第二十四話
私達は時扇先輩の案内でハイレート階へ。入場料がかかるのだけど、時扇先輩は常連客とのことで顔パスだった。ついでに私達も。
「この階のルーレット台はミニマムベットが一万チケットなんだよ! 実にハイソな場だと思わないかね」
確かに内装が明らかに違う。上の階は雑居ビルを改造した感じだったけど、ここはまるで大富豪の別荘のよう。
壁はシックな黒板張りでカーペットは分厚くてフカフカ。古びたジュークボックスとか大きめの水槽もあってカウンターバーもある。バニーさんのヒールも2センチ高い。
さすがに深夜の3時ともなればお客さんは少ないけど、ルーレット台は数人のギャラリーに囲まれていた。熱い勝負が行われているようだ。
「23、レッド、奇数、中、おめでとうございます」
当選したお客さんにチップを差し出し、外れた分は回収する。
(男の人……?)
一瞬そう思ったのは所作の大きさのためだ、広々としたルーレット台に腕を伸ばし、レーキ(チップを回収する棒)が素早く正確に動かされる。
よく見れば間違いなく女性だ。鷹のように鋭い眼光と撫でつけた黒髪、胸はふくよかで腰のくびれも深く、きっと暴力的なまでのプロポーションだと思うけど、それを丁寧な縫製のドレスシャツとズボンでエレガントなラインに変えている。
ひと目見て分かった。この人にはスキがない。
だけど愛想も忘れない。私を見てにこりと笑いかける。
「やあ伊凍くん! 夜のまどろみの中で君への思いは深まるばかりだよ。このような時間になってもいてもたまらず来てしまった!」
「お賭けになりますか」
ルーレット台にいた二人のお客さんは、頃合いと見たのか席を立つ。
だけど帰るわけじゃなくてギャラリーに混ざって興味深そうな笑顔になった。どうも時扇先輩と伊凍さんのやりとりはいい見世物らしい。
ルーレット台の十字のレバーに手をかけ、勢いよく回す。そして外周のレールに弾をはじき入れる。動作は連続性を持っている。
「まもなく締切時刻です」
「フフ、それじゃ赤に50万」
いきなりすごい額だ。時扇先輩は束ねられた食券を差し出し、伊凍先輩がそれを回収。マグカップに一杯ほどのチップがどんと置かれる。
「見たまえ、実に完璧な美しさだろう? 彼女はここ4ヶ月ほど美人コンテストの首位を独占してるんだよ」
「はあ」
「うーん、18、31、19に1万ずつだル」
大歓寺先輩も参加。ルーレット盤の隣り合う3つの数字に賭けるやり方だ。けっこう慣れてる。
「18、ブラック、偶数、中、おめでとうございます」
先輩が36倍の大当たり。3万賭けてたから33万のプラスだ。強いなあ。
「フフ、ねえ伊凍くん、ここにいる大歓寺くんもかつてはコンテストの優勝経験者なんだよ」
「そうなのですね」
特に抑揚もなく答える。
「大歓寺くん、僕の彼女の美しさはどうだい。彼女と戦ってみたくなっただろう?」
「え、別に……?」
どうも各人の目的がすれ違い続けてる。夜の遊戯場なんてそんなものかも知れない。
だけど私はそうも言ってられない。勝負の場を作るなら今しかない。
「時扇先輩、こちらの伊凍さんに交際をかけて勝負を申し込んでるんですよね?」
「その通りだよ。部活バトルで自分に勝った相手としか付き合わないとの事でね」
「じゃあ私が代わりに戦います。その代わり成功報酬で1000万いただけますか」
「君がかい?」
手っ取り早く稼ぐならこれしかない。それに伊凍先輩はかなりの実力者のようだ。ぜひ手合わせしてみたいし。
「だめです」
だが、その伊凍先輩にきっぱり断られる。
「どうしてですか?」
「私なりのルールです。人間の身柄を賭ける場合。当事者同士が戦うべきと考えます。部員の移籍などを賭ける場合は部長が代理で戦うこともあるようですが、こと私のことですからね、代理は認められません」
なるほど正論だ。この人は技術や容姿に優れるだけでなく、確固たる信念を持っている。
……うがったことを言えば、挑戦権の1000万をえんえん絞り続けたいって計算もあるのかも。
「フフ、可愛らしいお嬢さん。お気遣いありがとう。でも大丈夫だよ。次の戦いでは僕が勝利する。そして彼女のハートを射止めてみせるから」
話しながらもルーレットの勝負は続いている。時扇さん、もう200万ぐらい負けてません……?
