第二十七話
同心円を描く三連ホイール。ダーツを受けてびたりと止まり、選ばれた三つは。
「材質:超硬物質」
「加工文明:遠未来文明」
「加工年月:100年」
この組み合わせ……。
遥か遠くの未来、SF的発想を仕掛けるつもりなの。
「ねねヒトコト、加工年月100年ってどゆこと? 100年かけて指輪作るの?」
「うーん……象牙細工とかだと親・子・孫の三代に渡って作られた品なんかもあるけど……」
でも遠未来なら加工機材もいろいろあるだろうし、どんな物質でも加工にそんな年月がかかるのはおかしい。
つまりこれは、結果を女神に委ねる戦略。女神のデータベースに該当する存在があるかどうかの勝負だ。
言ってみれば無茶ぶり。下手すれば出力されない可能性もある。果たしてホイールの出目は偶然なのか狙ったのか……。
女神は薄く目を開け、セコンドの私たちから見て右側のモニターに指輪が浮かぶ。
空気を固めたような透明なリング。
側面は膨らんでおり浮き輪のようなシルエット。そして内部には霧のような、ビー玉の内部の不純物のような微細な傷が見える。
「これは炭素分子を吹き付けて形成される超硬ガラスの指輪。その硬度はダイヤモンドを大きく超え、熱にも摩耗にも強い理想物体」
伊凍さんを取り巻くように字幕が浮かび、彼女は滔々とそれを読み上げる。
「フェムト秒パルスレーザーで刻まれるのは人の記憶。400エクサバイトという容量を持ち、人の人生を丸ごと記録し続ける指輪」
ガラスは理想的な記録媒体になると聞いたことがある。一度刻んでしまえば熱にも電磁波にも磁力にも強く、数千年も劣化せずにデータを保持し続けるのだとか。
カメラが指輪の内部に潜っていく。透明で美しいけれど、内部の僅かな傷を拡大させればそれは文字と数字の組み合わせ。いわゆるマシン語だ。何万字、いや、何億何兆あるのか見当もつかない。
「指輪の開発とデータの記録法、記録を再生するためのデバイスの設計図まですべて内包している完全無欠のデータ。この指輪ひとつあれば、数万年後に人類が滅び去ったあとでも持ち主の記録を完全に再現できる。エゴイズムかあるいは理想の未来か。これは魂そのものの具現化。人が手に入れた魂の永続を表す指輪なのです」
手番は終わる。雨が振るように自然で万遍ない拍手が降り注いだ。
恐るべきは女神の力だろうか。たった三つの要素からあれだけのものを……。
「さすがに強いよお……時扇さん勝てるかなあ」
「勝ち負けは問題じゃないよ。ある意味でこれは理想的なお題、打ち合わせどおりにできれば……」
「さて僕の番か」
時扇さんは前に歩み出て、女神に呼びかける。
「18金の指輪、伊凍さんの指に合うものを」
手の平に出現する。ここでは映像に過ぎないけれど、金無垢の指輪だ。
「愛の証に指輪を送る風習は古代ローマにまで遡るらしい。金の指輪を送るようになったのは2世紀ごろからだ。金は朽ちず錆びず、不滅の輝きを持つことから永遠の愛の象徴とされた」
伊凍さんの目を見て呼びかける。
「僕が創り出すのは祝福だ。女神よ。これ以上ないほどの祝いの祭りを、世界のすべてがこの愛を祝福するような絶景を」
周囲が光に包まれる。舞台が昼になったのだ。
上空を飛ぶのは七色の煙を吐くジェット機の編隊。あまりにも大量に飛んでいるために空がパステル画のように淡色に染まる。
その場は大型道路の上。二人を挟み込むように盛大なパレードが行き過ぎる。電飾で飾った車の列。ブラスバンドが音楽をかき鳴らし、サンバにフラメンコに、いろいろな衣装のダンサーたちが情熱的に踊る。
背景に生えてくる高層ビル。すべての窓から紙吹雪が舞う。風に吹かれて雲海のように流れる。
大型モニターが据えられたビルもある。世界の首脳陣が祝いのスピーチを述べている。子どもたちが集まってきて造花を投げる。
