第三十二話
「デスゲーム」
黒騎士は言い、場の何人かがざわめいた。
「デスゲームだと……黒騎士、それがお題なのか」
「そうです」
榊部長は口元に手を当て、何かを警戒するようなまなざし。
「ううむ、非常に難しいお題だな……。というより物質創造に適していない。それは経過のドラマというか、駆け引きの妙というか頭脳戦というか……」
「いいえ、この世界に出せないものはありません」
酒舟会長が前に出る。
「あらゆる物質というだけではない、時の流れや人間同士のドラマすらも顕現させるのが創造者というもの。黒騎士が選んだお題ならば従うべきです。どちらが先行を務めますか?」
私と乎曳神部長は動かない。当然だと思う、あまりにも難解なお題だ、うかつに先手は取れない。
「では何か公平な決め方を……お二人とも、適当な10桁の数字を言ってください、その因数が多い方が先手としましょう」
「99億と9999万9999」と乎曳神部長が。次いで空中にデジタル表示窓が浮かぶ。
「因数分解を……はい、3、3、11、41、271、9091、6つですね。言問さんは?」
「じゃあ……12億3456万7890……いえ91」
「はい、おや、素数ですね、では乎曳神さんの先手です」
末尾が0で終わると10の倍数だから、自動的に2と5の因数が加わる。まさか素数になるとは思わなかったけど良い機転だった。
「まあ良い……全員下がりなさい、中央をあけて」
この空間の広さは野球の内野ほど、広いけれど大規模なものを出すには狭い。スリップドレスの部長は場の中央に陣取る。
「私たちはこちらで観戦しましょう。黒騎士、あなたは私達のそばにいなさい」
「了解しました」
酒舟会長は何かを呟く、すると人数分の椅子が出現してテーブルや飲み物なども出てくる。
榊部長と酒舟会長は並んで座り、【生命の樹】のスートは何歩か離れた場所に立った。
「デスゲームについての資料を」
会長の言葉に応じて、眼の前にいくつかのウインドウが出現する。それによればデスゲーム物というジャンルは1970年前後から原型があり、最初はスティーブン・キングの小説であるとも、日本の小説であるとも、カナダの映画であるとも言われる。アメリカならホラー映画で、日本では漫画などで広く発達し、世界的ヒットとなる作品もいくつか生まれている……。
端的にまとまってる資料だ。この場所では自由にものを出すだけじゃなく、情報すら自在にアクセスできるんだ。
「幸福の基準とは衣食住、そして情報であるとする考え方があります」
会長は独り言のように言う。
「情報……」
「江戸時代に都市部で生活していた人が生涯に触れる情報、それは2000年代以降の日本人ならば1年分であると言われます。どれだけの情報にアクセスできるかを幸福の基準とした場合、現代人は過去の人間とは比較になりません」
「それは……そうですね」
「しかし満たされることはない」
もの悲しそうに目を伏せる。
「物質も情報を人の心を満たさない。いえ、手に入るからこそ満たされない。幸福とは内面的な数値であり、環境に左右されないのかもしれない。最後には薬物で脳内物質を分泌させるだけが究極の幸福、そんな結果に行きつくかもしれない。どうしようもないほどの行き詰まり、それがこの世界であり、人類という種です」
「……何を言いたいんですか?」
「スートの座を求めるなら、この世の絶望に思いを馳せねばなりません。覚えておくことです。六沙学園の現状を守ることが我々の役割なのですから」
「……」
そうだろうか。
スートの役割は世界を再生させることのはずだ。物質創造の力があれば不可能じゃない。
でも、この世界に人を解き放つことは危険すぎる。世界再生も荷が重い。
どうしようもない行き詰まり、それが学園の現状……。
たん、と床が踏み鳴らされる。
はっと意識が引き付けられる。つま先立ちからの緩やかな踊り、体幹の強さあっての動きだ。
乎曳神部長は猫のようにしなやかに、あるいはトンビのようにするどく動く。その表情には不安と怯えを潜ませる。それは花咲くような少女、けがれを知らない無垢な存在に、何らかの脅威が迫る予感。
音楽が流れる。奇妙だ、乎曳神部長は楽曲を指定していない。曲調や楽器の指定もない、だが流れるのはオルガンの低い響き、夜半の雨を思わせるような静かな旋律。
「これって……」
「乎曳神はすべての創造を舞踏のみで行う」
榊部長が言う。
「俺にも原理は分からん。おそらく乎曳神にも分かっていない。それは機械との対話だ。あいつは最初の試合からああだった。直感的に分かっていたんだろう、自分の戦い方はこうであると」
「感受性、というものをどう考えてる?」
【生命の樹】のスートが言う。彼は私よりは少し背が高いけれど、男子としては並に届かない程度、あらゆる面で没個性的というか目立つ点のない人だ。