さて、ではどうしよう。
考えどころだ。どうやれば私はこの人たちの勝負に食い込めるだろう。お金払いの良さそうなのはやっぱり時扇先輩だし、そちらに与する方向で……。
「時扇さん、勘違いしてますよ」
大まかな指針を決めてから、言葉を体内で巡らせる。渋滞しないよう冷静に、時扇さんの反応をゆっくり待ちつつ言葉を探す。
「おや、勘違いというと?」
「伊凍さんは部活バトルで勝てば「交際する」と言ってるんでしょう? デートしたり食事したり、それはハートを射止めたとは言いません。やるからには伊凍さんを惚れさせないと駄目なんです」
私はちらとディーラーを見る。美しいけど氷のように凍てついた笑顔。それが私に向けられる。
「惚れる惚れないというのは私の内面の問題です。残念ながら賭けの対象にはできませんね」
「部活バトルは心技体の結晶です。その人の人格とか経験とかが大きく反映される。部活バトルを通して対戦相手に好意を持つ、それはあり得ることと思います」
「一般論としてはそうですが……」
よし話せている、渋滞してない、さっきの練習試合で緊張がほぐれたかも知れない。
「私が時扇さんをコーチします」
「えっ、僕をかい?」
「はい、そして部活バトルで伊凍さんを振り向かせてみせます。それは単に交際するよりずっと価値のあることです」
「私が……」
氷のようなディーラーは、初めて声に感情のようなものを浮かべる。
「時扇さんに惚れる……と」
「はい、きっとそうなります」
「ふ……」
皮肉げな笑い。氷の仮面の奥に人間としての強さ、滾るような情熱が垣間見える。
「36、ブラック」
おもむろにルーレット盤を回し、ボールをレールに押し当てる。
弾く。火花が散るような錯覚。通常よりも遥かに強い。ルーレットの外周を弾丸のように走る。
ルーレット台のディーラーは、狙った目に自由にボールを落とせるという伝説がある。
でも実際にはそこまで正確ではなく、時計で言うなら1時に落とすか6時に落とすかという程度の精度らしい。超一流のディーラーならば隣り合う3つの数字の範囲で狙えるとか。
でもそれは、ルーティンのように何千回と同じ投球をしてきたからできる技。今のように通常より遥かに強く投げて狙えるはずがない。
可能だとすれば、ルーレット台の外周を回るうちに何周目で減衰するか、どのあたりで内側に落ちていくか、そしてその落ちる先にいくつの目が来るか、どのぐらい転がるかを完璧に読み切って……。
からん、と落ちるのは黒い小部屋。
「黒の36……」
観客がつぶやく。
この台にいるのはカジノの上級者。全員が察したのだ。今のが常軌を逸した神業であることを。
「面白いですね。ぜひお受けしたいです」
「時扇さん、やリましょう。みにのべ部がお手伝いします」
「う、うん、君がそこまで言うなら信じてみるよ。コーチを受けてみようじゃないか」
「ありがとう、それでですね、成功報酬は……」
「ああいいとも、もし彼女のハートを掴めるなら、一億でも二億でも」
背後でギャラリーがざわめきだす。
「これは面白くなってきたな……おい、試合の日が決まったら教えてくれ」
「まさか……伊凍さまがあの白タキシードを? ありえませんわ」
「こうしちゃいられん。噂好きの連中に教えに行かないと」
にわかにフロアは喧騒の渦。もう朝も近いというのに、遊び人たちはまだまだ盛り上がれそうな雰囲気だった。
「大歓寺先輩。私達は引き上げましょう。明日に備えて早く休まないと」
「わ、わかったル」
私は先輩を立たせて腕を引く。仮眠室で海ちゃんを回収していかないと。
「……ヒトコト、いちおう聞いておくけど、さっきのあれって」
私は先輩のほうを振り向いて、口元に人差し指を当てた。
「そうなんです……ノープランなんですよね」
