第十九話
※
大歓寺先輩から合格をもらったその足で、私たち三人は夏エリアへと向かう。
到着する頃には日が落ちていたが、さらに喫茶店でしばらく時間を潰す。
むわっと襲い来る熱波。スプリンクラーが暑いコンクリートに水をまき、何かの施設の片隅で向日葵がひしめくそんな場所。圧縮された季節感。抑圧された四季の移ろい。そんなものを眺めてオレンジジュースを一口。
「投射体の場所が分かったル?」
「はい」
まだ推測ではあるけど、私と海ちゃんで何度も検討し合った答えだ。
私たちはプラネタリウム部の近くまで来る。時刻は夜の10時過ぎ、部室に明かりはついてない、私たちはUFOが逃げていった方向に歩く。
「まず怪盗がどこに消えたかをお話しします」
私は先輩にタブレットを見せる。表示されるのは学園の詳細な地図データ。
そこに怪盗が乗っていたUFOの航跡が表示される。やや蛇行しながら春エリアへ向かい、いくつか大きな建物に差し掛かったあたりで消えた。
「このあたりには第二講義棟、古物展示棟、映像技術課の建物なんかがあります。その中で一番高いここ、第6集合ビルの屋上が怪盗のアジトだと思います」
「ふむふむ、なぜそんな場所に逃げたル?」
「あの怪盗はUFOに乗って現れましたけど、ずっと音は静かでした。大型のドローンとかではないと思います」
海ちゃんはそのUFOの姿をイラストで用意していた。底面に七色の発光箇所のある円盤。すごく古典的なUFOだが、これがどのような乗り物だとしても、冷静に考えてこんなに発光させる意味はない。
「たぶん、さらに上空にある乗り物から吊り下げていたんです」
UFOの発光は目くらまし。かなり高い位置にあるおそらくは飛行船か何かから吊り下げた乗り物が本体。光の柱の中を降りてくるのも単にハーネスをつけて吊り下げてるだけだ。ロープはスポットライトから微妙に外した位置にあったか、あるいは光に溶けて見えにくくなる素材だろうか。
もちろんこんなことは一人ではやれない。何人もの優秀な協力者がいないと。
そうなるとあの奇抜な格好も視線誘導かなと思える。己の白い肌を強調させ、背中のロープを隠す手口だ。
「追いかけてる途中でUFOは消えたそうです。それは単にUFO部分のライトを消して、遥か上空に逃げただけ。おそらくその周辺の建物の屋上に隠れたんです」
となれば、消えた周辺の一番高い建物ということになる。それが第6集合ビルだ。いろいろな部やら施設やらが入った雑居ビル。隠れるには丁度よさそうだった。
「ふむ、だいたい私の想像してた通りだル」
「えー先輩ほんとー?」
本当でもそうじゃなくてもいい。大歓寺先輩は私達にもっと考えろと指示を出して、私たちは答えらしきものを見つけられた。それで十分。
「でもまだ謎が残ってるル。そもそも怪盗はどうやって盗んだル?」
それは実際のところ、あまり重要じゃない気もする。
私達の指摘したビルを調べてみて、屋上に怪盗のアジトがあるならそれで解決だ。私たちは海ちゃんを先頭にビルへ。
「開けるよー」
海ちゃんはチューインガムのようなものを出す。
それは海ちゃんのタブレットと無線接続されていて、自由に形状を変えられる電気仕掛けの粘土だ。これだとピッキングの難しいディンプルキーや棒キーも複製できる。
子どものおもちゃなんだけど、カギの複製はできないようにプロテクトがかかってるはず。海ちゃんが解除したらしい。なんだか海ちゃんって意外なことできるよね……。
「あ、やっぱりドアセキュリティが常にセーフになってる。熱感知もビジー状態になってて信号が送れてないっぽい」
「どういうこと?」
「一見セキュリティが効いてるようで、実は中で何やっても分からない状態になってるの。家にお父さんがいるけど、わんこそばの真っ最中で泥棒に気づかないみたいな」
「よくわかんない」
「入ってみよ」
建物は8階建てだった。エレベーターで最上階へ。
そして分かった、人の気配がする。天井を通して真上からだ。工具の音、コンプレッサーの音、音楽まで流してる。
