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第十七話



「うふふ、かわいいお嬢さんたち、真夜中のいけないお散歩かしら」

「……」


その人の唇はルビーのように赤く、艷やかな髪は大きく波打っている。妖艶な眼差しに魅惑的な低音を潜ませる声。確かに日本人離れした肢体だ。豊穣の魔術師という名も何となく分かる。


「現れたル!」


大歓寺先輩が私達の前に立つ。


「プラネタリウムは奪わせないル! おとなしくお縄につくル!」

「パルル……」


……ん? いまのって大歓寺先輩の名前? ほとんど聞こえなかったけど。

怪盗は一瞬だけ表情を固くしたけど、すぐ目元の力を抜いて、余裕たっぷりのなまめかしい仕草に戻る。

海ちゃんはずっと撮影している。ズームの倍率が変わってるのかレンズが出たり入ったりしてる。


「あらあ、これはこれは太ましいナイトですこと。蝶に噛みつこうと跳ねるイノシシのよう」


腕を組み、その豊穣そのものの胸を乗せて長い息を吐く。


その周囲にドローンが集まってきた。三機の高機動型のドローンだ。


「フン」


指を鳴らす。赤いマニキュアが目立つ長い指。するとドローンのプロペラがぴたりと止まり、瞬時に重力に引かれて落下。


「……妨害電波? 何かの装備を持ってるの?」

「私は深淵の魔法使い、脆弱な機械の虫などものの数ではないのよ」


……! その言葉!


「深淵の魔法使い! あなたがそうなの!?」

「あらお嬢ちゃん、興味がおありかしら?」


蠱惑的な、あるいは獣のような笑みを貼り付けて言う。


「部活バトルの中枢にいる存在……あのシステムを支配しているって!」

「その通り……私は【金貨】のスートを得ているの」


金貨……スート?


「タロットカードにおける大アルカナの1番、【魔術師】のことだル」


先輩が呟く。


「【魔術師】の暗示は豊富な知識、創造性、ものごとの始まり、ゼロをイチ・・・・・にできる力・・・・・

「……」

「魔術師のカードには机が描かれ、四つのものが乗ってるんだル。それはすなわち【金貨】【剣】【生命の樹】【聖杯】」


それは……そうだった、スートというのはトランプにおける四つのマークのこと。金貨がダイヤ、剣はスペード、生命の樹はクラブ、そして聖杯がハートを意味してる。小アルカナ56枚はそれぞれ14枚ずつのスートに分かれる。


つまり深淵の魔法使いは四人、あの怪盗がその一人だって言うの……?


堕落の香コラプトパフューム


ばさり、とマントの裾を握りしめて振る。その生白い足が見え隠れして。


そしてすべての光が消える。


「!」


街灯も、建物の窓から漏れる明かりも、上空の円盤の光すら消える。

どこからか聞こえていたプラネタリウムのアナウンスまで消えて、建物から短い悲鳴が上がった。


「この周辺だけ電気が止まってる……ど、どうやって……」

「二人とも、気をつけるんだル」


消えていたのは十数秒ほど。やがて街灯の光が戻る。植え込みの中の植栽灯も。自販機の低い唸りも。


「偽りの星を秘めし、夜を彩る宝玉、確かにいただいたわ」

「!!」


そんな、魔術師が両手で抱えるあの球体は。


上空からの光。円盤の中央からまたもや光の柱が降りて魔術師を引き上げる。そして円盤それ自体もゆっくりと遠ざかっていく。


「あ、待つんだル!」

「ヒトコト! 私は円盤を追っかけるよ!」


海ちゃんが一気に加速。カンガルーのように水平方向へ跳ねるような走りだ。あっという間に姿が見えなくなる。その後を大歓寺先輩も追いかけていった。


「……ほ、本当に盗まれたのか確認しないと」


私は建物の中へ。内部はまだ混乱している。

円形に並べられたパイプ椅子と、20人あまりのお客と、大声で言葉を交わしてる部員さんたち。


そして場の中央にあるはずの、プラネタリウム投射装置は。


台座だけを残し、ものの見事に消えていた。





「うきゅー……とても追いつけなかったよー」


海ちゃんは全身から湯気を上げながら戻ってきた。私の差し出したジュースをごくごくと飲む。


「春エリアと夏エリアの境目ぐらいで消えちゃったよお」

「あの円盤って何なんだろう……気球? ドローン? 海ちゃん、追いかけてるときエンジンの音とか聞こえた?」

「うーん、あんまり聞こえなかった。すごく静かに飛んでたなあ、風に乗ってるみたいな感じ」


大きさは目算だと直径20メートルほどだった。少なくとも人間一人を乗せて飛べる乗り物だ。深夜とは言ってもそんなものを学園のどこに隠すんだろう……?


