第三十三話
私と乎曳神部長を囲む三人が、手の中に金貨と銀貨を出現させる。
「金貨は乎曳神さん、銀貨は言問さんを指します。一斉に投げて評決とします。3、2、1……」
放られる、光を受けて回転するコイン。そして場の中央に落ちた3枚は。
「……!」
金貨が、三枚。
「――はっ!」
肺の底からの息を吐く。ドレスの踊り子。
「当たり前の結果よ、勝てるとでも思ってたの!」
「……皆さん、理由を聞いてもいいですか」
「言問ひなた、お前の創造は作品としては素晴らしかった」
高い位置で腕を組み、憮然とした顔で評するのは榊部長。
「だが乎曳神の作品がデスゲームの陰惨さ、眼前に突きつけられた死のリアリティ、これから展開されるグロテスクな悲劇を予感させたのに対し、お前は起承転結をすべて描き、やや幻想的な舞台を作ってストーリー性を重視した。俺から言わせればそれは勝負からの逃げだ。対決する軸がずれているんだ」
「互いの練度にも差がありました」
次に語るのは酒舟会長。
「おそらく舞踏と短句呪符の情報量の違い。【金貨】は登場人物の個性を描いていたのに対し、言問さんのものは一様に乙女という記号があるだけだった。登場人物を絞るなどしてキャラクターを打ち出すべきだったと考えます」
「デスゲームというものの主眼をどこに置くかは人それぞれだけど」
【生命の樹】のスートは少しだけ物悲しそうに、だが厳粛な響きを乗せて語る。
「それは死の軽さによる恐怖だと思う。人の死は舞台装置として消費され、ちょっとした知恵比べや運試しのために賭けられるチップと化す。その板子一枚の危うさの中に凄絶さがある。言問さんの創造はややサバイバルに近かった。戦いを密に描きすぎた気がするな」
「ですが、両名の創造にそこまで劇的な差は無かったと考えます」
三枚の金貨をぽつねんと見つめ、酒舟会長は言葉を床に落とす。
「あるいは審査員が違ったなら、結果は逆になっていた可能性もある。それだけは申し上げておきましょう」
「……」
寸評は理解できる。全体的にやはり乎曳神部長のものは完成度が高かった。対して私の方は少し変化球だったようにも思う。
だけど、そこまで差がないことも分かる。
この三人は、なぜ乎曳神部長に票を投じたのだろう。結果に綾をつけたくはないけど、それだけは気になる。
「狂気もまた人の心だよ、言問さん」
私の気持ちを察したのか、【生命の樹】のスートが告げる。
「確かに乎曳神ティアラは狂人かも知れない。黒騎士の生み出した一種の特異点。人の精神性を超越しつつある危うさがある。しかしそれを言うなら、まともな人間にスートの座は耐えられない。言問くん、君の創造の中では死は劇的であり、必然であり、物悲しさがあった。それでは駄目なのだよ」
「なぜです、それは当たり前のこと……」
「僕らは黒騎士を使い、学園の秘密に迫らんとする人を『没収』している」
はっと気付く。そうだ、黒騎士はシステムに隷属している。そのシステムの支配者こそがスートの四人。
「君にそれはできないだろう。『没収』は望ましいことではないが、避けては通れない手段だ。それどころかおそらく君は、スートの支配体制そのものに疑問を持つだろうね。これまでの会話でよく分かった」
「う……」
最初から、味方なんていなかったのか。
スートは私を品定めする気はあったけど、根本的に私がスートを受け入れられない。だから仲間には出来ないと……。
「ごちゃごちゃと、無駄な会話」
もう結構だとばかりに大きく腕を振るのは、乎曳神部長。
「こいつはもう黄金に変える。文句は言わせない」
「ああ、俺も異論はない」
「仕方のないことです」
「……」
私は逃げない。
