第三十話
「私は黒騎士。六沙学園の管理者であり、教員を含め数多くの職員を動かしています」
黒騎士は言う。声が広く反響している。空間全体から声が出ている感覚。
「しかし、私に会いに来て何がしたかったのですか。白釘ケイの敵討ちでも?」
明かりがつく。壁全体がぼんやりと光るようで、そこは真っ白な部屋だとわかる。
取り囲むのは黒い金庫のような物体。円形の空間にずらりと並んで、ブロック塀のような眺めになっている。
「このユニット群の中に「私」が存在しています。1ユニットには20ペタフロップスの演算能力があり、ストレージはほぼ無限に近い量です」
わずかな電子音、LEDの明滅。
「ここには人類がこれまで収集してきた情報のすべて、開発したプログラムのすべてが眠っています。そしてバックアップはさらに大地下にある。破壊は不可能ですよ」
「分かっています。私はただ、確認したかっただけです」
確認、という言葉に黒騎士は少し動きを止める。人間なら眉をしかめた動作だろうか。
「何を察したと言うのです」
「この学園はどこにあるのか」
黒騎士は押し黙る、私は白い天井を見上げて話す。
「何もかもおかしかった。なぜ学園には超一流の人材ばかりがいるのか。なぜみんなが部活バトルに夢中になるのか。なぜ乾きを抱いた人が多いのか」
「……」
「私達は、そのように作られたから」
言葉が。
私を取り巻いていた疑問の壁を、打ち砕く音が。
「私達はプログラムされた人格。私達に本当の親や生まれ故郷なんか存在しない。そのような記憶を植え付けられて生まれただけ」
「その通り」
はっと、背後を向く。体格のいい男子生徒。その声には聞き覚えがあった。【剣】のスート。刀法部部長、榊道玄太刀邦。
「どうして……」
「悪く思うな。黒騎士はここへの侵入者をスートに報告する義務がある」
私は背中のリュックに片腕を回す。工具以外の武器は入っていないけれど、牽制にはなるだろう。
大丈夫、スートに見つかることは想定の範囲内。ここからはヒトコトも間違えられない。全身に気を張って言葉を選ばなければ。
榊部長は黒騎士に呼びかける。
「黒騎士、学園の正しい姿を見せてやれ」
「了解しました」
篭手に覆われた手が宙を舞う。すると空間に円形の窓が生まれ、かなり高空から撮影した映像が現れる。一面の海が広がっている。
そこにあるのは球体だ。おそろしく大きく、空に浮かんでいるようだ。あまりの大きさのために地上部分が濃い影になっている。
「あれって……」
「環境球体。内部に地上の環境を再現した浮遊型シェルターだよ。下部は空気より軽いガスを詰めたフロートがあって、浮くことができる」
カメラが球体の下部に回り込む。柱のようなものが地上と球体を結び、その下には円形の島。廃墟となった六沙学園がある。
「直径にして14キロ。海すら内包した巨大な球体だ。人間はこれだけのものを作りあげた。正確にはAIに命じて設計から建設までやらせたらしいが」
これだけのものを作り上げた人間……。一見すると神様のように偉大で、完全無欠に思える。
「……でも、もういない」
私の言葉に、榊部長が口の端を釣り上げる。
「面白いな。なぜそう思う」
「「AIイラストレーションと法整備」です。必修になってるあの授業。私はずっと疑問があった。なぜパンドラ規範なんてものが生まれたのか、正確に言えば生まれたと教えられているのか。だってそんな規範が全世界で横並びに生まれると思えない。どこかの国がAIイラストレーションを禁止できても、別の国がその機に乗じてAIで利益を得るに決まっている。全世界で一律に禁止なんて出来るはずがない」
「そうですね、その通りです」
もう一人、スートが来る。
このユニット群に囲まれた空間でどこから現れるのか。【聖杯】のスート。生徒会長の酒舟粋。
「言問ひなたさん、ではなぜAIを禁忌と教えるのでしょうか? 学生の学びの妨げになるから? 若いうちは自分の手で創作すべきだと考えられたから?」
それは少し違う。あり得る可能性としては……。
「本当に世界が滅んでしまったから」
「言問ひなた。あなたは聡明ですね」
酒舟会長がほうと吐息を漏らす。黒騎士は空中にさらにいくつかの窓を生み出す。
それは混乱する世界の様子だ。前進する戦車の列。庁舎に殺到する暴徒。果てしなく広がる難民キャンプ。炎を噴き上げる高層ビル。それらを漠然と見上げて、酒舟会長が言う。
「2020年代。AIは飛躍的に進歩を遂げ、あらゆる創作活動、知的労働、人と人とのコミュニケーションまで担うようになりました。その後に何が起きたか想像できますか?」
