第二十八話
「AIイラストレーションの普及と進化、その最大の懸念であったのは審美眼への影響です」
ボックスの中の教師はそう語る。現れるのは無数のイラスト。だけどそれはどこか画一的に見える。
「AIイラストはどのような絵が「良い」ものなのかを数値的に判断します。これらの絵はイラスト投稿サイトなどに多数投稿され、そこで「良い」評価を受けたものをさらにビッグデータとして学習、評価を収斂させて行きました」
時間が少し進む。ポーズが多彩で背景も多彩、しかし何故だろう、どれも同じに見えてくる。あまりに多くのイラストを一気に見たせいかも知れない。
「いつの頃からか、極端にデータを外れた絵が生み出されにくくなりました。しかもそれはAIだけではなく、人間のイラストにも影響を与えたのです。デッサンが崩れた絵、色使いが現実とかけ離れた絵、体型を誇張した絵などは投稿されにくくなり、されたとしてもAIの普及前より評価が落ちるようになりました。人は画一的なものを「良し」とし、大きく外れたものへの評価が厳しくなっていったのです」
発展途上への不理解。規範意識の醸成。表現者と評価者の飽和。そんな言葉がタブレットに浮かぶ。
「本当に優れた価値を生み出せる者はごく一部であり、同じように審美の目を持つ人も一部なのです」
その言葉は合成音声ではあったけど、どこか生々しく響いた。
「全員が表現者の土台に上がることができても、審美者の土台に立てるわけではない。芸術はごく少数が導かねばならない。人類は多くの議論と葛藤の末に、その結論を獲得したのですね」
そしてパンドラ規範が生まれ、AIは創作の場から追放される。授業は前回と同じ場所に着地する。
「でも、先生」
私は無意識のうちに問うていた。
先生が黒い箱の中でこちらを向く。私は胸の奥につかえていた言葉を吐き出す。
「AIをうまく活用することも出来るはずです。イラストの練習に使ったり、作業を効率化することで作れる作品を増やすだけでなく、人間だけでは到達できなかった高みへ登れる可能性もあると思います。なぜ全面禁止なのでしょうか? パンドラ規範はあまりにも乱暴ではないでしょうか」
教室が静まる。
カーテンが揺れる音すら聞こえるほどの無音。
アバターである先生は何かのラグのように硬直して、そしてゆっくりと笑顔になる。
「先生もそう思います」
え、と意外そうな声がちらほら上がる。AIイラストがほぼ違法であり、それを教えるためのこの授業でそんな言葉が出るなんて。
「ですが、AIはあまりに強力な武器なのです。それは火薬や原子力の発明にも似ている。使いこなせば大きな力となるけれど、人類に破滅を……精神的な破滅を与えかねない力なのです」
合成音声と箱の中だけのアバター。
そんな先生の言葉に妙な湿度を感じる。それは誰の言葉なのだろう。どこか遠くでリモート授業をしている大人だろうか。
それとも。
……それとも?
「AIの力は誰かが持つべきなのかも知れない。しかしそれはほんの数人。優れた知性と人格を持ち、自分よりも大きな知性を使いこなす人々であるべき。世の人々は彼らを魔法使いと呼ぶことでしょう」
魔法使い。深淵に潜む人々……。
でも、彼らが優れた人格を持っているか、誰に判断できるというのだろう……。
※
「これで移動は完了です」
みにのべ部の部室にて。
海ちゃんと伊凍さんのタブレットを向かい合わせ、預金の移動を行う。何度も確認しながら慎重に。海外のいくつかの口座に分散されていたお金が、海ちゃんの名前で集まってくる。
「うわあああ、すごい額だよっ!」
海ちゃんは興奮しつつ何度もゼロを数えている。
「ヒトコトも数えて! 2億円だとあれだよねゼロが2億個ぐらい、いや違った10億いるんだから残り8億でつまり28億の」
「落ち着いて海ちゃん」
伊凍さんは制服姿で、なぜか気だるそうに頬杖をついている。そんな所作も上品さがあるけど。
「でもいいんですか。こんな大金を……」
「元々、自分のものにするつもりは無かったんです。部活バトルがギャンブルとはいっても、学生の身分で手に入れるには大金すぎますからね……」
