第十四話
黒騎士にはおよそ表情というものがない。
その顔は喜怒哀楽が遠く、ただ底知れない重々しい意志だけがある。ロボットに感じるような不気味さが。
「私に用でもあるとね」
白釘部長が、私をかばうように前に出る。
「お前は一年前の部活バトルにおいて敗北し、部活バトル禁止の約束を交わした。だが本日のバトルにおいて言問ひなたに協力した疑いが濃厚である」
「とんだ言いがかりたい。私はその場で思いついた超短編を見せただけとよ」
「あのメモには正面衝突を戯画化するような小説が書かれていた。字森匡の創作が陰惨な要素を含んでいることを指摘し、それを払拭した作品を作れという指示と考えられる」
「あまりにも迂遠ばい。それで私を糾弾できると思うとうとね」
黒騎士は少し静止する。
表情がないながらに、その内部で言葉をこねるような時間。
海ちゃんはといえば泣き出しそうな顔になっている。叫んではいないけれど、その眼が必死に訴えている。お姉ちゃん、こっちを向いてと。
「白釘ケイ。そもそも一年生二人を受け入れたことが不可解。御国海はアーティスティック・スイミング部とのいざこざがあって逃げていただけ。言問ひなたはそれに巻きこまれていただけである」
「みにのべ部には部員を勧誘する権利もなかとね?」
「部活バトル禁止の約定は、お前が部活バトルそのものに深入りしようとしたため交わされたものである。拡大解釈すれば部活バトルへ接触することも、部活バトルへの挑戦者を育成することも約束に触れかねない」
「それはあんた自身の勝手な解釈」
語気を強め、指をカギ型に曲げて構える部長。
「あまりにも恣意的な解釈が過ぎるばい。まるで、どうしても私を部活バトルから遠ざけたいかのよう」
「私は部活バトルの守護者であり、己の意志は持たない」
「そう、あんたは部活バトルというシステムに隷属しているだけ。そしてシステムは中枢にいる何人かの魔法使いたちが支配している。つまり私を遠ざけたいのは、私を恐れているのは……」
「白釘ケイ」
肌が。
何だろうこの感覚。静電気? 電磁波? 肌が乾くようなひりつくような。
「これ以上の問答は許可されない。没収する」
そして違和感がある。海だ。
海がざわめいている。あきらかに自然の波ではない同心円の波紋が見える。
明かりがつく。すべての建物の窓から光が漏れている。
ここは、六沙学園なの?
居並ぶビルはどれも朽ち果てるように見えて、街灯はいくつか割れていて、きいいいと電磁波を受けて蛍光灯が光り、そのうちのひとつがぱりんと割れる。
「ぶ……部長、何か、変です」
「言問さん」
白釘部長がつぶやく。私にしか聞こえない声で。
「……?」
「よく見ておくとよ。この場所を。これから起こる事を。あなたの目的のためにも役立つことのはずたい」
「部長……何を言ってるんですか? まるで……」
「あなたも、海ちゃんも、何か目的を抱えとうね。誰もがそうたい。この学園の生徒は誰もみな乾いている。何かを欲してあがいている。あるいはこれも仕組まれたこと。どこまでが偶然なのか、どこまでが企みなのかも分からない。多くの者は欲するものを諦めるか、学園の心地よさの中で望みを忘れてしまう。でもその中に、どうしても捨てきれない願いを持つ者がいる。あなたと海ちゃんにはそれを感じたとよ」
黒騎士が右腕を突き出している。あの不可視の衝撃波を? 部長と私までも消そうとしているの?
