第三十一話
スートたちが言っていたこと、スートたちは互いのやることに干渉しない。
おそらくこの人たちは仲間でもないし、助けあう義理もない。自分に累が及ばないなら、入れ替わりも容認すると……。
「貴様ら、私に部活バトルを強要するというの」
「おかしなことを言うんだな、10億はお前の決めたルールだろう」
「ええ、それに心得違いをしてはいけません。我々にとって部活バトルは義務でもある。条件をつけてもいいけど拒んではいけない。部活バトルとはより優れた創造者を選ぶための試練ですから」
榊部長と酒舟会長、この二人は勝負を容認するようだ。【生命の樹】のスートもそうだろう。
そして黒騎士。彼女はじっと乎曳神部長を見ている。迂闊な行動をさせまいとする構えだ。
「……勝負ができるかは上の試合の結果次第のはず。黒騎士、その様子を大きく映しなさい」
「了解しました」
この円形の空間。そこに海ちゃんと矢束部長が出現する。半透明の映像のようだ。
会場のざわめきも同時に届く。私はディスプレイになっていたコンタクトをそっと外した。
女神も出現している。その薄い唇がわずかに動き、告げられるお題は。
――幽霊船
「ほう幽霊船か、酒舟、どう見る」
「決まりきったイメージがありますから造形というより演出のセンスが問われる勝負ですね。矢束部長は奇術師としてステージプロデュースも学んでいるはず、かなりの完成度で組み上げると見るべきでしょう」
矢束部長は制服ではなく、古式ばった燕尾服に銀のカチューシャ、下は黒のレオタードに荒目の網タイツ、膝丈のブーツという姿だ。
マジシャンらしい長い指と目鼻立ちのくっきりしたメイク。元々のスタイルや顔立ちもあってステージ映えしている。
両腕をクロスさせると、左右にそれぞれステッキが出現する。それを大きく振って海を描き、三日月型に湾曲した入り江を、屏風型の岩に閉ざされた秘密のビーチを描き出す。
ステッキを真上に放り投げる。空中でくるくると回るステッキの周囲で茜色の空が生まれ、金星やいくつかの一等星が生まれ。舞台は夕暮れ時の浜辺となる。
ステッキが落ちてくると矢束部長の衣装が変わっていた。中世風の白のロングドレスを着て木製の望遠鏡を持っているのだ。
「すごい……創造がマジックショーになってる」
「なかなか面白いな。実際のマジックもあれば立体映像を纏ったものもある。動きも堂に入ってる」
榊部長は感心を示す。乎曳神部長は興味がないのか、空間の隅の方で片足を頭より高く上げ、壁に押し付けるストレッチをしていた。驚くべき柔軟性だけど、今はそれより勝負が気になる。
お嬢様らしき格好の矢束部長が望遠鏡を構えれば、入り江に現れるのはぼろぼろのマストに朽ち果てた船体。幽霊船だ。これは昔懐かしい映画のパロディだろうか。
お転婆なお嬢様は大冒険を終え、舞台となった幽霊船はまたどこかの海へと消えていく、そのようなストーリー性が見えた。
そしてお嬢様はふと望遠鏡を見る。中になにか詰まってるのかという仕草をしてポンポンと叩くとレンズが外れ、中から宝石がこぼれてきた。
それは実物だ。バケツに一杯ほどの真珠にダイヤ、指輪や首飾りなど山ほど落ちてくる。明らかに小ぶりな望遠鏡の容積を超えて。
「ほう、面白いな! あんなもの仕込んでいたか!」
「なるほどマジックですね。宝石と望遠鏡ならどんな創作でもだいたい活用できます。他にもいろいろ仕込んでいたのでしょう」
スートたちも率直な称賛を送り、そして会場には割れんばかりの拍手。
今の一幕は即興とは思えない完成度だ、幽霊船を巡るストーリーを見事に表現していた。やはり強敵だ。
「さて……次は君のお仲間だね。部活バトルはまだ苦手のようだが、頑張ってくれるといいけど」
視線を向ける。【生命の樹】のスートは真っ白な床にあぐらをかいて座っていたが、彼はひどく存在感が薄く、黙っていると見失いそうになる。
「海ちゃんのことを?」
「もちろん知ってるさ、みにのべ部の新人だからね」
……そうか、そういえば白釘部長を負かし、部活バトルを禁止させたのは【生命の樹】のスートだったと聞いてる。とすればこの人は白釘部長よりも強い……。
いや、時の運もあるだろうし、あまり気負わない方がいいかな。
「あの……ひとつ聞いてもいいですか」
「何かな」
