えば、宝石のようにキラキラしてるかもしれない。
でも量が多いという、ただそれだけの理由で宝石は砂漠に変わる。
私は中三になると文芸部に行かなくなったし、先輩がどこに進学したかも知らない。
どんな顔だったかもあまり覚えていない。文芸部の他の部員も、学校行事も、それ以外の思い出も、何だか砂嵐の向こうにある風景のよう。
ただ、言葉だけが。
あの短い言葉だけが、打ち込まれた杭のように……。
※
世の中に短編小説はたくさんあるけど、短編と長編の切れ目はどこにあるのか、ちゃんとした定義があるわけじゃない。
短ければ短編、長ければ長編とざっくりと決まってる。
それと同じく超短編というものも定義はない。部長によると、超短編はただ短いという定義しかない、とのことだ。
おおよそだけど短編小説の目安とされるのが原稿用紙五枚、つまり2千字。それ以下のものをおもに超短編と呼ぶ。
長さはまちまちだ。54字以内で構成される短編集がベストセラーになったこともあったし、家族や友人への手紙という形式で、ほんの数行の短編を公募する文学賞などもあった。
120字というのは超短編の中でもやや短いほう。発祥としてはSNS全盛時代に広まった短文小説だと思う。一度の投稿に文字数制限がある中で生まれたジャンルだ。
「120字かあ」
私は春エリアを歩き回って、池の見える公園のような場所に行きつく。こじんまりとした喫茶店があるけど、メニューに白玉団子とぜんざいがあったりして、お花見には丁度いい場所だ。
私はスマホから投射型キーボードを出して、空中でわきわきと指を動かしていた。
川から流れてきた大きな桃、そこから生まれた男の子は桃太郎と名づけられました。
桃太郎は鬼退治に行くと言い、途中できび団子と引き換えに犬、猿、キジを仲間にして鬼ヶ島へ。
鬼たちと戦ってこれを討ち倒し、財宝を持ち帰って家族と平和に暮らしましたとさ。(120字)
これでちょうど120字。
でもこれは違う気がする。これじゃ桃太郎を説明してるだけだ。
桃から男の子が生まれる、犬、猿、キジだけで鬼と戦う、そんな突拍子のない部分を物語として成立させないといけない。
「……でも原作にも別に理屈とか説明があるわけじゃないよね。元々は確か、桃を食べたおじいさんとおばあさんが……」
私はペットボトルのお茶を飲みつつ考える。
ばっしゃばっしゃ。
音で視線を上げればスワンボートの漂う池。
そこを海ちゃんが泳いでたのでお茶を吹きかける。
「う、海ちゃん何してるの」
私の声が聞こえたのか、海ちゃんは高速クロールのままこっちに突っ込んできて、一度潜ったかと思えば上半身から一気に飛び出してくる。
「うひゃっ」
飛び上がる勢いで柵に手をかけ、重力を無視して乗り越える海ちゃん。大量の水しぶきが飛ぶ。
海ちゃんは競泳水着にスイムキャップという姿。腰には防水のウエストポーチを巻いていて、中からカメラを取り出して池をぱしゃり。
「にゃはは、学園内をあちこち撮ってたの。ついでにいい池があったから泳いでたよー」
「あそこ公園の池だよ。スワンボートもあったし危ないよ」
「だーいじょーぶ! スワンボートぐらい吹っ飛ばしてみせる!」
「なお悪いよ」
海ちゃんは毎日授業が終わると学園内をあちこち散策。そして夕方まで泳いでる。どうりで焼けるわけだ。
こないだのお寿司を折り詰めにして何箱も持ち帰ってたけど、いくら食べてもすぐにカロリーを燃やせるんだろうな。
「海ちゃん、みにのべ部の課題できた? 五日後に提出ってことだったから、もう明日だよ」
「う゛っ……い、いや、私って締め切りぎりぎりになってからエンジンかけるタイプだから」
超短編の課題で五日後というのはかなり長い締め切りだ。それは私たちのためというより、新入生の部員勧誘期間がちょうどその日に終わるからだろう。
とはいえみにのべ部を訪ねる新入生はいないし、入部は私と海ちゃんだけになりそうだ。部長からの課題が終わればだけど。
「ヒトコトはどーなの?」
「とりあえず形にするだけならできるよ。でも……なんだか納得できなくて」
「うーん、私も書かないと……でも小説は書いたことないよう」
海ちゃんはそもそも提出できるかも危ないようだ。
私のをあげてもいいけど、さすがにそんなズルはためらわれるし、海ちゃんは一言もそんなことを言いださないので黙っている。