それは予想できていた。この数日、考えに考え抜いた結論。
「……演算能力の独占」
ひゅう、と榊部長が口笛を吹く。
黒騎士が映像を切り替える。巨大なサーバーマシンが並ぶデータセンター、あるいは発電所の様子だ。
「その通りさ。AIがあらゆる知的労働を担うってことは、演算力を保有する者が何から何まで行えるということだ。大企業は下部組織からあらゆる業務を吸い上げ、また組織内で容赦ない人員削減を行った。個人が持つ特別な技術というものは産業構造から排除されたんだ。持てるものは演算力を独占し、持たざるものへの半導体の供給を絞っていった。究極的にはほんの数人の特権階級が、あらゆる物質と文化を独占する仕組みを作ろうとした」
それに反発した人々により、コンピュータは焼き払われ、液晶には水がかけられ、電力施設すら破壊された。そんな様子が窓に浮かぶ。
「ですが……AIはもはや人の力を超えていました。究極的な力を生み出していたのです」
酒舟会長が言う。それは以前、この廃墟の学園で見た力。私はひそやかに言う。
「無から物体を生み出す力……」
「そうです」
酒舟会長は手のひらを上にかざし、「桃」とつぶやく。
果たして、手の中に桃が生まれる。みずみずしくはち切れそうな、見るだけで口の中が甘くなるような桃。
「繁栄……。空気中に存在するナノサイズのロボット。呼びかけに応じて形をなし、鉱物から有機物まであらゆるものを作り上げる。目には見えないけれど、酸素のような濃度で地上を満たしている。常に自己を複製して枯れることはない」
握りつぶす。果汁が手の中から溢れるかに見えたけど、それは地上に落ちるまでに消えてしまう。
「この力を握った特権階級の数人は、他の人類をすべて滅ぼそうとした。ですが、この力は人間には扱えないものでした。爆弾を出した人物はその爆発による礫片を体にめり込ませて死に、無敵の戦闘機を生み出した人間は加速度の中で気絶し、地に堕ちた。力を使えた最後の一人は、すべての人間の死を願って全世界の大気を猛毒に変えた。偶然、地下施設などにいて生き延びた人間もいたけれど、もはや文明を維持できるほどの人数がいなかった」
絶望的な話だ。
あまりにも愚かしくて、救いがない。魔法を手に入れてしまった人間の末路か。
「残った人間はAIにすべてを託すしかなかった。この環境球体と、人間をクローニングして記憶を植え付けるシステムを作らせた。いつの日か人類を再生できるように」
私は最初、この地下の六沙学園はVRの世界かと思っていた。
いつの間にか五感を電脳世界に放り込まれて、部長と黒騎士が見せたような超常の戦いを体験しているのだと。
だが違った。何もかも本当に起きている。架空なのは過去の記憶だけだ。
「だから……私達には「動機」が植え付けられたんですね。優れた能力だけじゃない。部活バトルに挑むための動機が」
「そうです……よくそこまで辿り着きましたね。生徒会長としてたくさんの人を見てきましたが、そこまで考えられたのは貴方だけですよ」
すべて繋がった。
私は、黒騎士が中学時代の先輩だと思った。
海ちゃんは、黒騎士を自分のお姉さんだと思っていた。
それは、動機だから。
黒騎士の謎に迫ること。部活バトルに挑むこと。
「先輩」に、私の文章を読んでもらうこと。
それが私達に植え付けられた動機。
実際には海ちゃんにお姉さんなんかいない。
私に先輩なんかいない。私の中学時代なんて存在しない。
それは私という連続性の喪失。
私の抱いてた動機も執着も、すべて泡と消えた。残っているのはこの肉体だけ。
「あなたがた六沙学園の生徒は、いつの日か世界再生を司る鍵なのです」
黒騎士は言う。
「そのためにあらゆる人材を生み出した。頭のいい人、集中力のある人、絵画や音楽の才能がある人、強い意志や肉体を持つ人。その中の誰かが、いつか世界を再生すると信じて」
そこまでは黒騎士の意図の通り。
だけど。
「でもスートの四人は、それを引き受けていない。世界再生という役目を投げ出して、この学園での安寧を続けている。そうですね」
「当然だろう。あまりにも荷が重い」
榊部長が言う。
「この学園は平和であり、環境球体は数百年は持つ。そして世界は猛毒で覆われたとは言っても、とっくに毒は晴れ、植物や小動物はいくらか再生してきている。あとは成るように成ればいい。俺たちが積極的に関わる必要はない」
そうだろうか。そうは思わない。
この学園を卒業する人はどうなる?