「だめだ、どこにもない」


プラネタリウム部の空木先輩が言う。

すでに時刻は深夜1時だ。お客さんは帰されて、部員さんはこの建物のトイレとか物置とかブレーカーボックスとか、とにかく開けられる場所はすべて開けて投射体を探していた。


「しょうがない、今日はここまでだ。部員はいったん帰らせる……。君たちも帰りなさい」


そう私たちに告げる。部の宝が盗まれたというのに冷静だ、意志の強い人なのだろうか。


「……あの、本当に盗まれたんですよね」

「そういうことになるな」


……でも、どうやって。


出入り口は私達が見ていたし、資材搬入口は完全に封鎖されていた。


そもそもあの投射体は大きすぎて、私達が見張っていた出入り口は通らない。


それに、怪盗が何らかの手段で明かりを落としたのはほんの十数秒だし……。


「やっぱり魔法使いなんだよ!」


海ちゃんが言う。海ちゃんのカメラは今はプラネタリウム部の部員さんたちが確認している。さっきから30分ぐらいずっと背面液晶を見てるけど、なんでだろう。


「あの円盤! あの格好! あのプロポーション! 魔法使いってほんとにいたんだよ!」

「体型は関係ないと思うけど……」


……分からない。本当に魔法だとも思えてきた。


黒騎士のこともあるし、この世には超常的な力というのがあるのかも知れない。


深淵の魔法使い……最初から、私たちなんかが太刀打ちできる相手じゃなかった……。


「ま……魔法使いなんかいるわけないル」


と、そこへ大歓寺先輩が戻ってくる。


先輩は全身汗だくだった。大改造してる制服が湯葉みたいになってる。


「うわ先輩、大丈夫? 途中ではぐれたけどどこまで追いかけたの?」

「いや……そこの……ガラス工房のとこまで行って……気持ち悪くなって……休んでたル……」


その工房は来るときに見ていた、この建物からは300メートルぐらいだろうか。


空木部長が心配そうに口を開く。


「その様子じゃ帰れないな。送迎用のトラムを呼ぶから待っててくれ、他の部員も乗せよう」

「す、すいませんル……」


空木部長は最後にもう一度建物の中を探して、部員にも簡単な身体検査をしていた。そして帰宅の準備をする。


「あの、プラネタリウムの機械が無くなって、これから……」

「うん? 別にまた作ればいいさ。最初はダンボールにキリで穴を開けたやつから始まったんだ。今度はもっと精度のいいやつを作るよ」


立派な人だ。あの投射体には思い入れがありそうだったのに。


「大丈夫だルウ」


まだ息を乱していた大歓寺先輩が、男子三人に支えられて立ち上がる。


「投射体は必ず取り返して見せますル。安心してほしいル」

「気持ちは嬉しいが……」

「先輩。あれマジモンの魔法使いだよー、下手に手を出したらカエルにされちゃうよー」

「魔法使いなんて絵本の中の話だル」

「んじゃ宇宙人とか」

「もっとありえないル!」


先輩はようやく呼吸が整ってきたのか、厚い胸をふうと押さえてから言う。


「よろしい、それではみにのべ部の一年生二人に私から課題を出すル」

「ええっ!? 課題って超短編のですかっ!?」


海ちゃんは身構えて、空木部長はよく分からないという様子で腕を組んで。

プラネタリウム部の部員さんたちはまだずっとカメラに夢中で、建物の外にトラムの止まる気配があって。


そして大歓寺先輩は、歌うように言う。




ある男は絵を描いていた。とても美しい絵だったが、50年もの間、一枚だけに取り組んでいたのだ。


男が臨終の床にあるとき、友人の一人が尋ねた。


「なあ、なぜあの一枚に50年もかけたんだ?」


男は答えて、こう言った。




「はい、ここまでで102文字。この続きを書くんだル」

「ええっ!? そ、そんなの分からないよう」


それは……小説を完成させる課題。

でも一枚の絵に50年も……それにどんな理由が……どこかにヒントがあるの?


「この課題が解けたとき、怪盗の正体にも近づくはずだル」


先輩はそう言って、そして皆がトラムに乗り込み、寮が近い人は歩きで帰る。

夜は解散へと向かう。まだ雑然とした熱気を残したままで。





「AIイラストレーションにおける問題点の一つに、学習元の不明瞭さがあります」


黒い箱の中で、トレンチコートに革ブーツという姿の先生が語る。


「ある創作ソフトは学習素材として50億枚以上の写真やイラストを取り込んでいました。そのような数になれば知名度のあるイラストレーターや写真家などの作品はほぼ確実に取り込んでいると思われます。しかし企業側は、製品となった段階で内部には版権データはないとして、学習元の公開を拒否しました」


タブレットが黒板と連動し、企業のロゴマークや当時の新聞記事などが次々と表示される。


「イラスト創作ソフトはコラージュではなく、イラストをデータとして学習することで線や色を変数として捉え、総合的な数値を自動生成するものとの主張がなされました。しかし学習元素材が存在しなければ作れなかったデータであり、無償で取り込める範囲はどこまでかが議論となりました」


それは人間の活動にも似ている。

人間はたくさんの絵を学習して新しいものを出力する。見てきた絵が反映されてはいるが、全く新しいものだ。


ではそれを機械に当てはめてもいいのか。ここでアクロバティックな、あるいはエレガンテな理論が展開された。


学習とは人間を基準とした概念であり、機械であっても同じ過程を踏むべきという考え方だ。


誰かが指名される。


「はい、トライミラー裁判です」

「よろしい、そのような裁判は数年の間に200件以上起き、その全てで企業側に不利な判決が下りました」


イラストを学習するならば、人間と同じように学ぶべき。

画集を購入し、漫画や写真集、イラストレーションの本に対価を払い、ネットから取り込むならばページビューに相当する広告料を支払うべき。


この理屈はすなわち、記憶回路は別の記・・・憶回路・・・から・・学習できない。

つまり、複数の端末で知識を共有させることができない、ということを意味する。


事実上、AIイラストレーションの商業化は完全に頓挫した。


そして世界にはパンドラ規範が生まれ、AIイラストソフトは様々な、ほとんど活動不可能な制約を受けることになり、世はすべてこともなく――。


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