布で飾られた象が歩く。5メートルもの竹馬を履いた大道芸人が行く。複数の飛行船が窓から花火を撒き、膨大な量の風船がビルの谷間から噴き上がる――。
「伊凍さん、この指輪を」
私たちが時扇さんに出した指示は一つだけ。
お題が何であっても、それは伊凍さんへの贈り物として作るように、との指示だ。
物だけでなく舞台装置も含めての創造。女神なら規模だけは申し分ないものを作ってくれるはず。
二階席の観客すらもあっけに取られる眺め、もし予算をつけるなら一千億に届きそうな大騒ぎ。その中で指輪が静かに差し出される。
「今日で世界が終わるみたいな眺め」
伊凍さんが言う。
「でも受け取れない」
時扇さんの手を取り、そっと手を閉じさせる。
「採点の必要はないでしょう。勝負は私の勝ちですね。これでお別れです」
「ああ……そうだね、お別れだ」
時扇さんは振り向いて、私達の脇を通って去っていく。
浮かんでいた風景も消え、スポットライトも消え、左右に浮かぶモニターも消えて、この謎めいた空間はふいに漆黒の闇が降りる。
私達もその場を退出した。
※
場所は移って六沙学園の港。深夜も一時に迫っているが、港にはエンジン音を響かせる船が一隻。中型のクルーザーだ。
「ねえヒトコト、うまくいくかなあ」
「やるだけはやったよ……噂のことは学園に広まってたみたいだし、きっと伊凍さんの耳にも……」
私達は物陰からそれを見る。
やって来るのは時扇さん。スーツケースひとつに荷物をまとめ、制服も脱いでスラックスにワイシャツという姿。
「待ってください」
桟橋に向かわんとする彼を呼び止める声。ディーラーの衣装の上からカーディガンを羽織った伊凍さんだ。
「学園を去るのですか」
「もう学園には居られないんだ。それどころではなくなってしまった。学内のローカルラジオで流れていたニュースなんだが……」
「輸送船が氷山にぶつかり大破……人員は無事だったが、積み荷はほぼ全損、でしたね」
それは今朝から学園に流れている噂。
イギリス沖、北海にて起きた海難事故だ。まだ詳細は伝えられていないが、それなりの大事故であるという噂。
そして船の保険引き受けを担っていたのが、時扇さんの会社だという噂だ。
「概算だが40億以上の損失らしい。再保険には入っているが大変な損害だ。僕は日本に戻って会社を建て直さないといけない。いや、正確に言うなら倒産の処理をせねばならないんだ」
「……」
暗がりでよく見えないが、伊凍さんは腕を組んでじっくりと構えるように見える。相手の言葉を見極めようとしているのか。
「ではなぜ、最後に私と勝負したのです。対戦料の1000万は無駄にできないはず」
「あれは美人コンテスト部の予算だ。この学園で僕が稼いだお金。それを学園から持ち出すべきではないと考えた。美人コンテストという事業にしては不自然なほど稼げてしまったからね。あまり真っ当な商売という気もしなかった」
長い沈黙。クルーザーが波に揺られる音だけが響く。
「……あなたは優秀な人です。学生の身で会社を興して、美人コンテストでも収益を上げている。余人にできることではありません」
「ありがとう」
「でも好きにはなれない。私にとって恋は人生の目標ではないから。あなたは保険屋で私はカジノの経営を目指している。パートナーとしてもそぐわない。なぜ私でなければいけないのです。外見だけの問題なのですか」
時扇さんは言葉を受けて、問いかける意志を受け止め、飲み下すような沈黙のあとで告げる。
「僕はすべての人間が好きなんだ。僕の世界を広げてくれるから」
「……」
「そして自分から遠い人ほど好きになる。僕にないものを持っているから」
「よく言われる話です。一般論に過ぎません……」
時扇さんは背後を向いて、波の打ち寄せる夜の海を見る。