「ヒトコトはどんなところ悩んでるの?」
ぶるぶる、と体を震わせて水気を落とす海ちゃん。
「うん……桃太郎ってちゃんと書くとやっぱり五千字ぐらいかかって、それを要約するような形にしかできなくて、でもなんかそれは違うような」
「うーんそうかー。ちょっとスマホ貸して」
海ちゃんは私のスマホを受け取って指紋認証。
そうすると内部データが上書きでインストールされて、それは「海ちゃんのスマホ」になる。
この学園では私たちのモバイルデータは学園のサーバーに保管されている。指紋や声紋などの生態認証で個人データにアクセスできるのだ。
学園はあちこちにフリーの端末も置いてあるので、スマホを持って出なくてもネットワークを利用できる。
「えーっと、とりあえず書いてみよ」
鬼を退治に出かけた若者、彼の仲間は犬と猿とキジだけでした。
しかし犬は鬼のフトモモを噛みちぎり、猿はひっかきで首を飛ばし、キジは目玉をえぐりだして鬼を倒しました。
若者はずっとドン引きでした。(94字)
「あれ、これよくない?」
「……これは、うん、そうだね、ちゃんと面白いよ」
なんか凄まじいけど、小話として成立してる気がする。
若者の仲間は動物だけという意外性、それが活躍する痛快さ、若者が実はドン引きだったという意外性あるオチ。大したものだと思う。
それに桃太郎という言葉を使ってないのもいい。私は桃太郎の話だと分かってもらうために使ったけど、考えてみれば桃太郎だと分かってもらえるワードはたくさんあるのだ。
「海ちゃん天才肌かも」
「えへへ、じゃあ私これ提出しよーっと」
……。
今の海ちゃんの作品、私も参考にしてみようかな。
海ちゃんは鬼と戦う場面をフォーカスした。私もどこかの場面を集中的に描いてみようか。
「うん……方針が見えてきたよ」
「ヒトコトも? よかったー!」
「部室に行こうか。あそこで腰を落ち着けて書くよ」
私たちは桜の中を歩いて部室へ。
入ってみると先輩はやはりソファで眠っていた。文庫本を顔に乗せて熟睡の構えだ。私たちはそっと廊下に入って建物の奥へ。
この洋館には厨房もあるし個室もいくつかある。私たちはこの数日でまず掃除から入った。
メインホールに山積みになっていたゴミ袋を収集所に出して、個室もそれぞれ掃除。カーテンもベッドカバーもすべてランドリーに出す。
どうも放置されてたのは年単位な気がする。メインホールはだいたい綺麗になったけど、個室はまだ全部終わってないし、厨房なんかは手つかずだ。
あまり詳しくないけど歴史ある建物な気がする。唯一、トイレだけは改修されていたけど、厨房には古い天火もあるし、暖炉なんかも飾りではなく本当に使えるやつだ。春エリアではあまり意味がないけど。
私たちは今日のぶんの掃除を終え、洋館の個室でモバイル端末に向き合う。
海ちゃんはと言うとカメラの掃除をしていた。道具をたくさん並べて何やら本格的だ。
「うーん……一部分をフォーカス……」
「え? なに? 部室の中で撮るなら暗いから感度高めにするよ」
「カメラのことじゃないよ」
やはり冒頭の場面だろうか。私はイメージする。
川の上流から流れてくる桃。あの有名なオノマトペに乗って揺れている。
抱えるほどの桃が流れるぐらいだから流れは早め、少し川幅もあるだろうか。洗濯ができるぐらいだから綺麗な川なのだろう。絵本を連想させる牧歌的な、それでいて幻想的な香りを残す風景。
イメージは少しずつ広がり、想像の中で視界深度は伸びていく。川の上流と下流。周りの風景。水のきらめきと桃の香り。タライにいっぱいの洗濯物。
手が止まる。
すでにモバイルの画面は真っ黒だ。念のために文字数カウントにかけてみる……681字。
「ええと、ここから削って……」
300字ぐらいまで削る。そこからさらに言い回しや修飾に工夫をして250字ぐらいに。
だめだ。
もともと書きたかった風景がどこかへ行っちゃった。これだけ読むと桃が流れてるのがどんな川か分からない。
削る前の文章を呼び出して、今度は川だけをフォーカス。
でもだめだ。これだと桃の形や大きさが描けてない。
桃が川を流れてるから桃太郎だと分かるだろう、というのでは安直すぎる。普通の桃の可能性だってあるはずだ。
「ううーん……どうすればいいんだろう」
「難しかね?」
声に振り向く。
白釘部長が、部屋の入口におでこをかすめるように立っていた。