第十八話
「うーにー、難しいよお」
お寿司のネタみたいな溜め息を漏らして、海ちゃんがソファに寝そべる。
「こんなの答えなんかないよお、一枚の絵に50年もかける人なんているわけないよー」
「そうだねえ……」
「あ、そういう拷問とかかな」
「何を白状させる気なの」
私はというと部室の掃き掃除をしている。春エリアでは一年中桜が咲いて、そして散っているために換気をするとすぐ花びらが入ってくるのだ。
あの桜はワニの歯みたいに散ったそばから咲くらしい。少し不気味だなとも思う。
あれから二日。私たちは大歓寺先輩からの課題について考えつつ、プラネタリウム部の事件を調べていた。
最大の疑問は、怪盗はどうやって投射体を盗んだか。
あの夜、プラネタリウム部は深夜の上映会をしていた。お客さんは20人あまり。
事件のあと、その全員は簡単な身体検査を受けて寮に帰った。もちろん、あの投射体を隠し持てるはずがない。
投射体は厚さ3ミリのチタン製。ピンホールを作るので少し肉厚になってる。
小さな穴を空けて、内部の光源を細い光の筋にして投射するのだ。一つ一つの穴はトンネルのように細長いのだという。
「あれって風船みたいな形なんですよね……。分解して小さくできませんか?」
「簡単にはできないよ。それに、一度分解すると元通りに溶接できない。接合部にもたくさん穴があるからね、プラネタリウムとしては使いものにならなくなる」
空木部長はというと、すでに黒い厚紙を使って簡単なプラネタリウムを作っていた。しばらくはこれで上映会をやるという。部員さんもそれに合わせてアナウンスの台本を書き直している。
ほんとに立派な人たちだ。もう気持ちを切り替えようとしている。何だか私達の調査が余計なお世話にも思えてくる。
「仮に分解するとしたら……」
「そうだなあ……高出力のレーザーで焼き切るか、特殊なカッターで切るか……十数秒じゃとても無理だし、音も光もかなり出るよ」
ううん……。
部室内が暗転していたのはほんの十数秒、仮に真っ暗であっても、そんな短時間に出入りしたならドタバタとした気配がありそうなものだ。
資材搬入口も調べたけれど、南京錠も鎖もとても短時間では外せない。
一番ありえそうなのは、投射体はそもそも盗まれていない。あの建物のどこかに隠してあり、後日ゆっくりと盗むという可能性。
怪盗……豊穣の魔術師は建物に入っておらず、部員の誰かが裏切って投射体を隠した……。
でもあんなに大きなもの、隠せるものだろうか。そんなに大きな建物ではないし、天井も壁も念入りすぎるほど調べたはずだ。
やっぱり、本当に魔法……。
ふるふると頭を振る。
すぐ魔法に飛びついてしまうのはよくないけれど、どうしてもそれ以外に思いつかない。
そして舞台は部室に戻る。
私たちは掃除を終えて、洋館の一室で額を突き合わせていた。
この課題が終われば事件の糸口も掴めると言われてた、大歓寺先輩からの課題に取り組む。
「うーん、こういうのどうかなあ」
海ちゃんがタブレットを見せる。
「なあ、なぜあの一枚に50年もかけたんだ?」
男は答えて、こう言った。
「描きあげるまで待つって、死神が言ったもんでな」
老人は138歳であった。
「あ、いいと思う」
「やった」
「でも『こう言った。』までで102文字だから、これだと120字を大きく超えちゃうね」
「うにゅにゅ……このオチだと短くしにくいよお……漢文調にしようかな。我描了迄待 云死神」
「オチで急に暗号になるの?」
一つの絵に50年をかけてた男が、臨終の際に残した言葉……。
そんな話を読んだことがある。指輪物語で有名なトールキンが著した短編で、「ニグルの木の葉」という寓話のような小説だ。