伊凍さんの口座にはまだ1億ほど入っている。その数字を指で撫でる。
「億というお金……。人一人の人生を変えるには十分な額ですが、この六沙学園では少し軽すぎる気がするのです。それが居心地が悪い」
「居心地……?」
伊凍さんは少し考えてから、私達二人のどちらも見ずに言う。
「お二人はブラックジャックを知っていますか」
「ええと、少しなら」
「いちおう知ってるよー」
「配られたカードで21を作るゲーム。10とジャック、クイーン、キングはすべて10と数えます。確率的に、残りのデッキに10と絵札が多いほどプレイヤーに有利です」
「……?」
「カジノ側は、デッキから数札をごっそり抜くことがあります。それはすなわち接待ですね。プレイヤーが勝ちやすい状況を作ってわざと勝たせるわけです」
「にょむ……? それがどうしたの?」
「この学園にはそんな空気を感じます。つまり……場があまりにも豊かすぎる。デッキが真っ赤に燃え上がるような狂熱の時間……本来ありえないほどの資源の集中、そんなものを感じるのです」
不自然なほどの豊かさ。
確かにそれは感じる。この学園はあまりにも恵まれていて、充実していて、あらゆる設備と情報にアクセスできる。
それは人材もだ。誰もが優秀で努力家で、学生でありながら大金を稼ぐ人も少なくない。
まるでお菓子の国のよう。
とても豊かで楽しいけれど、よく考えると存在それ自体が不自然、そういう感覚だ。
「んんー。でもそれはそういう学園だからだよー。太平洋にこんな島を作るぐらいだもん。きっとすごいお金持ちが、高い理想を持って作ったんだよ」
「……そうですね」
伊凍さんはそうとだけ答えて、話はそこで切り上げる構えを見せた。
危うい夜道に踏み込んだけど、やはり進むことはできなくて引き返した、そんなためらいの気配を感じる。
「お二人は、【金貨】のスートに挑むのですか?」
「……ご存知なんですね」
【金貨】【剣】【聖杯】【生命の樹】
4つのスートの持ち主、深淵の魔法使い。
彼らは何らかの権利を握っていて、基本的には戦いたがらない。
しかし完全に部活バトルを拒否することもできない。だから条件をつけている。
そのうちの一人、【金貨】のスート。乎曳神ティアラ。
彼女へ挑む条件は10億円。そのために私と海ちゃんは走り回っている。
「ある人と部活バトルの約束を取り付けてます。こちらは2億円、向こうは8億円で受けてくれそうなんです」
「そう……大金ですね」
その条件を満たすために、部活バトルで大金を賭けなきゃいけない。そして勝たなければ。
「伊凍さんはご存知なんですか? 【金貨】のスートの戦い方」
「一度だけ見たことがあります」
「どんな戦い方なんですか?」
「言葉ではうまく言えない……というより、あれは誰にも真似できず、誰にも理解できない世界。なまじ知っていると逆に良くないかも……」
そんな戦い方が……。
でも、聞いておきたい。
ぶっつけ本番で戦えるほどの度胸はない。あの人は強いというだけじゃなくて底知れない恐ろしさがあるから。
「知っておきたいんです……。そうでないとあの人の恐ろしさに飲まれてしまう。話してください」
「……分かったわ、まず一言で言うならあの人の創造とは」
「舞踏言語、とでも言うべきもの」
※
私は逆立ちしてる。
春エリアで桜の舞い落ちる中。煉瓦の壁に踵をつけての三点倒立。もちろん下はジャージばきで。
しばらくそうしてから、部室の周りをうつむきながら何周も歩いたり、波をずっと見つめたり、ベンチに寝転がって雲を眺めたり。
「ねーヒトコト、どうしたの?」
海ちゃんが上から覗き込む。鼻が触れそうな距離だ。海ちゃんの目は大きくて丸い。好奇心旺盛な猫さんの目のよう。
「考えてたの」
分からないことはたくさんあって、考えることは無限にある。いつも霧の中にいて、探しものが何かも定かじゃない。それでも考え続ける。
「怪盗さんと勝負する件はどうなったの?」
「もう少し待って……あと何日か」
「うん、待つよ」
海ちゃんが私の鼻を指で撫でる。
「私にも出来ることある?」