「なぜスートの座に座ってるんですか。部活バトルの真実から生徒を遠ざける、それだけが理由なんですか」
その前髪にかかったぼさぼさの髪の奥から、私を見る気配がある。
「この場所では、というより六沙学園のある環境球体以外の場所では何でも出せる、先ほど酒舟さんが説明したことだね」
「はい、白釘部長も出してました」
たぶん私にも出来るだろう。桃とかボールペンとか念じるだけで。
「この場所に人がたくさん来ると、殺し合いが起きる」
「まさか……」
「本当なんだ。黒騎士を抜いて四人というのは秩序を維持できるギリギリの人数なんだよ。誰だって砂漠の真ん中で出会った人とは仲良くなろうとするだろう? 希薄であることは安定を促すんだ。でも四人でもまだ危うい。あっちの三人に仲間意識はなく、互いに冷淡であり、不干渉という協定を結んでいてさえ、あのように乎曳神さんを排除しようとしてる」
「……」
「一人で扱うなら素晴らしい力だけどね……だから僕はスートの座に座った。この座を誰にも譲らないために」
四人……そんな少人数でさえ、秩序を維持するのが難しい。
いや、そもそも秩序なんか成立しうるんだろうか。
この場所では人間は何でもできる。社会に依存する理由が全くなく、だから社会に従う理由もない。
これが人間の究極の進化なのだろうか。こんなものが……。
「さあ、御国海さんの番だね」
【生命の樹】は試合を見ろと促してるようだ。私も今は試合に集中する。
海ちゃんはとりあえず女神に呼びかけ、幽霊船を出現させる。霧の立ち込める海。マストはボロ布のようで大砲はサビの塊と化し、三日月刀と一緒に白骨が転がっている。海賊の船だったのだろうか。
「海ちゃん……」
明らかにこれでは勝てない。細部を練り上げるなり、規模を大きくするなり、あるいは特異なストーリーを付加しなければ。
それともSFか、幽霊船という言葉を逆手に取って宇宙船を出すなんて手もありそうだけど……。
海ちゃんはじっと考えてる。その手には四角いカメラ。確か、お姉さんから受け継いだものだったはず。
それが虚構であることを海ちゃんはまだ知らない。でも海ちゃんの中では真実。ぎゅっとカメラを握って、その手が汗ばむほどに力を入れる。
大丈夫だよ海ちゃん。あなたならきっとできる、きっと……。
「手を動かすんだル!!」
その時、二階席から落とされる言葉。
誰かいる。パーカーのフードをかぶってサングラスとマスク。でもその体型で一目瞭然の人。
「動けば発想が生まれる! 思いつかなくてもとにかく動くんだル!」
大歓寺先輩、来ないって言ってたのに海ちゃんを励まそうと……。
その人物は周りの視線を浴びながら、階段状の席を駆け上がって出口から消える。どうも長時間いたくないらしい。先輩がなぜそこまで姿を隠したがるのか分からないけど、ともかく海ちゃんは顔を上げた。出現させていた幽霊船を強く見つめる。
「今のは……もしかして大歓寺パルルかい?」
【生命の樹】のスートが言う。
どうしよう、答えないほうがいいのかな。
「だいぶ痩せたみたいだな」
「え」
しまった反応しちゃった。知り合いだとバレちゃったかな。
「もしかして、彼女はみにのべ部に入部してるのかい?」
「……ええ、まあ」
「そうか……懐かしいな。彼女を巡って多くの男たちが争ったものだよ」
「え……ふ、太ってたんですよね? 今より」
「当時は170キロだったかな」
ひゃっ……。
「確か……自分がいては争いの種になる。この学園を守るために美しさを捨てるとか言ってたが、そうか、みにのべ部にね……」
どうしよう、その話すごく気になる。
うう、でも今はそれどころじゃない。海ちゃんの応援しないと。
海ちゃんは持っていたカメラを駆使して、幽霊船を撮影してる。船の周りを素早く走り回りながら、何枚も。
「女神さま、船体を回転! 甲板を見せて!」
女神はその呼びかけに応え、百トン以上ありそうな船体が軸回転する。
船のタイプとしてはカティ・サークだろうか。古典的な帆船だ。そして海ちゃんの目にひらめきの光が。
「多重露光! カメラの液晶画面に合わせてマストを増やして!」
連射。それに合わせて水平方向にマストが増える。
「ゆがみ加工! それとトリミング!」
シャッターが降りる。船体の後ろ半分が船に接続される。1.5倍ほど長くなった船体は横倒しのまま、全体が砂時計のようにくびれた形に。
