第二話
「んー? 入部希望かいね」
「そうでーす!」
「ちょ、ちょっと待って、私は」
「ふざけるな!」
かき混ぜられる空気の中で怒号が響く。
男子の集団から出てくるのは頭を見事に剃り上げて、ビキニパンツ一枚の上から灰色のパーカーを羽織っただけの人だ。かなりの筋肉質だけどお肌がツヤツヤなのでちょっと後じさる。
「御国海! お前の持っているカメラを渡せ! それは部の備品だ!」
「違いますよーだ。このカメラは私の私物でーす」
「む、そうか。だがカメラはそうでも中のデータは部活の一環として撮影したもののはずだ! 我がAS部に所有権がある!」
AS部、という言葉が何なのか考えてみる。
たぶんアーティスティックスイミング部だ、昔はシンクロナイズドスイミングと呼ばれていた競技。
「もう部は移籍しましたもん。撮影データはみにのべ部の備品になりましたのです」
ん、とそこで疑問符が浮かぶ。
「ね、ねえ、部を移籍してもデータはAS部のものじゃないの?」
「そんなことないよう。例えばね、漫研の人が油彩画部とかに移籍するとするでしょ?」
「? うん」
「自分の描いた作品とか持って行きたいこともあるけど、その原稿用紙は部の備品だから返せって言われると困るでしょ。だから部員が移籍するときは、その人が使ってた道具とか、作った作品とかも移動すると考えるんだよ。この場合はカメラのメモリーも移動するの。これは私が撮影した情報だから私に帰属するの」
「え……そ、そうなのかな」
何となく分かるけど、妙なルールだなあ。
まるで、そんな妙な移籍が割とひんぱんに起きてるような……。
「あ、そ、そのことと私は関係ないでしょ」
今さらながら抗議する。
「ヒトコトは部活決まってないんでしょ? ここに決めちゃいなよ」
「こんな聞いたこともない部に入れないよ、なんかゴミ屋敷みたいだし……」
肝心な時にフリーズしてしまう私だけど、普段はこうやって普通に話せる。ここ一番で必ず固まる癖がなければ平和なのになあ。
「それに暗いよ……電気どこ」
「んー、電気か、スイッチは部屋の隅やけん……」
と、ロングスカートの女子、たぶん先輩だと思うけど、起きしなのせいか反応がにぶい。服の上から肩のあたりをぼりぼり掻いて。
「む、ちょっとみんな静かにしとって」
私達に手のひらを向ける。
私と海と、男子の集団もしばし硬直。
そしてロングスカートの女子は、滔々と語りだす。
暗闇の中、男たちは戦い続ける。それはまさに死闘。
一人また一人と倒れていく。誰の姿も見えず、ただ目の前の敵に立ち向かうのみ。
普段の大会とはまるで違う、危険な空気。
暗闇での大食い大会は不思議な迫力があったが、選手からは不評であった。(114文字)
言い終えて。
皆の沈黙の中、私の方を向く。
「どうかいね」
「何がですか……?」
ロングスカートの女子は少し眉根を寄せて、キリンみたいな動きで回転してから今度は男子たちに問いかける。
「今のどう?」
「ど、どうと言われても」
「一億点満点で言うと?」
「おこがましい……」
何だか妙な空気になったけど、とりあえず私のことを解決させないと。
「海さん、私はこんなよく知らない部活は」
「海ちゃんでいいよ。でもさヒトコト、ここは入っといた方が良いよ。この男子たち気が立ってるから、何されるか分かんないよ」
「そ、そんなことあるわけ……」
「体験入部だとか言って無理やり連れ去って、あとはきっちりカタにはめるアレだよ、色々な何かでどうにかこうにか」
「雑に脅されてる……」
その海は、男子たちが手を出せないのを見て堂々と胸を張る。
「さあさあ出ていって! ここはみなの……じゃなくてみにのべ部の部室なんだよ!」
「ぐ……」
「あー、ちょっと待ってくれんね」
長身の女子は何となく九州の雰囲気がある言葉遣いで、気だるそうに言う。
「入部したいってことやけど、私はまだ認めとらんけん」
「えっ!?」
海が強風に吹かれるような体勢で硬直。AS部の男子たちは色めき立つ。
と、海はいきなり地面に伏した。
「お願いですううううぅ! 入部させてくださあああぁぁい! 何でもしますからあああぁぁ!」
初手土下座。その勢いだけは褒めてあげたい。
AS部の代表はやや声を高くして言う。
「あなたはこの部の部長か」
「そーよ。白釘ケイって言うとよ」
「その生徒は我が部で盗撮行為を行っていた。どうせ新聞部かどこかのスパイに決まっている。この部に入部させたら多大なる迷惑をかけるのが目に見えているぞ。我々が責任を持って引き取ろう」
「でたらめですううう! あれは盗撮じゃなくて正当な部活動ですううう!」
海は部長さんの足に取りすがっている。海は小柄なせいか、おもちゃをねだる子供に見えた。
「あんたは? そういえば名前をまだ聞いてなかけど」
部長さんは私を見る。
私は……。
「一年の言問ひなたです……。あの、みにのべ部って、もしかして今みたいな短編小説を作る部ですか?」
「そーよ。ミニノベル、マイクロノベル、超短編、掌編小説、千字小説。いろんな言い方があって、文字数の規定もまちまちやけど、うちはおおよそ120字前後でやっとるとよ」
120字……。
「……短編小説だって原稿用紙4、5枚はあるのが普通です。120字でどんなことを表現するんですか?」
「何でもよ」
海は先輩の足元で何かをわめき続け、男子たちは何やら声高に叫んでいる。