「予想より早くこの時が来てしまった。もっと色々教えておけばよかったかも知れんね。でも超短編は誰しもの心にあるもの。誰でも書ける、誰でも心を形にできる、それが超短編の良さとよ、どうか忘れずに」
「部長……黒騎士が」
「繁栄の汚染」
歪みが。
背後のビル群を、光を吐き出す無数の建物を歪めて迫る波動。
「濛々、紫青潔、森羅無敵、貂様盾」
瞬間、部長の前に出現する円形の盾。
波動が散る。水平方向にコンクリートの破壊が伝播する。とてつもない爆風を受けたような地面の破壊。体が揺さぶられる衝撃。朽ちかけていた周辺の街灯が一気に吹き飛ばされる。
「な……!」
「創造励起――戦車」
盾が消えると同時に黒騎士がつぶやく。
瞬時に出現するのは戦車。型式などは分からないけど、どこかで見たような緑色の躯体。それがキャタピラを激しく回転させながら迫る。
「闇華象、一切雑有、纏邇玻璃、屍傑剣」
天を指し示す。上空に出現するのは剣。宝石で飾られ、濡れたようにきらめく刀身を持つ中華風の直剣だ。
しかも巨大。刃渡りは15メートル以上あって重さは10トン以上はありそうな。
部長が腕を振り下ろす。連動して落下する剣の途轍もない衝撃力。戦車の装甲はさすがに斬り裂けないが、超重量によって躯体がひしゃげ、キャタピラがはがれてボルトが散り、一撃で中破させる。
「これって……!」
映像じゃない。
信じられない。あの戦車も、部長が出した盾も剣も確かに実在していた。質量を持っていた。
これは幻覚でも立体映像でもない。何か、私の理解が及ばないことが起きている。
「言問さん! 海ちゃんを!」
部長が叫ぶ。私ははっとなって海ちゃんのほうを見る。彼女はあまりのことに放心し、茫然と尻もちをついている。
私も混乱していたけれど、その海ちゃんを見て体が動いた。大急ぎで黒騎士の側面から回り込んで、海ちゃんを抱え上げて後ろへ。
「海ちゃん、もっと下がって!」
「あ、あれ……」
海ちゃんは腰が抜けたのか意識が朦朧としてるのか、水袋のように重い。私はなんとか引きずって後方へ。
逃げはするけれど、私は部長の戦いをもっと見たいと思った。あとほんの一秒でも、部長のつぶやくヒトコトでも。
「白釘ケイ。辞書登録による極端な語彙圧縮。短句呪符の使い手。私と戦うというか。勝てると思っているのか」
「さあね、あんたの没収という言葉の意味は分からんけど、むざむざそれを食らう気はなかばい」
「白釘ケイ。やはり危険因子。放置したのは誤りだった」
ぴしり、と。
黒騎士の足元でコンクリートが割れる。周囲に石粒が飛ぶような、私の肌を何かがびしりと打つような感覚。
空気中のあのひりつくような感覚が高まっている。とてつもない力のポテンシャルが集まってくるような。落雷が落ちている瞬間の中にいるような。
「創造励起――宇宙艦隊」
う、嘘……!?
出現する。それは空を埋め尽くすような光。
数十、いや数百もの楕円形の物体。うっすらと発光しており、遠すぎて細部が見えないが、一つ一つがかなり巨大なものに見える。
「ふふ」
白釘部長は。
あの飄々として気だるげで、正体不明だったけど優しかったあの部長は、笑っている。
不敵に皮肉げに、黒騎士へ余裕を見せつけるような笑み。
「私を消しても、人の想像力までは消せんとよ」
「黙れ」
「秘密はいずれ暴かれる。想像は創造に通じる。いずれ人の望みはカタチとなり、あんたたちの不安は現実になる。この六沙学園がどれほど巨大でも、複雑でも、人間の心はいつかその複雑さを走破する――」
光が。
浮遊するすべての機体から放たれる光。部長のいる場所に殺到して光の球体となる。
「部長!!」
まさか本当に、人を。
だが不思議なことに、光の中で部長の姿が見えた。部長の周囲にガラスのような球体があり、部長が早口で何かを呟いている。
そこに黒騎士が歩み寄る。無数に集まる光を浴び、その黒い鎧が赤熱して白煙を上げる中で歩む。
突き出される黒い小手。白釘部長に向けられる歪みの波動。
光の中で部長の像が歪む。部長は玉の汗を浮かべ、最後の最後まで耐えようとして。
そしてある瞬間、その像が歪みの中に溶けた。
瞬間、すべての光が消え、上空の大艦隊も消え、廃ビルから放たれていた光も消えて。
そして黒騎士が私たちを見て。
その瞬間、私と海ちゃんの意識も消えた。
※
――部長
――雫部長、なぜ読んでくれないんですか
――描写がくどすぎるのよ
――こんなに言葉を重ねる必要はない
――でも、私が描きたい風景は、これでも言葉が足りない
――もっとたくさんの言葉が、私の知るすべてを並べても足りないんです
――私は読まないよ
――きっと、それを読んでも、伝わりはしない
――どうして
――だって、風景とは一瞬のものだから
――千の言葉で伝えることは、矛盾だから
――でも
――でもそれなら、どうすれば……
※
「う……」
目が覚めて、それと同時に跳ね起きる。
頭が痛い。喉も砂をまぶしたように乾いてる。
周りは港湾。
東の空から朝日が昇ろうとしている。六沙学園の港だ。
いくつもの船が係留されてる。大型の港湾施設や倉庫があって、街灯もある。もちろん朽ちてはいない。
だけど、それらはなぜか作り物のように見えた。近代的で洗練されているのに、とても寂しい風景に見えた。
私の横には海ちゃんがいる。
海ちゃんは赤子のように丸くなって眠り、その眼から涙の流れた跡があった。
部長は。
部長はどこに行ったのだろう。私はよろめくように立ち上がり、周りを見渡す。ふらふらと歩いて部長を探す。
もう二度と部長に会えないような気がして、それを否定したくて、いつまでもいつまでも、あらゆる場所を探し続けて……。