せめて、最後までこの人を睨みつけて、私の抵抗の意志を世界に残して――。
「黒騎士、何をしてるの」
私のすぐ横。
黒騎士の鎧が見える。私より少し背が高く、ひどく懐かしく思える顔。御国雫という名を思い出す。それが架空の名であっても。
「邪魔をしないで、どきなさい」
乎曳神部長の声が、すさまじく間延びして聞こえる。家電の放つ重低音のように、声とも振動ともつかない。
「言問ひなた、いまあなたの脳内処理速度を高めている。体感では時間の流れが30分の1になっている」
黒騎士の声が頭に響く。世界はすさまじくスローに感じる。
「どうしたの?」
「私があなたを「没収」する。牽制のために白釘ケイの短句呪符を使いなさい」
……。
止まった時間の中で、私はじっと黒騎士を見る。システムに隷属しているはずの、プログラムの産物を。
「没収されるというのは、死ぬことと同義でしょう?」
「私が没収する対象は2種類ある。一つは問題行動が目立ち、生徒としてふさわしくない者。もう一つは優れた力を持ち、スートの支配体制を破壊する可能性のある者。それは秘匿されたストレージ内に保管されている。白釘ケイもその一人」
黒騎士は鎧の胸当てを外す。果たしてそこにはブレザータイプの制服があり、胸ポケットにメモリーカードのようなものが刺さっている。
この時代、物理媒体にデータを保管することはあまりないはず。クラウドにすら預けたくないほど重要なデータでない限りは。
「あなたの記憶と人格をここに封印する。異なる姿と名前を与えて、六沙学園の生徒として復活させましょう」
「……」
……そっか、これが大歓寺先輩の言っていたこと。
白釘部長は変わった人ではあったけど、罪人ではなかった。
部長は黒騎士が持つ物理メモリーの中にいて、いつの日か肉体を得る。人格と記憶とをそのままに。
でも、それは。
「ふざけないで」
きっぱりと、突き放すように心で念じる。
「人の生死はそんなに簡単に扱っていいものじゃない。それに私は【金貨】のスートに負けた。私はその事実をごまかしたりしない」
「言問ひなた、私はいつの日か世界再生を成し遂げる人材を求めている。それが最優先であり、私のすべての行動はそのためにある」
「そんなに世界を復活させたいなら、なぜあなたがやらないの。あなただって創造の力が使えるでしょう?」
私は思い出す。白釘部長と黒騎士が戦ったとき、黒騎士もまた様々なものを出現させていた。
「私に創造の力は無い。あれは私の中に蓄積されたメモリー。部活バトルの中で生まれたものはすべて私の中にある」
そうだったんだ、そのための部活バトル。
あれは人材を選ぶことと同時に、黒騎士が創造のメモリーを蓄えるためのゲームなんだ。
「私自身は何も新しいものを生み出さない。そのように自分で自分を律した」
「どうして……」
「もし私が世界再生を試みれば、そこに人間の居場所はない」
私の視界の中で、乎曳神部長がゆっくりと動いている。30倍の時間の中とはいえ、ゼロにはできないのか。乎曳神部長の白く細い腕がゆらゆらと伸び、私の胸にあてられる。
「私は生命として不完全」
「どういうこと?」
「私には繁殖もなく、欲求もない。私は私自身が持続する理由を持たない。自己保存の本能を持っていない。使命を除けば私には何かを演算する理由もない」
「……」
私の胸部が黄金に変わる。呼吸が止まるけれど、圧縮された時間の中では苦しくはない。変化は胸から始まって首へ、肩へ、腰へと広がりつつある。
「自己保存の本能は生命だけが持つ。私には人間の主人になろうとする情動もない。ただ与えられた役割を続けているだけ」
「黒騎士、あなたが本当に使命を重んじるなら」