「トーン落として! フォーカス甘く! 海面はもっと荒れてる場面を、超高速度シャッターとジオラマ加工で!」
海が荒れて、暴風も吹くかに思える。
だけど海面は動いてない、荒れ狂う一瞬を切り取ったように固定されている。
「なるほど……考えましたね」
【聖杯】のスート、酒舟会長が気づいた。私も少し遅れて見えてくる。
横倒しだった船体が正しい角度に戻り、波の上にそっと置かれれば、観客にも理解できてきた。
海ちゃんが生み出したのは超大型の六本マストの船。だけど中央がくびれていて、現実に存在する船とは言えない。
だけど成立している。これは切り取られた一瞬の情景。
激しく荒れ狂う海を巨大な幽霊船が進む。船体を波に正対し、正面から波を割ろうとする一瞬、その不気味な船はサルバトール・ダリの絵のように歪んで、泣き叫ぶ亡者のような、毒蛇のような生々しい曲線を備える。
そして船体はコントラストが強調され、暗い中でも船体がくっきりと見える。見えているのに歪んでいる。その眺めが認知の混乱を引き起こす。
それはまさに船の幽霊。定まった形はなく、乗組員の怨念が渦巻くような不気味な姿。あれこそがこの世ならぬ船だ。
「これは盲点だな! 俺たちはつい女神の力で歪みを補正させたがる。それを歪んだまま切り出すとはな!」
「そうですね……しかもあの船体、動画で見たならさすがに形状の違和感が先に立ったでしょう。ですが躍動感のある静止画ならば切り出せる。あれはまさに三次元の印象画です」
海ちゃん……。すごいよ、一発でこれだけのものを。
だけど投票がどうなるかまだ分からない。司会者が呼びかけ、観客席が赤と青に塗り分けられていく。
海ちゃんは青、矢束部長は赤だ。
「おおっと……これはかなり際どい。勝負は集計にもつれ込みそうです、さあ、結果は」
そして宙に浮かぶ巨大な数字。
――赤124に対し、青130。
「勝った……!」
立体映像の海ちゃんと、私のつぶやきが重なる。
「黒騎士、消せ」
ふつ、と映像が消える。白い光と、外周部を埋めるコンピュータの部屋に戻る。
私は強い眼差しを向ける。次は私の番だ。気持ちを切り替えなければいけない。数秒で、徹底的に。
乎曳神部長は全身を上気させている。先ほどまでのウォームアップのためか、それとも感情の高ぶりのためか。小さな顔なのに目玉だけはぎょろりと大きく、私を穴が空くほど見ている。
「服は朽ちてドレスになる」
制服が枯れ葉のように崩れて地に落ちる。その上から柔らかな布が被さるように見えて、肩紐と袖口が縫製され、足首までの丈があるスリップドレスに変わる。サテン地のように艶がある純白のドレスだ。金の冠と調和を示す。
そうか、何でも出せるというのは大気を満たすナノマシンの仕業。命令次第ではある程度の破壊もできるということ……。
「私が物質を金に変える理屈は」
こちらの反応も見ずに、腹筋を絞るような大声で話す。
「簡単に言えば置き換え。極小の工作機械を生み出して、建物も肉体も原子レベルで金に置き換えている。これを生命に当てはめるとどうなるか」
「……」
「細胞壁も遺伝子の二重らせんも、脳細胞もニューロンの枝もすべて黄金に置き換え、空隙は粘性を高めた合金で埋めている。本来そこにあった有機物は空気に混ざって拡散し、もちろん神経物質のやり取りなんか行わない。血管も金なら血液も金、代謝など行われない」
最後まで聞くまでもなく、陳腐な脅しだと分かる。
「つまり金になればそこで死んでいる。黒騎士が再生させたとしても、生命の連続性なんか存在しない」
「それがどうしたの」
鼻が触れるほどの距離に近づく。その大きな目を睨み返し、口の端で笑ってやる。
「私達には元々の人生なんか存在しない。記憶も経験も作られたもの、今さらそんなことで脅すなんてスートの底が知れる」
ぎり、と奥歯を噛む気配。これまでの様子から、挑発に弱そうなことは分かってた。
問題は、こんな人でも【金貨】のスートだということ。
果たして、その無敵の強さとは……。
「黒騎士! お題を言いなさい!」
「了解しました」
女神は降りてこない。
この場所では必要ないのか。私達の誰もが創造の力を使えるから。
女神の加護がない場所で、私達の創り出すものは。