木の葉を描くのが得意だったニグルという絵かきは、ずっと一つの絵に取り組んでいた。早くこの絵を完成させて「旅に出なければいけない」のに、描き足していくうちにカンパスはどんどん大きくなる。
そしてニグルは人からの頼みを断れなかった。面倒なことでも無茶なことでも渋々引き受けて、そして絵は進まず、やがて謎の人物たちにより「もう旅に出なければいけない」と車に押し込まれてしまう。まだ絵は完成していないのに。
この小説は色々な解釈ができるけど、旅に出るとは死の暗示とも言えるだろうか。誰しも人生でやりたいこと、やるべきことがあるのに、雑事にとらわれて、あるいは細かい部分にこだわりすぎて全く進まない。いつかは「旅に出なければいけない」のに。
果たして絵は完成したのだろうか。
もし完成していたなら、それだけで老人は満足したかもしれない。
「なあ、なぜあの一枚に50年もかけたんだ?」
男は答えて、こう言った。
「なぜかって? 絵が完成したなら、理由なんかどうでもいいさ」
……うーん、なんか違う。
これは解釈の放棄だ。何となく老人の人生の深みを匂わせるだけで説明になってない。この答えなら友人が問いかけ、老人が答えるくだりが丸ごといらない。これが課題である以上は、何かしら納得感のあるヒトコトが必要だと思う。
じゃあ、こんな感じ……。
「なあ、なぜあの一枚に50年もかけたんだ?」
男は答えて、こう言った。
「完成しないものこそ価値がある……。わしの人生はもうじき完成するがね……」
……なんか小難しいこと言ってるだけかな……。
未完成とか不完全の美というのは確かにあるけど、普通にたくさん絵を描いて、最後の一枚が未完でも同じことだし、説得力に欠ける気がする。
この絵は人生そのもので……。
そう、つまり、人生を絵に投影してたとしたら……。
「なあ、なぜあの一枚に50年もかけたんだ?」
男は答えて、こう言った。
「幸せそうな家族の絵だろう? 俺の本当の人生は「あっち」にあるんだよ……」
怖っ。
怖い怖い、ホラーになっちゃった。なんか成立してる気もするけどこれは出したくない。自分の願望を投影するってだけなら別に1枚じゃなくて連作でたくさん描けばいい気もするし。
「うーん、ヒトコトー、先輩にヒントもらいにいこうよーもう私なんにも出てこないよー」
「そうだね……先輩もう来てるかな?」
ホールへと移動すると先輩がいた、ソファーに座りつつあんみつ団子を食べている。
「あ、いーなー、先輩、私にもちょーだい」
「どうぞだル。言問さんもどうだル?」
「はい、いただきます。それとヒトコトでいいですよ。その名前のほうがしっくり来るので……」
先輩は和菓子の箱をいくつか持参していた。羊羹におせんべい、よもぎ団子に甘納豆。積み上げるとタンスぐらいの量がある。
「え、これもAランク食券で買えるんですか?」
「そうだル。秋エリアのほうには大きなショッピングエリアがあって何でも買えるんだルウ。部活から出店してるお店が人気で、これは創作和菓子部の新作だルウ」
それは半透明のビー玉のような葛団子。串はアクリル製で半透明、不思議なことに刺してあるはずの串が見えない。屈折率の関係で串が消えてるのだ。そのためビー玉が宙に浮いたように見える。
先輩の脇には竹製の串入れ、すでに占い師みたいになってる。
「Aランク食券は月に2枚でしょう?」
「白釘部長が稼いだのが山ほどあるんだルウ。食べきれないからって私も百枚ぐらい貰ってたル」
どうりで先輩が太ってるはずだ。先輩のお腹はぽんとせり出していて、なぜか海ちゃんがそのお腹を撫でている。
「それで? 課題が難しいのかル?」
「そうなんですよー、もー朝から晩まで考えてるのにぜんぜん浮ばないんですー、あっこの薄皮のまんじゅう美味しい」
「私は……いくつか出来たんですけど、まだ満足できるものがなくて」