もう時間がない。私の肉体はすべて黄金に変わりつつある。やがて思考も止まるだろう。
でも言わなければ、最後にヒトコトだけでも。
「失敗しようとしても、手を貸しちゃだめ」
「……」
「負けることや失敗することは不自然なことじゃない。私がここで終わっても海ちゃんが後を継いでくれる。みにのべ部の全員が失敗しても作品は残る。カタチあるものが何も残らなくても、意思は残る。私たちは失敗を踏み越えることで前に進むの」
「言問ひなた……私はどうすれば」
「見守っていて、それだけでいいの。いつか必ず、誰かが……」
私のすべてが黄金になる。
私の所在が曖昧になる。
恐怖はない、私は精一杯戦ったから。
願えるなら。
最後に、ヒトコト。
――海。
※
※
※
※
※
夢を。
夢を見ている。
それは不自然だ。私は黄金に変わったはず。
夢を見るための脳すらも。
「先輩」
そこにいたのは、懐かしい顔。
黒騎士でもあり、先輩でもある顔。そういえば海ちゃんにも少しだけ似てるかも。
「描写がくどいのよ」
先輩は私の差し出した原稿用紙を手に、いつかの言葉を繰り返す。
「こんなに言葉を重ねる必要はない」
「はい」
今なら素直に言える。
どれほど言葉を重ねても、思い描くすべてを伝えることなどできない。
「綺麗な桜を見たんです」
言葉を圧縮しても、語彙を尽くしても、身振りを交えても足りない。あらゆるコミュニケーションは不完全だから。
「感動しました。それだけを伝えたかったんです」
「そう、綺麗な桜だったのね」
私の創造と、先輩の想像は違う。
でもそれでいい。
人が人に手渡せるのは、ヒトコトだけ。
足りなくても、不完全でも。
渡したという事実だけが、何より大事なのだから。
「そろそろ行くの?」
先輩が問う。
「はい」
分かってきた。夢を見ているということは。
私がまた生まれようとしている、ということ。
心臓が鼓動を打ち始める。
脳に血液が流れ始める。
「さようなら先輩」
「ええ」
私は先輩に別れを告げる。
もう作りものの過去はいらない。
お仕着せの動機はいらない。
私は見つけたから、居場所を、戦う理由を、目指すべき未来、を――。
「ヒトコト!」
抱擁、その体は大きくて豊かだ。
海ちゃんだ。背が高くなって筋肉もついてる。迷彩柄のタンクトップにアーミーズボン、そんな姿がよく似合ってる。
「ヒトコト、私のこと分かる……?」
「うん、分かるよ」
海ちゃんは私の顔を両手で把持して、そして滂沱の涙を流す。海ちゃんすごく綺麗になったね、体格も良くなって大人の女の人だよ。
「海ちゃん、あれからどのぐらい経ったの?」
「3年ぐらい……大変だったよ、なんとかスートたちの目を盗んで、ヒトコトをここまで運んだの。そしてナノマシンミストを使って創造励起を……」
気付く、ここはみにのべ部の洋館だ。本とガラクタにまみれてる。海ちゃんはあまり掃除してなかったみたい。
「ごめんね……もっと早く助けたかった。ほんとうに色々あって……」
「大丈夫だよ海ちゃん、助かったんだから」
「でも……ごめん、もうヒトコトの学籍はないの。寮の部屋も……」
そうなのか。
けど大したことじゃない。部室で寝泊まりできるし、食べるものぐらい何とでもなるだろう。海があるんだから。
世界を感じる。
言葉で表せるものも、言葉ではないすべてのものも。
私は生まれ変わったのだと、そう実感する。
「大丈夫だよ、海ちゃん」
もう一度そう言う
私はまた部活バトルに挑む。
今度は負けない。スートにも勝ってみせる。
勝ちたいというこの動機、これだけは作りものじゃない、私だけのものだ。
「海ちゃん」
その旅の始まりを、ヒトコトで飾ろう。
大事な人に、また出会えたことを祝して。
「ありがとう」