おそらくは消えてしまう。何らかの理由でまた戻ってくる時には、肉体を再生させて記憶を植え付ける。たぶん時扇さんはそうなるはず。
大歓寺先輩の言っていたこと。
「没収」された人も死んではいない。データはストレージの中に残っている。没収とはつまり、この学園に存在する権利の没収……。
「ナノ粒子は」
沈黙の気配。
「言いましたよね。ナノ粒子は自らを複製して枯れることはない。永遠に存在し続ける。もし世界に新しい知性が生まれたら、いつかナノ粒子に干渉する。未発達な知性にこの力はあまりにも荷が重い、また同じことを繰り返す……」
「どうでもいいでしょう?」
すとん、と背後に降り立つ気配。
振り向けば細身の女性。頭に金の冠を乗せた女生徒。
「それより侵入者でしょう? とっとと金に変えればいい」
近づいてはこない。私が爆発物でも持ってる可能性がゼロじゃないからだ。
【金貨】のスート。創作舞踏部部長、乎曳神ティアラ。
彼女は他のスートとは違うようだ。明確に私を排除したがっている気配。その目はらんらんと光って、サディズムとも怒りともつかない剣呑な光をたたえる。
「提案があります」
私は言う。乎曳神部長はきょとんとした顔をする。
「提案? 聞く必要あるの?」
必要はないけど、聞くことになる。
この人は殺意を隠していない。私が武器を持ってないと分かれば、即座に全身を金に変えよとしている。
だけど分かっていない。
なぜ私と黒騎士と、スートたちがここで長々と話をしてたと思っているのか。
なぜスートたちは私に問いかけるような話し方ばかりしていたのか。私の答えに感嘆の気配を見せたのか。
考えが正しければ、針の穴を通すようなチャンスがある。
「乎曳神部長、私と部活バトルで戦ってください」
「あなたと?」
「知ってるはずです。今、上の方……環境球体ではみにのべ部と矢束部長が戦ってる。みにのべ部が勝てば10億円が手に入る。あなたとの挑戦権を得られるはず」
「まだ勝負は始まってないようね」
黒騎士にちらと視線を送る。黒騎士は窓を操り、部活バトルの様子を示す。先の2試合が終わり、いよいよ海ちゃんの試合だろうか。
「つまりまだ挑戦権はない。それに、金に変えられた者は勝負なんかできない」
ぱちり、と指を鳴らす。
その指先から放たれる輝き、極小の金箔のようなものが、私の方へ。
ざざ。
瞬間、地面から生えてくるのは笹だ。石の床を割って瞬時に伸びる。金箔に触れた笹は一瞬で金に変わる。
「ん……」
冠を乗せた幼い顔、その顔が誰かを探すように動く。
そして私と同時に見つける。部屋の端、金庫のようなユニットの前に立つ人物。詰襟の学生服を着て、ぼさぼさの髪が目にかかっている。
「誰……? いえ、そうか、あなたが【生命の樹】のスート」
乎曳神部長は指をカギ型に曲げ、指先を詰襟の人物に向けようとしたが、思いとどまったように手を下ろす。
「面白いじゃないか、勝負したらいい」
高くも低くもない平凡な声、あまり抑揚もない。
「なぜあなたが決める!」
「決めはしない。ただこの場で彼女を金にするのはフェアとは言えない。ここへの侵入は死刑に値する罪じゃない」
淡々と、新聞を読み上げるように話している。
だがどうやら思った通りの展開だ、私は矢を放つように言葉を飛ばす。
「乎曳神部長、分からないんですか」
「……?」
「あなたはとても強いんでしょうね。部活バトルでも全勝だと聞いてます。でもあなたは危険すぎる。いつ他のスートに牙を剝かないとも限らない」
そこで。
ようやく乎曳神部長は状況を悟りつつあるようだ。他のスートにはっと視線を向ける。そこにある顔は一種の冷淡さ。場の空気が氷のように凍てついている。
「私なら、もっとうまく座れますよ。スートの座に」
私の目的は、他のスートたちを味方につけること。
そのために念入りな推測と、理路整然とした話し方が必要だった。他のスートたちを感心させられるほどの言葉が。
「貴様ら……!」
「勝負すべきですね。【金貨】のスート」
酒舟会長が、冷ややかな響きを乗せて言う。
「ちょうど3人います。我々が審査を務めましょう」