「二人とも甘いル!」
ぴし、と竹製の楊枝で私を示す。そして円形の水ようかんに中心線を引き、2回に分けてぱくり。
「超短編だからってすぐできると思ったら大間違いだル! アイデアとは考えた時間に比例する。徹底的に考えるのが大事なんだル!」
「そんなあ、私もヒトコトも考えてますよう」
「私たちは普段、一つのことを長時間考え続けるということをあまりやらないル。現代はメディアが多くて気が散るし、深刻な問題なら誰かに相談するからだル」
「ほえ?」
「二人は星新一氏を知ってるル? 生涯で千以上の短編を残したショートショートの神様だルウ。超短編においても参考にするべき格言が数多くある人だル」
「なんか名前は聞いたことあるような……ヒトコトは?」
「私、読書は長編専門だからあんまり……あ、でも教科書にいくつか乗ってましたね、それは読みました」
先輩は竹の楊枝を振りながら、自分の指揮を取るように歯切れ良い口調で言う。
「星新一氏は一つのアイデアを出すために8時間も書斎にこもることもあったんだル。そんな創作の苦しみを語った一節がこれだル」
『メモの山をひっかきまわし、腕組みして歩きまわり、溜息をつき、無為に過ぎてゆく時間を気にし、焼き直しの誘惑と戦い、思いつきをいくつかメモし、そのいずれにも不満を感じ、コーヒーを飲み、自己の才能がつきたらしいと絶望し、目薬をさし、石けんで手を洗い、またメモを読みかえす。
けっして気力をゆるめてはならない。』
(星新一「きまぐれ星のメモ」より)
「ひええ、なんかすごいよー」
「アイデアはふとした瞬間に浮かぶこともあって、それも生かすべきだけど、長時間考え続けるというのも大事なんだルウ」
ひょいぱく、とプチシューを口に運ぶ先輩。
「考えて考えて考え抜く、この課題はそれを教えてくれるんだル」
「なるほど!」
と、海ちゃんは両の拳を握る。
「わかりました先輩! 私まだぜんぜん考えてなかったよ! もっと頑張ってみます!」
「その意気だル!」
考える……。
考えて考えて考え抜く。
「ヒトコト、これは私が白釘先輩から出された課題だル」
「え……」
「答えは外だけじゃなくて、自分の中にもある。ひたすらに考える。その姿勢が大事だと教えてくれたんだル」
部長が……。
部長は課題を通して大歓寺先輩に示唆を与えて、そして今は私にも語りかけるのだろうか。
もっと考えるべきだと、とことんまで突き詰めるべきだと。
その日から、私はずっと考えた。
課題のことも、怪盗の事件のことも。行き詰まったら甘いものを食べて、歩き回って、また最初から。
一つの答えが見えても、妥協せず次の答えを探す。体操をする、お風呂に入る、逆立ちをする、料理をする、本を読む、海ちゃんのカメラで桜を撮る。
海ちゃんもまた、歩いて、泳いで、頭を抱えて、部室にあった短編集を読んで、飛び込んで、流れに逆らって、渦の中で回転して、ボートに激突して、また考える。
そうやって、ずっとずっと考え続けて。
そして、海ちゃんがまず提出する。
ある男は絵を描いていた。とても美しい絵だったが、50年もの間、一枚だけに取り組んでいたのだ。
男が臨終の床にあるとき、友人の一人が尋ねた。
「なあ、なぜあの一枚に50年もかけたんだ?」
男は答えて、こう言った。
「あれは絵じゃない、積み上げた札束だよ」
(122文字)
そして私。
ある男は絵を描いていた。とても美しい絵だったが、50年もの間、一枚だけに取り組んでいたのだ。
男が臨終の床にあるとき、友人の一人が尋ねた。
「なあ、なぜあの一枚に50年もかけたんだ?」
男は答えて、こう言った。
「娘が笑うと一筆を加える、そういう絵だからさ」
(125文字)
「二人とも、合格だルウ」
私と海ちゃんははにかんで笑い、飛び上がってハイタッチを交わした。