「感受性……」
「そう、多くの人は生物の特権だと思ってる。表情やちょっとした仕草から感情を読み取る、それはまさに心の所在。互いの心の輪郭に触れ合う行為。表情や仕草を読み取るシステムも開発はされていたけど、とても人間には及ばないと思われてた」
踊りは続く。現れるのは古びた洋館。みにのべ部の部室よりもかなり入り組んでいて、調度は腐りかけており、どこかから水のしたたる音もする。
集まったのは男女七人。乱暴者もいれば理知的な人もいる。太った人や老人も。小さい子供は母親と一緒にいる。
不思議な感覚だ。乎曳神部長の踊りが人物を描写し、それをナノマシンが現実の存在とする、そこまでは分かる。
だけど私達の理解と実体の出現にタイムラグがない。動作が訴えかけるものを映像が補強してくれるような、そのためにより深く舞踏に没入していくような感覚。
「感情の世界の深淵、それもまたプログラムのほうがより深くまで潜れるとしたらどうだろう。囲碁や将棋で人間はもはや機械に勝てない。では心の機微でさえもそうなのだろうか。指先の震えに意図を見出し、眉をしかめる動作で感情のすべてを知る。システムを通じて僕たちは乎曳神さんの踊りをより深く理解する、そういう戦い方なんだよ」
確かにそうだ。映像の助けがなければとても読み取れない奥深さ。私の感情までが演じられる人物とリンクしてくる。
燭台を持つのは若い男、傲慢で冷徹、周囲が引き止めるのを振り切ってこの屋敷から出ようとする。
燭台の炎のゆらめき、床板のきしみ、遠く響く雨音。雷鳴が起き、わずかに窓の方を見やった瞬間。
重力が消える。
スリップドレスがふわりと浮き上がり、驚異的な滞空時間を見せて飛ぶ。
それは罠だ。
一瞬で首に巻き付くロープと、それを巻き上げる歯車の音。がらがらと空恐ろしい音が響く。
もがき苦しむこともない、一瞬で首の骨が折れたのだ。
そして雷光のストロボの中、残された6名は認識する。
この屋敷は罠で埋め尽くされている。
一撃で命を奪う凶悪な罠。それを踏み越えて外界へ逃げられるか、あるいは全員が命を落とすのか。
狂気の夜が、始まろうとしているのだと……。
たん、と床を打つ音。
はっと我に返る。すべての映像は消えており、怯えた表情を作っていた少女は顔をさっと手でぬぐい、部屋の端へと動く。それは役者が舞台をはける動きに思えた。
「相変わらず凄いな、久々に見たが……」
「ええ、そうですね。非の打ち所がありません」
……分からなかった。
どこまでが出現した実体であり、どこまでが私の見た幻なのか。
あるいは最初から最後まで何も出現しておらず、すべては舞踏の生み出した幻想か、そうとすら思える。
やはりスートの一人、間違いなく今まで見てきた人たちの中で最強……。
「あなたの番」
「はい」
私は中央へ出る。
本当に白い部屋だ。外縁部の塀のような物体もひどく無味乾燥。外部から受ける刺激がほとんどない。
そのために内面に没入できるとも言えそうだ。私は胸に手を当て、イメージを想起する。
デスゲーム。あらためて困難な課題だ。ほんの一分足らずの時間で舞台設定から登場人物、起承転結まですべて織り込まなきゃならない。しかも準備時間はほとんとない。
だけど、やれるはず。
私の中にはまだ何もない。空白だ。
でも私の中には眠ってる、新しいものが、誰も見たことのないものがあると信じる。人間にはそんな力があるのだと。それがすなわち想像であり創造、心の力。
(白釘部長……)
そう、超短編。
なぜ白釘部長がそれに取り組んでいたか分かった。思考力やイメージの力もある、でも肝心なのは即興性だ。
謎掛けや詩作、俳句をひねることなどは訓練で鍛えられる力だ。
試行錯誤の末に生み出される短編もある。でも即興でのみ生み出せる世界もあるんだ。
必ずできる。
最初のきっかけはヒトコト。
「浮舟に遊ぶ水鳥七羽、いずれも蝶よ花たる乙女たち、夜半の風にまどろみて流るるは人なき荒涼の島」
言葉は私の中で反響する。言葉が私の中からイメージを引きずり出す。舞台が島であることや、乙女ばかり七人というのも今まさに決まったことだ。
だけど弱い、島にいた殺人鬼に襲われるなり、あるいは乙女たちの殺し合いが始まるなりではアイデアとして物足りない。
言葉に委ねる。何を釣りだしてくれるか、私の舌が何を語るかを任せる。死や遊戯という言葉が心の深海へと降りていき、重々しく沈んだ言葉たちと触れあう。
「日垂るにありて見出す変若水、不死を約する神代にも見ず、奪い合いて滅びし戦人の火筒、乙女たちは眼差し交わす」
周囲は島の一角に変わってる。森の中のほんの僅かな湧き水。周囲には死体の山。それぞれ銃を持ち、互いに殺し合ったと伺える。
この先には何があるのか?