その中にあって、私は部長さんの動きに目が引きつけられる。
緩やかに腕を広げ、陽の光を浴びるかのように大きく構える。その一秒ほどの仕草の間、周囲から音が引いていくような。
「季節の移ろい、燃えるような恋、大いなる時の流れ、120字あれば、どんなもんでも表現できるとよ」
――描写がくどすぎるのよ
――こんなに言葉を重ねる必要はない
「……そんなわけない」
静かな声だった。自分ではない誰かが喉の奥にいるような。
言葉が喉に詰まる。
一度に百のことを言おうとして、一つか二つしか出てこれない。いつものような言葉の渋滞。私は拳を握って言葉を絞ろうとする。
「できる、わけ……」
「うん?」
できるわけない。言葉を削ぎ落としていく芸術もあるけど、長編には長編にしかできないことがある。私はそう信じます。
長編でなくては、百万の言葉を尽くさなければ、言えないことが、表現できないことがあって。私にとって言葉を尽くすことが何より大切なことで。
そう言いたいのに。出てきた言葉は不完全なヒトコトだけ。
「長編……でしか……」
「……ほう?」
白釘先輩は腰に手を当て、なぜか満足げに微笑む。にかっと口の端を釣り上げる笑いだ。
「よかよ、二人の入部を認めるばい」
「なんだと!」
ざわめくのはAS部の人たちだ。
「分かっているのか! これは犯罪行為を見逃すこと! 盗撮犯の隠匿だぞ!」
「ほんとに犯罪行為やったら」
にたり、と湿っぽい笑いを貼り付ける白釘先輩。海の中にある学園だからか、長い髪は潮風に吹かれて波打ってるけど、重たげでボリュームがある。それを片手でかき上げると、眠たげな気配が吹き飛んで目に光が宿る。
「外の警察に訴えたらよかろうもん。どうもAS部の内々(うちうち)だけで収めようとしとるのが気になるとよね。その写真て、いったい何が写っとうとね」
「……この部には関係ない」
今のは私にもわかった。男子たちがさっと表情を引っ込めたのだ。ポーカーフェイスというやつだろうか。
「とりあえず体験入部にするけど、二人はもううちの部員ばい。無関係の方は帰ってくれんね」
「まだだ!」
剃り頭の先輩は食い下がる。集まっている他の男子たちも引く気配がない。そこまでこだわるって、いったい何が写ってるんだろう。
「AS部部長、赤鉄鏡介! 部員の移籍をかけての部活バトルを申し込む! そこの御国海を賭けろ!」
「ほっほう」
ぐい、と白釘先輩が伸びをして、赤鉄先輩にのしかかるように動く。気だるく立っていたので気づかなかったが、白釘先輩は最初の印象よりもさらに長身だ。たぶん180を超えている。
その顔には一種獰猛な笑いが貼り付いていた。不健康そうな青白い顔なのに目がぎらぎらと光っている。まるで、予定していた何かがガッチリとハマったときの恍惚みたいな。
「よかよ、うちの部が勝ったら何を差し出す」
「Aランク食券20枚でどうだ」
私は学園の食券システムを思い出そうとする。
食堂は現金での食事もできるが、基本的には食券が配給される。
Aランクは月に2枚、Bランクは20枚、残りはすべてCランクで、その月の日数によって変わる。一ヶ月が30日の月なら68枚だ。
目安としてCランクは500円以内、Bランクは1200円以内、Aランクは上限なしとなっている。学園内にたくさんある食事処では、Aランク食券用のスペシャルメニューが用意されているらしい。
「それでええよ」
「部長! ちょっと待って!」
海がまた足元にすがりつく。
「なんかよく分かんないけど勝負なんかやめて! Aランク食券なら私のあげるから! 今月のはもう使っちゃったから来月に!」
「部員一人ならAランク食券20枚は相場たい。それに部員トレードは部長に受けるかどうかの権限がある。諦めんね」
「部活バトル……?」
私が呟くのを受けて、赤鉄部長は説明の責任を感じたのか口を開く。
「我が六沙学園で行われている闇のバトルだ! 部費の融通、練習場の使用権、他にも色々なものを賭けて勝負が行われる」
「え、それって……」
そう呟くのは海。がばと立ち上がって赤鉄部長に詰め寄る。
「C-DUELのことですか!? 先輩そんなの知らないって言ってたじゃないですか!」
「新入生が知るのはもっと部に馴染んでからだ。御国海、お前はいったいどこでそのことを……」
そこで口をつぐむ気配がある。
見れば他の部員もだ。みな言葉少なに部室を出ていく。何だろう、秘密めかした雰囲気だ。
白釘部長が話をまとめるように、というより打ち切るように言う。
「勝負は受けるばい。それじゃ、今夜0時に」
「せいぜい首を洗っておけ」
AS部の人たちが帰って、ゴミ屋敷は急に広く感じる。あとけっこう匂いがきついのにも気づく。
何か重大なことが一気に決まってしまったような。すでに膝上まで水につかったような気分。
もしかして今、何かやばいことが進行しているのだろうか。急に不安になってきた。
「あの……その部活バトルって」
「来れば分かるとよ。あと部活バトルのことは他言無用、教職員にも絶対に秘密やけんね、話すと制裁があるから気いつけるとよ」
制裁。
まるで昔の、石鹸にロゴが描いてあった映画みたいな話だ。いったい何が行われるんだろう。
私はおずおずと手を上げて、どうにかヒトコトを絞り出した。
「……欠席で」
「だめ。夜中に迎えが行くはずやけん、制服でおるように」
やばい。
ぜったいやばい。