※
「無理だよー」
みにのべ部の部室。テーブルに突っ伏すのは海ちゃんだ。
「美人コンテスト部の部長さんって言ったら軽薄で有名な人だよー、学園中で美人に声かけまくってる人なんだよー」
海ちゃんからカメラのデータを見せてもらう。なるほど時扇先輩だ、学園の色んな場所で後ろの方に見切れてる。 今どきバラを一輪差し出してナンパする人っているんだ。
「お金持ちだからデートに付き合う子はいるけどお、地下カジノ部の部長さんってすごくクールな人なんでしょー、無理だよお」
地下カジノ部というのは正式には存在しない部らしい。もはやこの学園のその手の話には驚かないけど。
「うーんちょっと待ってね、その人の評判を集めてみるよ」
海ちゃんは自分のタブレットを指でいじる。
「地下カジノのこと分かるの?」
「昨日会った人とアドレス交換したでしょ。その人たちにカジノ関連の掲示板を教えてもらったの。この学園の掲示板って閉鎖性が強いんだよね。招待されないと見られないのが多くて」
私のタブレットが点灯する。海ちゃんが画面の同期を取っているのだ。目まぐるしい速さで掲示板がスクロールして、必要な情報がピックアップされる。
・地下カジノ部部長の伊凍冴は完全無欠の女帝である。
・ルーレット台において無敵の強さを誇り、還元率2.7%といわれるフレンチルーレットで15%以上の還元率を誇る。
・将来は国内のIR(統合型リゾート)において自分のカジノを持つことが目標。
・男性遍歴は不明。交際するには部活バトルでの勝利という条件を明言している。挑戦権は1000万円。
とてつもない値段だ。払う人がいるならどうこう言うことじゃないけど、色々な意味で学生の枠を超えている。
「還元率15%以上……」
ルーレット台は、1から36までのマスの他に0と書かれた緑のマスがある。
数字にピタリと当たった場合は36倍、しかしマスの数は37個なので少しだけカジノ側に有利になっている、これが還元率だ。フランス式は1つ、アメリカ式は0と00の2つがある。フランス式のほうがお客に有利なわけだ。
基本的にはディーラーがボールを投げ入れてからベットするため、ほぼ確率通りの還元率が発生する。
しかし、凄腕のディーラーは相手がどこのマスに賭けるかを読み、外してくる。15%というのはこれもまた常識では考えられない数字だ。
「つまり……伊凍先輩は読みがするどい……? どんな戦い方なんだろう」
「行動あるのみだル」
大歓寺先輩が言う。
「行動と思考、いかなる課題もその繰り返しで乗り越えるんだル」
「はい」
先輩はいつも力強く励ましてくれる。
夜更かしのし過ぎでソファにぐったりしてなければ、もう少しカッコよかったけど。
※
「彼女の戦い方か、それはもう美しいものだよ」
六沙学園の港が見下ろせる展望タワー。その上にあるカフェテラスで時扇先輩と会う。海ちゃんはメニューを熟読している。
「そのしなやかな腕を振り、魅惑的に腰をひねって女神と踊り……」
「そういうのいいですから」
「先輩! このショコラケーキをホールで頼んでいいですかっ!」
「ああいいとも、僕の恋を手伝ってくれるキューピッドたちだからね」
先輩はカプチーノをくゆらせてにっこりと笑う。
お金遣いは荒いけど、あまり嫌味がましくはない。基本的にはいい人なのかなあ。
「ヒトコトは何ホールいっとく?」
「そんな節分の豆みたいなノリで言われても」
それはともかく、改めて問う。
「今までの戦い方を知りたいんです。伊凍先輩はどんな戦い方をするんですか?」
「ああ、戦い方か、美しさに目が潰れそうになってしまうが、彼女はそれはそれは独創的な戦士でもあるんだよ」
独創的……。
「彼女はね、偶然の輪の使い手なんだよ」