「人がいるみたい……どうしよう、怪盗の仲間なら危ないんじゃ」
「んー、ちょっと待ってね」
海ちゃんは窓枠にひょいと飛び乗って、廊下の壁の出っ張った部分を掴んで天井までよじ登る。そして背中のリュックからコンクリートマイクを出してぺたり。
「男の人が三人。みんな小柄で体重も軽い、格闘技もやってないしほとんど走ったりもしてなさそう。これなら私一人で何とかするよー」
「言問さん、海ちゃんって何者なんだル?」
「え、さあ……?」
カメラが好きなのは知ってたけど、他にもいろいろ出来るみたいだ。お姉さんを探しに六沙学園に来たのだし、それなりに鍛えたり勉強したりしてたんだろうか? なんだかそんなレベルでもない気がするけど。
海ちゃんは靴を脱ぎ落とし、足の指で器用に窓を開けると、爬虫類のようにするすると外に出てしまう。
え、ちょっと待って、あまりに早かったので止めるのが遅れたけど、ここって地上8階。
そして真上から男子の悲鳴。手際が良すぎて突っ込みが追いつかない。
※
「戻ったわよ」
その人物は、次に盗むものの下見をしてきたらしい。下見なのにあの奇抜な服装をしており、黒マントをばさりと背中側に跳ね上げる。肌色の面積が多すぎるんだけど度胸あるなあ……。
「誰もいないの?」
そこは屋上に組まれたドック。
木の壁とトタンの屋根ながら、広さはちょっとした体育館ほどもある。内部にはたくさんの工具と資材と、空気の抜かれた飛行船が安置されていた。
ここは怪盗のアジトだ。飛行船とUFOがあり、ドローンを機能停止できる電磁波発生器もある。
そしてあちこちの部から盗んできた絵画、ドレス、焼き物、木工品に銅像、最後にチタン製の球体。そんなものが雑然と散らばっていた。
「そこまでだル!」
がらがら、とシャッターが勢いよく閉まる。高さ3メートルのシャッターだが、ドックの屋根にいた海ちゃんが、シャッターに手をかけたまま飛び降りたのだ。
「なっ……!? 誰!」
三段に積まれた木箱の上にて、布を取り払って現れるのは大歓寺先輩。綿あめのように膨らんだ髪と制服を飾る缶バッヂ。ノリを効かせたスカートはブリキの板のような硬い質感。
大胆に出した足をだんと鳴らし、怪盗に指を突きつける。
「お天道様が許しても! みにのべ部だけは許さない! この大歓寺パルルのお縄につくんだル!」
「くっ……みにのべ部、どうやってここを」
「それと後ろにいる人、あなたも出てきてくださいね……」
私が木箱の裏側から呼びかける。大歓寺先輩は木箱を一段ずつゆっくり降りていた。
「……なぜ分かったんだ」
別に推理じゃない。海ちゃんが制圧した人たちから聞き出しただけだ。多分いるとは思ってたけど。
出てきたのはやや長身の上級生。理知的で優しそうな目をしていて、私達みたいな闖入者にも誠実に接してくれた人。
プラネタリウム部の部長、空木先輩だ。彼は憮然とした顔で私達を睥睨する。
「うわホントに空木部長だよー。なんで怪盗に協力なんかー」
あの投射体を盗むために手駒にしたのか、手駒にできたからお宝を狙ったのか、それはどちらでもいい。
説明の義務という言葉がそのへんの床に突き刺さってたけど、私はとても面倒だった。
もう盗んだものも返ってくるだろうし、手段なんかどうでもいいではないか。どうせ益体もない話にしかならない、裏切った人の自分語りなんか聞きたくもない。
でもやはり、誰かが説明しなきゃいけないんだろう。
「あの投射体を盗み出したのは空木部長です。他にも何人か協力者がいたかも知れないけど、あのとき、怪盗の合図でプラネタリウム部周辺の電気を落とした」
「……停電にはなったね」
「そして部長は投射体を台座から外し、素早く外に出て、怪盗の仲間にそれを手渡した。あらかじめ片目を閉じるとかして闇に目を慣らしていたかもしれません」
「待ってくれ、あの投射体はそもそも正面入り口から出せないはずだ。もちろん潰したりもできない。3ミリといえばけっこうな厚みだからね。どうやって持ち出したか説明できるっていうのか」
……それが何だと言うのだろう?