「恋とはこの海のようだ。大きくて豊かで、ときに不安で、それでも船を漕ぎ出そうとする。僕たちは恋から生まれて、恋へと帰っていく……」
「……」
その言葉だけを置いて、時扇さんは立ち去ろうとする。
「私、豪華客船でのカジノにも興味あるんです」
さらに数歩、桟橋を歩こうとして。
「個人での所有は可能でしょうか……」
時扇さんは振り向いて、目を丸くする。
「し、新造船がいいのかな、中古ならツテがなくもないけど」
「じっくり検討しないといけませんね……なるべく早く、学園に戻ってきてくださいね」
「あ、ああ、きっと」
時扇さんは短く何度かうなずき、クルーザーに乗って海の果てに去っていった。
「……そこのお二人さん」
あ、やっぱりバレてた。私と海ちゃんは物陰から出る。
「意外でした、ほんとに交際をオーケーするなんて」
「ひょっ!? 今のオッケーだったの!?」
「オーケーですよ」
伊凍さんは少し動作が緩やかに見えた。それは言ってみれば風邪の状態に近く、億劫そうにゆっくり動くのに似ていた。頬が赤く見えた。
「今日は時扇さんの意外な一面が見れました。軽薄な方と思ってましたけど、詩情もあるのですね。お付き合いするとなかなか面白いかも知れません」
伊凍さんは耳にかかった髪をかきあげ、とても長い息をつく。
「あなたたちでしょう? 時扇さんが保険引き受けになってる船が沈んだだなんて、悪質なデマを」
「うわっ、バレてた!」
海ちゃんがのけぞる。
「私が調べないと思うんですか。そんな事件はまったく報道されていない。いくら遠い英国沖でのことでも、貨物船が沈没となれば世界のどこかのニュースサイトにあるはずです。発信源が学内のローカルラジオからというのもおかしい」
そう、そのニュースはフェイクだ。
海ちゃんの努力でラジオ部の協力を得て流したニュース。同時に会社からの連絡を装って時扇さんのタブレットに電話もかけた。
あらかじめ会社の人の声を調べ、海ちゃんが声帯模写でその人になりきる。
緊急事態であること、盗聴を防ぐために普段の回線とは違うところから電話してること、これ以上の情報は電話では話せないこと、至急会社に戻ってほしいことを伝えたのだ。
「会社が潰れて財産を失うとなれば、私が同情するとでも?」
「そうです……でも狙い通りには行きませんでした」
「当然ですよ。時扇さんはまだ若いのですし、能力のある方ですからね、一度や二度の挫折など何ほどでもない」
伊凍さんはどこか満足そうな足取りで、ゆっくりとその場で半回転すると、もと来た道を戻ろうとする。
結果としてはうまく行った。
伊凍さんを騙せないのは分かっていた。本当に騙したかったのは時扇さんただ一人。
六沙学園の学生という立場を失い。
会社を失い、美人コンテスト部で築いた財産も失い、伊凍さんをも失う。すべて失って最後に残るもの、それはその人の人生観。
生身の時扇さんは優秀で人への好意にあふれてる、だからきっと人の心を打つヒトコトが……。
……ざっくりした作戦だけど、まあ結果オーライってことにしよう。
事故のニュースがフェイクと気づいた時扇さんは戻ってくるだろうけど、どうやって成功報酬を得るか……うまく交渉しないと。
でもさすがにそんな何千万も要求できないし……。
――不自然なほど稼げてしまった。
……?
何だろう、その言葉がなぜか引っかかってる。
特に何の意図も狙いも感じない。深く考えるほど意味深ではないはず。
気になるけど思考の取っ掛かりが見つからない。そもそも何を考えるのかな。時扇さんのこと? 伊凍さんのこと? それとも学園の……。
「あのー、お願いがあるんですけど」
あれ、海ちゃんが伊凍さんを呼び止めてる。
「何ですか」
「二億円ください」
流れる沈黙。
ちゃぷちゃぷと打ち寄せる波。
「いいですよ」
驚きで顎が外れるかと思った。