私は自分で自分を楽しみにする。何かが生まれようとしている。私は語ると同時に思考する。何かが思いつくことを確信する。
少女たちは銃を手に殺し合う。不死の水により簡単には死なない。穿たれた穴は再生し、吹き飛ばされた頭まで生えてくる。
だけど変若水の力は無限じゃない。本当の不死を手に入れるには最後の一人になって、水を独占しなければ。
「柳安郎、ひとたび見舞いて干射封牢、撃ちあいて天鎖天帳、天秤をもて罪の重さを測り合う」
「……! あれは、白釘ケイの短句呪符!」
乎曳神部長の声を遠く聞く。
ここから先は余人には伺えない。この語彙の意味を理解してるのは私とシステムだけ。私が白釘部長の作品から見つけ出したもの、白釘部長がシステムに打ち込んだ楔だ。
私が語るのは呪いにも似た言葉。少女たちを怪物に変える言葉。
腕や背中は鎧のように、口は耳まで裂けて、足には鳥のように鉤爪を生やし、衣服などとうにぼろ切れになって、獣よりなお恐ろしい姿になりながら戦い続ける。
「腱羅重獅、血をぬぐう夕凰闇、甘露校禺いつしか果てなむ獣の声、鱗を剥いで痣赫の宮……」
変若水とは人を不死にする水ではなかった。
ヒトコトで言うなら人を神に変える水。
それはかつて死んだこの島の神の体液。新しい土地神を生むための水。
やがて少女の一人が生き残り、この島の主として咆哮せんとする。孔雀のような大蛇のような、異形の怪物に変わって。
その頭部に、弾丸が。
「ゆらめきの羽根、貫き胴の凶弾、ケモノガミの瞠目せる少女一人、人の姿にて踏みとどまる」
一人だけ、変若水を飲んでいなかった少女がいた。最初からずっと隠れていたのだ。
神に成らんとしていた獣は銃弾を浴びる。再生より破壊が早い。瞬時に生えてくる手足を続けざまに吹き飛ばされ、周囲は血の海に染まる。
獣を撃つ少女は悲哀の顔。あらゆるこの世の混沌を、この世ならざる具象のすべてを踏み越えた究極の感情で銃弾を浴びせ続ける、いつまでも……。
語り終えたとき、私の体にも血しぶきが飛んでいた。
すぐそばにいた少女は私を見もせずに消えて、服に飛んでいた血もすべて消える。
ぱち、ぱち、と。
拍手が上がる。【生命の樹】のスートだ。
「素晴らしかった。殺し合いとは人が人でなくなる事象という示唆。最後にケリをつけたのが人間であったという皮肉。不死を捨て、神を殺してまで人の領域に踏みとどまることの一種の奇妙さ。全て一息に語りきったね」
「ありがとうございます」
「うむ、さすが白釘ケイの教え子というとこか、俺もあいつと戦ってみたかった」
「言問ひなたさん、よく戦い切りましたね」
スートの皆はそう言って、私達を囲むように三方に位置どる。
酒舟会長は皆を見渡し、場を取り仕切る者の落ち着きをもって宣言する。
「では評決を始めましょう。皆さん、手の中に金貨と銀貨を――」