「海ちゃんは部活バトルの練習をして。地下カジノで初心者同士での交流があるはず。海ちゃんだけの戦い方を見つけるの。部活バトルは経験や知識もあるけど、肝心なのはその人だけのセンスなんだよ」
「うん、わかった」
それからの数日、私は本を読んだ。
みにのべ部の部室にあった超短編の本。ショートショートの本。白釘部長の残した作品の山にも手を伸ばし、一日かけて崩す。授業も休んで寮にも戻らず、食事も保存食を数日ぶん持ち込んで読み続ける。
「読めば読むほど奥が深いのが超短編だルウ」
大歓寺先輩はおそばをたぐりつつ言う。
「そしてまだ若いジャンルなんだル。200字以下の短い小説は文学の体系として位置づけられたことがあまりなかった。その下は詩歌の扱いになって、小説としては分類が無かったんだル」
「はい、分かります」
「俳句や短歌は文化として認められてるのに悲しいことだル。短文型SNSの隆盛で注目もされたけど、文学的なうねりとまでは行かなかった。まだこれからのジャンルなんだル」
「そうですね、本当にそう思います」
120字というのは実はとても難しい分量だ。一瞬のきらめきのような叙情を描くには長すぎて、物語を描くには短すぎる。
だけど、それはまだジャンルが若いから。
いずれ成熟すれば、その長さに相応しい型が見えてくるだろうか。私にも見つけられるだろうか。
それは私の目的。心にある桜の風景を描くことに繋がるだろうか。
※
「作戦が決まったよ」
みにのべ部の洋館にて、私は隈の出来た顔で二人に告げる。
「作戦って、部活バトルの戦い方?」
「ううん、この学園の謎を解くの」
私はテーブルに紙を広げる。それは学園の地下空間の想像図。
「この学園の地下には何かがある。まず地下カジノがあって、そこからさらに下ると部活バトルの試合場があるの。電気トラムはスロープを下って行くこともできる」
「そうだね」
「そこから外に向かうと、廃墟になった町がある。あれが何なのか突き止めたいの」
あの空間は異様に広い。訪れたときはいつも暗かったけど、地下空間だからだろうか?
あの町は六沙学園とよく似ていた。だから学園の要になる場所……学生課とか学園のオフィスとかに行ってみたい。何か見つかるはず。
そこまで説明したところで、大歓寺先輩が割って入る。
「危険だル。あそこには黒騎士がいる。それにスートたちが力を使える。もし見つかったら今度こそただじゃ済まないル」
私は大歓寺先輩を見る。
(スートは……あの場所でだけ力を使える)
(白釘部長もそうだった。あの場所は部活バトルの映像とは違う、質量を持ってものを生み出せる……)
大歓寺先輩。この人も学園のことに精通してるみたいだけど、何をどこまで知ってるのだろう。
白釘部長はまだ生きてる、そう教えてくれたのは大歓寺先輩だ。だけどどうしてそう分かるの?
「先輩……先輩はいったい何者なんですか? もしかして元々スートの座にいた人ですか?」
「そうじゃないル。私は部活バトルはやったこともないル」
やったことがない……。
ではどうして内情に詳しいんだろう。白釘部長よりも詳しいような気さえする。
「今は教えてくれなくてもいいです。でも私は行動します。今しかチャンスはない。そんな気がするんです」
「ルー……」
「ヒトコト、チャンスってどういうこと? 何かあるの?」
「うん」
スートは地下の町に現れる。遭遇しないために取れる方法は二つ。
まず昼間、全員が地上にいることを確認してから行く方法。でもフリーカリキュラムの六沙学園で全員が授業を受けてる場面はそうないだろうし、動きを把握するのも容易じゃない。特に、どこの誰かも分からない【生命の樹】のスートは居場所が掴めない。
でも、スートの四人が集まる機会を作れるならどうだろうか。たとえば部活バトルを観戦してる時とか。
とても重要なカードが組まれる試合ならスートもきっと見に来る。【金貨】のスートへの挑戦者を決める戦いなら。
「え、それって……」
私はうなずいて、海ちゃんの手をぎゅっと握る。
「海ちゃん、私のかわりに戦って。その間に私は地下の町に行く」