あなたが怪盗の仲間である時点で容疑はほぼ確定しているのに。
「……投射体が2つあったとしたらどうでしょう」
「えっ」
と驚くのは大歓寺先輩。しまらないなあ。
「私も少し調べました。投射体は光を通さない金属製が望ましく、なるべく大きなものほど映りがよくなる。だけどレーザー工作の精度が高ければその限りではない。あの出入り口を通れる程度の、直径1.2メートルでも問題はないんですよ」
あの夜、深夜の上映会、使われていた投射体はいつもより小さなものだった。
だから空木部長はそれを外に出すことができた。もちろんスムーズに台座から外して運ぶ練習が必要だ。
「馬鹿な! 他の部員だっていたんだぞ! 投射体が小さくなっていたら気づくはずだ!」
「だから上映会が必要だったんです。プラネタリウム部の上映会は普段はガラガラらしいですね。それが怪盗騒ぎのせいで野次馬的なお客さんが入っていた」
「それが何だと……」
「いつもより少しだけ椅子を密集させて並べる。お客さんを多めに入れる。普段より小さくて高めの台座を使う。そして、それでも騙せないかも知れない古参の部員さんには、資材搬入口を見張ってもらう。投射体の本体には布をかぶせて、他の部員を遠ざけてたかも知れませんね」
「ちっ……」
舌打ちを漏らすのは怪盗。
これはそれなりに丁寧な仕事だ。色々なことに無駄がない。
大旦であり繊細、これがマジックショーなら拍手してあげたい。
……冷静に考えると、わざわざショーアップして盗んだと演出するのは意味がわからないけど。
「や、矢束さん」
どん。
怪盗が思いきり足を踏む。高めのヒールで空木部長の足の甲を打ち抜いたのだ。空木部長は声も出せぬ悶絶とともにくずおれる。
「使えない子……飛行船のネジぐらい締めさせてあげようと思ってたのに」
怪盗は閉まったままのシャッターをちらりと見て、ドック内に視線を走らせる。ここで働いてた生徒を探してるなら無駄だ。縛り上げて下階に降ろしたから。
「……ま、いいわ。そろそろ引っ越したいと思ってたところよ。負け犬の匂いが染み付いたドックとはおさらばしましょう」
「へへん! 逃げられないよ! もうビルへの入り口は封鎖してるもんね」
海ちゃんが鍵を回しながら言う。
「ライオンのオリに閉じ込められるってイリュージョン、知ってる?」
「ほへ?」
「布をかぶせてワン・ツー・スリー、マジシャンは檻の外に脱出している。古典的なマジックだけど、一流マジシャンは必ず2つの脱出法を用意する。私は」
そして高い位置で指を弾く。
「5つはあるのよ!」
大型のドックが分解される。
映画のセットのように、四方の壁が外向きに倒れる。倒れた壁はけたたましく鳴り、がらがらと何かがビルの壁面を落下していく。
「う……こんな仕掛けを」
「驚くのはこれからよ!」
爆発音。
しぼんでいた飛行船が急速に膨らむ。それは浮上してくるクジラのような、あるいは見上げるほどに大きくなる妖怪のような勢い。あっという間に浮力を得て、そして怪盗はその上に躍り上がる。
「う、嘘……こんな速度で、まさか、エアバッグみたいに火薬を使って空気を送るシステムがあるの……?」
「逃がさないよっ!」
海ちゃんが飛行船の横腹を駆け上る。すでに飛行船はマグロのように膨れている。
信じられない。この飛行船は40メートル以上ある。かろうじて浮力を得られる程度とはいえ、わずか30秒足らずで膨らませるなんて。
「ヒトコト! 捕まって!」
ぽん、と私の目の前に垂らされるロープ。先端が輪になっていて、あまりにも良い位置に来たのでとっさに輪の中に腕を入れてしまう。え、ちょっと待っ。
そして私の悲鳴を飲み込んで。
飛行船はぐわりとのけぞり空に旅立つ。